食のエッセイ

ラーメン・ソウル

 留学先のフィレンツェで当時恋人だった詩人と同棲11年目にして未婚で子を産んでしまった私は、ボヘミアン生活に終止符を打って日本へ一時帰国したわけだが、絵で食べて行くにはこの手段しかないとそのとき選択した漫画家という職業も、デビューはできてもまだそれだけで自分と子供の暮らしをやりくりするのは無理だった。だから何足ものワラジ状態で自分にできる限りの仕事を請け負っていたが、その中の1つが北海道のローカルテレビ局の旅と温泉と食のリポーターである。

 テルマエがヒットして以降、私がテレビ番組に出ると「ヤマザキマリは漫画家なのにテレビに良く出るなあ」「露出が多いなあ」と思う人も少なくないようだが、私はもともと職業としてテレビに頻繁に出ていた人間なので(しかも温泉に裸で浸かっている状態で)、むしろあの時代の私を知っている北海道の人にしてみれば「えっ、この人って漫画家だったの!?」という逆の衝撃があったようだ。

 まあそれはいいとして、とにかく私は北海道の隅々を旅してはあちらこちらで涌いている温泉に浸かり、そしてご当地の名物料理やイチオシ料理を食べては某かコメントをしてきたわけだが、そんな中でもどのディレクターもが好んで私に食べさせたがる一品というものがあった。それは何かというと、ラーメンである。

 そもそも、食リポーターとしてのデビューは「函館ラーメンのルーツを辿る」というもので、函館の塩ラーメンが福建省から伝えられたものだとする説を解き明かすために、函館中の老舗ラーメン屋や中国との国交の軌跡を訪ね回るというものだった。ラーメンも温泉と同じように、イタリア留学時代私にとっては日本における最も恋しいもののひとつだったので、ラーメン店が取材先に入っていると猛烈に嬉しくて、気が付くとどこでも完食を果たしてしまうのである。その私のラーメンの食し方が「実に男らしい潔い食べっぷり」ということで、どのディレクターも担当リポーターが私になると必ずラーメンの店を入れてくれるのだった。

 今こうして思い出してみると、北海道では本当にありとあらゆる場所のラーメンを食べてきた。函館、札幌、旭川。美味しいラーメンがあると聞けばどんな地域にも赴いた。忘れ難いものの1つには町おこしで養殖し始めたザリガニを使った「ザリガニラーメンフレンチソース掛け」なるものもあり、赤いラーメンどんぶりにこれまた真っ赤なバルタン星人のような姿でトッピングされたザリガニの有様も、ラーメンには思いがけないフレンチ風の味もかなりの衝撃だったが、ラーメンとなればこちらは食べないわけにはいかない。ラーメンの奥の深さを知るためならば、私の食外交(食べ物を通じてその土地の文化を知る意識)意欲は常に積極的なのである。そして、これは絶品だと思われたラーメン屋に行き当たれば、私は2、3時間車を走らせる距離であっても、プライベートで再びその店に戻る事にしていた。大好きな食べ物は沢山あるので、敢えて自分が突出したラーメンマニアだと感じた事も自負をしたこともないが、そんな仕事をしていたお陰で「私の血はラーメンで出来ているのよ」くらいの体質にはなってしまったと思っている。

 海外で生活をしていると、よく日本の人からは「お寿司や天婦羅が恋しいでしょう」なんて問い質されるが、正直そんなものよりも圧倒的に食べたくて我慢ができなくなるのはラーメンだ。日本を訪れた海外からの観光客にとっても、最も美味しい日本での食べ物のひとつがラーメンだという。うちのイタリア人の夫も、日本に暮らした経験のあるポルトガルやブラジルの友人も、ラーメンの話になると恋する乙女のような潤んだ瞳になって、「あれは日本における最高の料理だよ…」と味覚の記憶に酔いしれる。

 ラーメンのような特性を持った食べ物と、何か比較になるようなものは世界にはあるのだろうかと考えてみたが、実際あまり思い当たらない。アジア圏であればヴェトナムのフォーなどが立ち位置の近い食べ物かもしれないが、それともちょっと違う。飲み過ぎて若干気持ちが悪くなりつつあるときに、フォーを食べたいと思った事はないが、ラーメンは、特に私の場合はこってりの豚骨ラーメンがひたすら食べたくなる。

 留学時代は詩人と一緒に良く通っていた貧乏人達の文芸サロンで、朝までワインを飲みながら語り合った挙げ句に、真夜中か明け方近くになって「あー、ニンニクとオリーブオイルと鷹の爪のスパゲッティが喰いたい!」と言い出す人がいつもいた。そんな時は部屋の隅に作り付けられた汚くて小さな台所で買い置きのスパゲティを茹で、ささっと塩コショウに唐辛子とオリーブオイルで味付けをして皆で食べるのだが、あれは考えてみたら飲み過ぎの胃袋を癒すラーメンの感覚に近いものがあった。だが、たとえ長くて細い麺がちゅるちゅると喉を通過する感覚に相似性があるにせよ、最終的に汁物であるラーメンとスパゲティは比較にならない。自分の日常生活のダメな部分にもそっとよりそって元気付けてくれる、寛大で経験豊富なバーのママのような懐の広さを感じさせてくれる食べ物というのは、実はそんなにどこにでも存在はしないのである。

 今やアメリカを初めとする欧米諸国でもラーメン人気は凄い事になっているようだが、ロスではなんとラーメン店だけで300店も存在するらしい。そんなニュースを目にすると「まあ、当然だろうな」という気持ちにもなる。一度口にするとその圧倒的魅力にはもう二度と背く事が出来ない、それがラーメンという食べ物だ。例え中国が起源であったにせよ、蒸気機関車を新幹線に、洋式便所をウォシュレットに進化させてきた日本人の、ただならぬこだわりと根性と執念、そして崇高な味覚の追求があったからこそ叶った、まさに日本を表象する、完璧なソウルフードなのである。日本といえばスシにテンプラ、という時代はもう実はもう終わりつつあるのだ(と自分は思っている)。

 ちなみにラーメン以外で外国人が気に入った日本の食べ物のトップランクにはタコ焼きやお好み焼きなども入っているそうである。結局、世界のどんな食べ物でも、外からやってくる人に美味しいと思われるのは、その土地の人間がふだん気軽に口にしている庶民のソウルフードに尽きるのかもしれない。

ヤマザキマリ氏

著者:ヤマザキマリ (やまざき・まり)

漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。

1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。

2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章綬章。

著書に『国境のない生き方』(小学館)『男性論』『ヴィオラ母さん』(文春新書)『パスタ嫌い』(新潮社)『スティーブ・ジョブズ』(講談社)『プリニウス』(とり・みきと共作 新潮社)『オリンピアキュクロス』(集英社)など多数。