食のエッセイ

なんたってマルシェは楽しい

 パリに限らず、ヨーロッパ各地の町、いや、世界のあちこちの町で足を運んで面白く、好奇心を満たしてくれることが多いのがマルシェ、市場の類ではないだろうか。マルシェはフランス語だが、もちろんマーケット、メッセ、メルカートなど、各国語でも同様。蚤の市のようなところも悪くはないが、観光客相手の土産物屋が並ぶようなところではなく、その土地の生活に密着している市場が面白い。建物や屋根が設置されているところもあれば、普段はただのオープンスペースや広場などで、特定の曜日だけ開かれるところもある。

秋の夕刻、モロッコのジャマーア・アルファナー

 私が足を運んだ広場空間での市場で、圧倒的だったのは、モロッコのマラケシュにある、ジャマーア・アルファナーという広場での市場である。ちなみにモロッコの公用語であるアラビア語では、市場はスークという。写真にあるような賑わいで、10月に行ったので観光客よりも地元民の方が圧倒的に多く、文字通り売り買いの駆け引きの様子が面白かった。ここが古くからのキャラバン商業の中心であったことを思わせる賑わいの場だ。しかもすぐ傍からは、簡易な屋根のかかった常設の市場道路が迷路状に入り組む空間につながっていく。そちらは別の日に、本職の地元ガイドさんに案内してもらった(そうでないと、案内させろと若い者が寄ってきてうるさいのです)。年配の立派な体躯をした案内人は、こちらの希望をきちんと聞き入れて、地元の人たちが行く商店や職人作業場の並ぶところへと連れて行ってくれた。そこでは、簡素な屋根のかかった道は網の目というより迷路状に入り組んでいて、私は相当に方向感覚が良い方だと思っていたのだけれども、この地元の市場空間だけはギブアップだった。同じ場所でも別の通路から入ってくると、初めて来たような感覚でしかない。ベテランのガイドさんにはそれが事前に分かっていたようで、「さっき来たところなんですよ」と、嬉しそうだったのが記憶に残っている。

 こうした、通り沿いにさまざまな小型店舗が立ち並ぶ、市場通りとでもいえる場所も少なくない。ダマスクスやアレッポといったシリアの歴史ある町の通りもとてもよかったのだが、このところのひどい内戦で破壊されてしまったのは、なんとも愚かしいこととしか言いようがない。イスラームという宗教は、碩学の宗教学者井筒俊彦先生がかつて書いておられたように、アラビア半島の商業の民の宗教としての姿勢が基本にあった、ということだから、人と人との商売上の賑やかなやりとりがムスリム社会の各地に見られるのも、合点がいくことだと思える。

 あちこちで、売り手と買い手とが交わしているやりとりを聞いたり眺めたりするのは、その土地の雰囲気を感じ取ることもできて、それだけで楽しく面白い。それはもちろんムスリム社会だけのことではない。私自身の生活に密着した海外での最初の経験は、今から半世紀近く前に暮らしていたパリでのことであった。

 連れ合いとともに1年あまり過ごした住まいが、17区の東寄り、もう少し東に行けばモンマルトルの丘のふもとにも近いという、バティニョルという地区にあった。近くに貨物列車の基地もあるそのあたりは、民衆地区でも高級住宅街でもなく、おそらくは中間的な階層の住む集合住宅が多いところだと思われた。明らかにリタイア後の年配の夫婦が、買い物かごをさげてゆっくりと歩いて買い出しに出かける様子は、静かな通りにしっくりする光景だったのを記憶している。その住まいのすぐ近くに、バティニョル市場という常設市場があった。屋根のかかった常設といっても、パリにはいろいろな種類があって、最近改築されたサンジェルマン市場のようにしっかりした建物の場合や、19世紀に造られた鉄骨ガラス張り構造のところ、また、われわれが利用した当時のバティニョルなどは、もっとそっけないカラの工場のような空間のなかに個別商店がオープンに並んでいたような記憶である。食料品を中心に、魚屋や肉屋や八百屋などそれぞれが何軒か入っている店舗は、毎日朝から夕方まで開いているわけではなく、開店の曜日と時間帯とをつかんでおかないと、出かけても空振りすることを経験した。魚屋さんも肉屋さんも、不思議と行きつけができるものだ。魚屋さんは、元気の良いお姉さんが、冬でもないのに毛皮の短いコートをオシャレに羽織って専門知識を披露してくれたのを覚えている。本当に暑いのはヴァカンスの真夏くらいで、空調などない吹き抜けの店に立つには、毛皮もわかるなあと思ったものだった。

