食のエッセイ

わっぱ飯との出会い

 私は仙台の東北大学に学んだので、学生時代から東北地方の各地で「輪箱飯」と書いて「わっぱめし」と読む食物が食されていることは知っていた。しかし、私の住むアパートと大学とを結ぶルートにわっぱ飯を食べさせる店はなかったので、私はついにこれを食することなく東京の実家へもどって就職した。
 その私が初めてわっぱ飯を食べる機会に恵まれたのは、昭和63年(1988)5月、新人物往来社の大出俊幸さんに誘われて新選組の足跡を追うツアーに参加し、会津若松市郊外で昼食を摂った時だった。団体旅行のこととて食堂も料理もあらかじめ決められていたが、その食堂で出されたのが湯気の立つわっぱ飯だったのだ。
 そのわっぱ飯は種類でいえば「シャケわっぱ」だったらしく、シャケの切身のほかにたくさんの具が配されていてなかなかうまかった。あたたかい御飯を食べすすんでゆくと小形のトカゲのようなものが入っており、よく見ると何とそれは子持ちのサンショウウオであった。だが、だれも驚いた気配を示さなかったので、私も何となく自然にそれも頂いてしまった。
 会津は盆地なので、四方からゆきの水が流れこむ。小川はすべて清流で水芭蕉の花が咲き、小さなサンショウウオも住んでいるので、後者は食材として珍重されているのだろう。
 平成も後半に入ってからは、会津若松市の市長さんとの会食の席でやはりわっぱ飯を頂いたことがある。その料亭の特徴は「白魚わっぱ」を出すことにあった。しかし、白魚のほかに具が配されていないため味が単調で、これは私の口にはあまり合わなかった。
 以来わっぱ飯とは無縁の暮らしを送ってきたが、令和元年(2019)11月、所用で妻と会津若松市を訪ねることになったので、久しぶりに甲賀町の田季野たきので夕食を摂ることにした。
 ここはわっぱ飯を名物とする大衆料亭だが、酒も肴も種類豊富なので、なかなかわっぱ飯までたどりつけないという問題点(?)がある。そこでこの日は酒をセーブすることにし、数あるわっぱ飯の中からまだ食したことのない「きのこわっぱ」を頼んでみた。
 これは、唸りたくなるほど美味であった。別にマツタケやマイタケなどの高価な具を使っているわけではないのだが、シメジその他の味付けが大変よろしく、具材のつるりとした触感が舌に快い。
 隣席では一人で入店した男性客が一心不乱に箸を動かしていたから、田季野のわっぱ飯はかなり評判なのだろう。
 私が出た高校は宇都宮高校だが、田季野の女将さんは宇都宮市の出身。そんな御縁があるのでその女将さんに食後に挨拶すると、会津清酒と身知らず柿のおみやげまで頂いてしまった。良きかな、会津のわっぱ飯。

中村彰彦氏

著者:中村彰彦(なかむら・あきひこ)

1949年栃木県生まれ。作家。東北大学文学部卒。卒業後1973年~1991年文藝春秋に編集者として勤務。

1987年『明治新選組』で第10回エンタテインメント小説大賞を受賞。1991年より執筆活動に専念する。

1993年、『五左衛門坂の敵討』で第1回中山義秀文学賞を、1994年、『二つの山河』で第111回(1994年上半期)直木賞を、2005年に『落花は枝に還らずとも』で第24回新田次郎文学賞を、また2015年には第4回歴史時代作家クラブ賞実績功労賞を受賞する。

近著に『疾風に折れぬ花あり 信玄息女松姫の一生』『なぜ会津は希代の雄藩になったか 名家老・田中玄宰の挑戦』『智将は敵に学び 愚将は身内を妬む』『幕末「遊撃隊」隊長 人見勝太郎』『熊本城物語』『歴史の坂道 – 戦国・幕末余話』などがある。

幕末維新期の群像を描いた作品が多い。