食のエッセイ

お弁当

 フィレンツェで画学生として過ごしていた初期、学校から帰ってくると私はよく小学生だったころにやっていた日本のアニメーションを、かなり熱心に視聴していた時期があった。今だいたい30代後半から40代にかけてのイタリア人の多くは、まさにこの時代のイタリアのテレビで放映されていたドラえもんやマジンガーZなどといった日本のアニメーションを見て育った世代である。私がそういった日本製アニメのイタリア語吹替え版のアニソンを歌えることが判ると、「あなたも見てたの!?」と驚かれることがよくあるが、うちの14歳年下の旦那と出会ったときにも、古代ローマやルネッサンスの話と同じくらい盛り上がったのが、アニメのルパン三世の話題だった。

 小学校の中学年くらいから関心が薄れてしまった日本のアニメを、なぜ18歳になった私が再びイタリアで見るようになったのか、その理由はとても明解だ。当時の私はお金がなくてなかなか日本に帰れなかった。しかし、日本が舞台になったアニメには日本との距離を縮めてくれる効果があった。海外で完全な異文化にまみれた生活をしていると容赦無く募るストレスを、日本のアニメは癒してくれるのである。特に、食べ物の描写が出てくると効果は絶大だった。一般的な日本の家庭料理。ラーメン、おにぎり、お弁当。二次元での表現であっても、その美味しさは十分に伝わる。しかし、そういった日本の食事が翻訳ではイタリアの既存の食べ物に置き換えられてしまい、それが残念でならなかった。

 例えば〝おにぎり〟が〝Panino(パンの中に具を挟んだサンドイッチ)〟になっていたり、〝お弁当〟が〝Cestino da Pranzo(お昼ご飯のバスケット)〟になっていたりする。ラーメンがスープ、またはスパゲッティになっていたこともあった。まあ短いアニメのストーリーのなかでいちいち拘る箇所でもないので、そのように処理されてしまうのは止むを得ないだろうけど、それにしても私はいつもこの二次元の日本の食事が出てくる度に、身体の奥底から自分自身が消えてなくなってしまうくらい大きな溜息をつくのである。

 特に私をもんもんとさせていたのはお弁当の描写である。イタリアでも携帯用の食事というのは存在するが、たいていは前述したパニーノ、そしてリンゴとジュースみたいなものを袋に入れて『ランチボックス』と括るのが常だ。西洋人はもともと携帯するメシに対する思い入れが少ない。貴族みたいな水準の人々になれば、ゴージャスで大掛かりなランチボックスもあるのだろうけど、一般的な考え方では、外へ携帯して食べるものは美味しいわけがないのである。携帯食は基本的に作り立ての美味しさとはかけ離れた『マズいもの』なのであり、美味しい筈がないのである。

 私は悔しかった。アニメの中に出てくるお弁当の描写を安直なイタリア式〝ランチボックス〟と扱われてしまうのが。そしてそれは、当時アニメを見ていたイタリアのチビッコ達にも同じ違和感を醸していたらしい。登場人物達が黙々と食べる三角形の黒や白の形状の物質は明らかに〝パニーノ〟ではないし、学校でのお昼ご飯に生徒達が持参している箱状のものの中身は明らかに〝ランチボックス〟とは様子が異なっている。黄色くて四角いもの、茶色い肉のような固まり、タコのような形状のもの、登場人物達が箸でつまみ出している、箱の中に所狭しとつめこまれた、あの細々したものはいったい何なのだ!?という疑問がテレビの電波を通じて、計り知れない数の子供達の心を揺さぶっていたのは間違いない。

 私のお弁当への思い入れは単なる日本へのノスタルジーや日本食を容易に口にできない枯渇感からくるものではなかった。実は私はお弁当に対して一種のトラウマがある。学校は基本的に給食だったが、たまにお弁当を持っていかなければならない日というのがあった。音楽を職業にしていた私の母は通常仕事が猛烈に忙しく、ろくに買物にすら行けない人だったため、冷蔵庫の中はたいていいつもスカスカで、当然彩り豊かなお弁当など用意するのは不可能だった。それ以前に、母にはお弁当に対する執着や拘りが無かった。昭和一桁生まれの戦争経験者である母は「食べられればなんでもいいのよ!」というポリシーを持っていて、しかも、蓋を開ければその中身が家族や経済環境を顕示してしまうお弁当の性質を嫌っていた。