 半世紀近く前のパリでは、まだマグロの胴体を輪切りにして売っていた。日本でのように、さく(切り身)で小売りにする発想がなかった。トロも赤身も一緒だ。鯛なども丸ごと買うのが普通で、これがしかも他の魚と値段があまり変わらない。こりゃ歓迎とばかり、丸ごとオーブンでよく焼いたものだった。牛肉にしても、すき焼きに入れるような薄切りというものがまだなく、「薄くならないの?」、と尋ねれば、太い腕っ節の肉屋のおじさんは「よしきた」と木槌で叩いてくれた時代だ。まるでエスカロップ・ミラネーズという子牛肉などを叩いて薄くして、焼いたり揚げたりする料理みたいな話となる。いまでは市場での売り方も随分違ってきた。そこに日本料理からの影響があったことも確かなようだ。
 

アントニーの市場の魚屋で、「早く買ったら」と言いたくなるくらい、おしゃべりしている男性客たち

 今はパリとその周辺には、スーパーやハイパーマーケット(イペルマルシェ)を称する店も数を増やしたようだが、それでも個別商店が軒を並べる形式の各種の市場や市場通りは魅力的で健在である。パリ郊外に移住してすでに35年になる友人の稲葉さん一家の竈の神、由紀子夫人は、食べることに関するさまざまなテーマのエッセーで有名だが、その頂戴した本の中に『フランスのおいしい食材ノート』という、とても便利でありがたい小事典みたいな一冊がある。その中に、「パリの朝市、市場」というリストがあって、東京でいえば山手線の内側ほどの広さであるパリ市内には、朝市・屋根付き市場・市場通りをトータルすれば、実に48カ所もあるという。いずれも日常生活に身近な買い物をする場所である。朝市というのは、それぞれ週の間に開かれる曜日が、例えば月水金というように何日か決まっていて、場所は広場か、大通りの一部を使って、テント張りの横長のスペースに個人商店が軒を並べるという形式が一般だ。業者は、おそらく二箇所とか三箇所の市場を曜日によって移動して開店していることが一般だろう。食料品がメインだけれども、雑貨や道具を扱う店や、安い衣料品を扱う店が並ぶところもあって、ブラブラ冷やかしに歩くのも面白い。冷やかしだけでは商店にとってはご免だろうが、それでもやりとりの中で瓢箪から駒ではないが、商売が成り立つこともありである。
 

 こうした市場は、もちろんパリ市中だけでなく、郊外や他の都市でも普通に見られる。私が2回目にパリを拠点とした90年代半ばの1年間は、稲葉さん一家が住んでいたアントニーというパリ南の郊外町にアパートを紹介してもらった。このアントニーの駅近くには、郊外でも有数といわれる大規模な朝市があって、火曜と木曜、それに日曜の午前中に約200の店舗が開いて、日本では見たことがないローストチキンを大量に作る装置なども登場し、大変な賑わいであった。市場でのやり取りは、物の入手のためだけでなく、生きる上でのつながりの楽しみでもあるのだろう。そう思わせる光景であった。コロナ後の業者たちの状況が、心配ではある。

チキンの丸焼き大量生産マシーン!

 近頃のようにウィルスへの警戒を考えると、ネット販売を活用して物を購入するのも好都合な反面、会話を含めた人と人との直接的なやりとりという、基本的な人間らしさとは無縁のカプセル空間みたいなものが日常として茫漠と広まっていく空虚さも、頭に置いておかないと、とんでもない世の中になって行く恐れなしとしない。そうはなってほしくないなあと、私はそう思っているのだが、どうだろう。

2022.04

著者:福井憲彦(ふくい・のりひこ)

学習院大学名誉教授 公益財団法人日仏会館名誉理事長

1946年、東京生まれ。
専門は、フランスを中心とした西洋近現代史。

著作に『ヨーロッパ近代の社会史ー工業化と国民形成』『歴史学入門』『興亡の世界史13 近代ヨーロッパの覇権』『近代ヨーロッパ史―世界を変えた19世紀』『教養としての「フランス史」の読み方』『物語 パリの歴史』ほか編著書や訳書など多数。