食のエッセイ

梅干し・梅漬け・カリカリ梅

 梅の実を香の物の一種として食すには、①天日に干して梅干しとする、②塩に漬けて梅漬けとする、③青梅のうちに収穫し、カルシウムを多くふくむ荒塩によってカリカリ梅とする、という3種類の食べ方があるようだ。(③は②のバリエーションともいえる)。
 私が少年時代を過ごした栃木県は梅干し文化圏に属するらしく、小学校入学前の私は母にいわれて庭に筵を敷き、梅を干す作業をさせられたことがあった。その後、長野県小諸市や伊那市高遠町のみなさんとおつき合いするうちに、これらの地域では梅漬けが好まれるため、修学旅行先の京都で出された弁当に梅干しが入っているのに驚いた中高校生たちが、
「先生、この梅腐ってる!」
 と騒ぎ立てることもあると知った。
 さて、荊妻は和歌山県の生まれなので、名物の「南高梅なんこうばい」を食べて育った。そのためか私が会津で講演するのに何度か同行するうちに、すっかり会津高田(現、会津美里町)の名産「高田梅」が気に入った。子供の拳大もある高田梅は、梅酒にしてもよいが、大きいためカリカリ梅にしたものをカットして食べても果肉がよく張っていて快い歯応えが味わえる。
 年に一回、在京会津高校OBのみなさんとおこなっている歴史探訪旅行の際、荊妻がそんなことをメンバーのおひとり本名ほんな正二さんに話すと、鎌倉にお住まいの本名さんは庭の梅の木からの収穫で作ったカリカリ梅を送って下さるようになった。
 今年届いたそのカリカリ梅の袋には手紙が添えられており、宛名は「中村彰彦先生」と「紀州梅奉行御奥様」。紀州生まれの荊妻が、梅に詳しいため梅奉行に見立てられているのが面白く、本名さんのユーモアのセンスには大いに感心させられた。
 しかも、本文は次のようにはじまっていた。
「今年も御奉行様に、カリカリ梅を上納する時節となりました。(略)塩分は2%程度と、先生の御健康に最大限配慮した含有率に致しました。ですから、保存は冷蔵庫にお願い致します」
 旧会津藩は大変きちんとしたシステムによって藩という名の小国家を運営しており、奉行にしても町方を支配する町奉行、農村部を支配する郡奉行のほか、朝鮮人参などの特産品を管理する国産奉行、山林や岩塩の採れる地層をチェックする山奉行などの職が置かれていた。高田梅の管轄は郡奉行、「会津山塩やまじお」といわれた岩塩の管轄は山奉行であったのか。
 会津史にお詳しい本名さんに梅奉行に見立てられた荊妻と私は、ひどい暑さと長雨に悩まされたこの夏、時々冷蔵庫から出したカリカリ梅をつまんでは口の中に涼を感じて楽しんだものであった。

2021.09

中村彰彦氏

著者:中村彰彦(なかむら・あきひこ)

1949年栃木県生まれ。作家。東北大学文学部卒。卒業後1973年~1991年文藝春秋に編集者として勤務。

1987年『明治新選組』で第10回エンタテインメント小説大賞を受賞。1991年より執筆活動に専念する。

1993年、『五左衛門坂の敵討』で第1回中山義秀文学賞を、1994年、『二つの山河』で第111回(1994年上半期)直木賞を、2005年に『落花は枝に還らずとも』で第24回新田次郎文学賞を、また2015年には第4回歴史時代作家クラブ賞実績功労賞を受賞する。

近著に『疾風に折れぬ花あり 信玄息女松姫の一生』『なぜ会津は希代の雄藩になったか 名家老・田中玄宰の挑戦』『智将は敵に学び 愚将は身内を妬む』『幕末「遊撃隊」隊長 人見勝太郎』『熊本城物語』『歴史の坂道 – 戦国・幕末余話』などがある。

幕末維新期の群像を描いた作品が多い。