 小学校の低学年だったころ、とある日の私の弁当は、プラスチックの弁当箱いっぱいに詰め込まれた食パンだった。布団のように敷き詰められたそのパンは一応斜めに切れていて、中には砂糖とバターを混ぜたものが塗り込まれていたが、周りで一緒にお弁当を食べていた友人たちからは一斉に哀れみと同情の視線が集まった。

「これあげる」と皆自分たちの弁当箱の中からお裾分けをしてくれて、お陰で私はたっぷりお腹を膨らませることができたのだが、その夜私は帰宅した母に「頼むから、もっと恥ずかしくない弁当を作ってくれ」と抗議した。母は「人の目なんか気にするな、砂糖バターパンだって栄養価のある立派な食事だ」としか答えなかったが、その次のお弁当には敷き詰められたご飯の上に茶色い鳥のそぼろが一面にかけられていた。母にしては頑張ったのだろうが、とにかく彼女に一般的なお弁当の演出を叶えてもらうのは無理だと痛感した私は、それ以来弁当は自分で作るようになった。

 そんなこともあって、外で食べる食事でありながらも、抜かりのない細やかな気配りがなされているお弁当は私にとってむかしから憧れと癒しの食べ物であり、日本の誇る食文化のひとつだと確信している。

 今でこそObentoは固有名詞として世界でも認知度を高めつつあるし、アニメの翻訳でも〝ランチボックス〟ではなく、そのままObentoと称するケースが増えている。ましてや昨今の日本における、あの芸術創作品と化したかのようなキャラ弁などは海外のサイトでも紹介されて、人々を驚愕させている。私が所属しているバンドのベーシストのお兄さん(独身)は、大手広告代理店勤務のサラリーマンだが、毎日わっぱのお弁当箱に高級料亭の料理人がこしらえるようなハイグレード食材を美しく盛りつけて出勤しているらしく、それがテレビ番組にも取り上げられていた。和食は元来見た目や盛りつけも美味しさの演出として欠かせない要素だが、弁当箱という狭いボーダーの中ですら和食としての拘りがこんなにも徹底されている、日本人の食への思い入れはやはり比類無い。

 ここのところの毎年の楽しみのひとつは、新宿の京王百貨店で催される全国駅弁大会に出かけることで、なるべくその時期を狙って日本に戻ってくるようにしている。駅弁はまたこれはこれで、家庭の弁当とは違った趣旨のものではあるのだが、東西南北どこの駅でもサラミかハムが挟まった定番のパンしか軽食として売られていないイタリアのような国と違い、日本はそれぞれの駅で買い求める弁当にそれぞれの地域性がこれでもかというくらい盛り込まれていて、実に気持ちを豊かにしてくれる。駅弁大会では遠方まで出かけて行かなくても、そんな地域の食材を活かしたお弁当を入手するだけで、なんだかちょっとした旅を経験した気分になれるのだから素晴らしい。

 単なる腹ごなし、ではなく、小さな箱の中に入っていて、しかも携帯食として外で食べるからこそ感じられる美味しさというものを追究したお弁当は、日本の食文化が生み出した小宇宙である。以前イタリア人のアニメ好き女性がとある海外のマンガイベント会場で日本製のお弁当箱を取り出し、中に入っているトマトやブロッコリーのサラダを食べているのを見かけた。目が合ったので「Obento?」と問いかけると彼女は照れ臭そうに笑いながら「みたいなもの。子供の頃からとにかくこの箱でご飯を食べることに憧れてたんです」という答えが返ってきた。そして彼女はプラスチックの箱の隅をプラスチックのフォークでカコカコと突きながら、満足そうに食事を終えたのであった。

 私や息子のように海外に暮らしていてたまに日本に戻ってくると、コンビニエンスストアやスーパーマーケットの安価なお弁当ですら立派なご馳走なのだが、まあ、生きているうちに一度でいいから、自分のために誰かが熱心に作ってくれた手の込んだお弁当というやつを食べてみたいものである。

ヤマザキマリ氏

著者:ヤマザキマリ (やまざき・まり)

漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。

1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。

2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章綬章。

著書に『国境のない生き方』(小学館)『男性論』『ヴィオラ母さん』(文春新書)『パスタ嫌い』(新潮社)『スティーブ・ジョブズ』(講談社)『プリニウス』(とり・みきと共作 新潮社)『オリンピアキュクロス』(集英社)など多数。