健康アドバイス(アーカイブ)

医療現場から—医療の場での暴力 その3—

前回までのお話

前回までの2回では、医療の現場も社会全体の反映で突然の暴力とは無縁ではないというお話をしました。人が大切にされなければならない場所としての医療の場で、患者さんを大事にするためにも医療者も大切にされなくてはならないのに不意の暴力に対して防御しなくてはならないというのはとても残念なことです。

医療の場では、医療者に向けられる暴力への対策が不可欠になるほど追い詰められているのです。とても切実です。具体的な危機管理の方法としては鉄道と同様に暴力は犯罪であることの掲示や警備会社の巡回だけではなくて、元警察関係者を雇って日常の対応を強化している病院は少なくありません。なぜ医療の場まで不意の暴力にさらされてしまうのでしょうか。

他者への暴力の背景として、不安と暴力には密接な関係があることがあげられます。人の攻撃性はどのようにコントロールされているのか、そもそも攻撃性は悪者と言い切れるのかについて考えてみました。

また、人間関係というと人と人との間、その関係でくり広げられる摩擦や葛藤のようにみえるけども、実はその基本には個人の内部との関係性、行動の陰にあるその人自身が抱える葛藤の問題でもあることを説明しました。自己との対話の不足が暴力を招くとしたら、自己との対話不足の人や強い不安や葛藤を抱えた人は自分の中に沸き起こる暴力を制御できなくなる可能性のある人だと考えられる。もちろんそのすべての人が他者への暴力を対人サービスの担い手にふるってくるのではありませんが、暴力の背景をそのように考えるとしたら、関係性のない人への暴力を抑制するためには自己と対話の促進と他者との関係性の確立が必要になってきます。だとすると解決にはずいぶんと時間がかかりそうです。

せめてもの自衛策として人との安全な距離を保つ環境をつくることから始めないと、ということで、先ずは相手を脅かさない個人の領域への立ち入り方をお話ししました。しかし、時には悪意をもって無断で相手の領分に立ち入る人がいるのは事実です。そこで今回は、悪意のある人からの個人への過剰な介入をさけ、被害を最小限度にする基本をめぐって話を続けます。

人とのつき合いの枠組み

当たり前のことのようですが、意外と多くの人がこのことを忘れて生活しています。人が社会生活を営むということは、できるだけたくさんの人とうまく関係を築けることが前提になると考えています。一時期のようなブームではないものの企業だけではなく個人が自ら参加する自己啓発のセミナーや書店のその類の棚の前に立つといったい誰がこれを読むのだろうかとその多さに圧倒されます。

そこでは人の弱みに付け込むように「コミュニケーション力」、「発信力」等々が対人関係の能力のようにいわれ、対人的なスキルアップを提唱しています。しかし、当たり前のことですが、人は誰とでも親しくなればよいというものではないですし、なれるわけでもないのです。

円滑に仕事をすすめるうえでは得意先と親しくなった方が得だと考えている人が多数派だからでしょう。ですから酒を飲むなどの時間外のつき合いも仕事の内だと割り切れる。この過程を利用して自分も楽しんでしまう人もいますから、おかしいなって思っても否定されにくいのです。

接待などを含む、時間外の対応は取引の必要条件、時には絶対条件だと考える人もいます。信頼関係だけで取引は成り立たないといわれることもしばしば聞かれるのですが、それだけに、あれだけ親密になっていたのだからと思いつつも、結果として取引が成立しなければ、期待が大きい分、落胆も大きくなるのです。

しかも仕事上での必要以上の親密な関係は、本来の自然に成り立った関係ではないのですから、裏切られた気持ちが生まれてお互いが傷つけ合う危険をもはらんでいます。

自分は誠意をもってつき合ってきた。あるいは誠実に先方と接しているのに先方はそれを認めてくれなかった、と思ってしまうとその次に人は自分の問題ではなくて一方的に相手の問題にしてしまう人もいます。以前にお話しした外罰的な感情処理ですね。

逆に外罰的ではなく、仕事のうまくいかないことの原因が取引上のことではなくて自分の人間性の問題のように感じられてくる人は内罰的な傾向があります。ですがどちらにしてもうまくいかないという葛藤は不安やいらだちの原因になります。

解決できない葛藤でも人に話を聞いてもらったり、時には人には聞かせられないような悪口を言い合うことで、高じているいらだちを収めることもできますが、これも職場の雰囲気でできる場合とできない場合に分かれます。困ったことは支えあおうとする雰囲気があるのかどうかにかかっています。

どちらにしても仕事場を離れたときにも恨みがましい気持ちに縛られないような対応策が必要なんです。しかし、根本的な対策は職場全体が人との関係に、一定の距離を持つような、人と人との関係に枠組みを持つことを確かめ合うことから始めるしかありません。

人とのかかわりには準備が必要

人との一定の対人的な距離、これは人によってとれる距離が違います。

試せることとしては、関係の希薄な人が突然に親しそうに現れると奇異な印象を受ける人と、そんなに不自然なこととせずに相手と打ち解けてしまう場合があります。

どちらにしても自分で負担を感じるような、無理な接近や対応はしなくてよい、が基本です。

かかわり始めは、だれでも相手のことがよくわからないのが当たり前。こちらが無理すれば先方も無理をしていると思うことが大切なんです。相手の言動に不安を覚えているときはだいたいは相手も不安なものです。ポイントはその不安は、お互いを守るための大切な信号で対人能力の決め手となる感情なんです。対人接触の際の貴重な感覚だということです。対人関係の距離を保つための手がかりは自分の感覚なんです。

話をしていて「疲れるな」って思ったらサインとしては黄色が点滅です。そんなときには時間を区切りましょう。「次の仕事の準備の途中で10分ほどしか時間がありませんがよいですか」などと話し、時間が来たら話を切り上げて必要ならば時間の予約をします。その対応を押しのけてかかわってこようというタイプの人は赤信号。

何を話したいのかわかりにくいときにも無理に詮索せずに「では、また次の時に」と話し、相手に不信感や警戒心を抱かせないような終わり方がよいでしょう。ほどほどの距離というやつです。ときに「ここだけの話」ということを持ち出そうとされる方がありますが、仕事に関連したことであれば「そんな大事なことは私一人では承れない」とはっきりと伝えたほうがよいのです。悪意を持つ人の中には「秘密」というエサでワナを仕掛けてくるときがあるので注意しましょう。

見えない関係を見えるようにする

『かくれた次元』『沈黙のことば』などの著作で知られるアメリカの文化人類学者エドワード・ホールは、人と人との距離について「隠れた次元」があることを示しています。これはプロクセミックスと呼ばれその距離によって「密接距離」、「個体距離」、「社会距離」、「公衆距離」に4分類されるのですが、近い距離が必ずしも親密というわけではなくて小児虐待のように暴力との関係も示唆されています。

つまり愛するほどの近さは保護的態度を生むけれども、と同時に強い嫌悪が生まれると受入れがたさからの排除、時に暴力につながるというわけです。

「個体距離」とは人との関係を保てる距離のことです。会社や学校は「社会距離」なわけですが、これは行き来が自由にできる一方で個体距離までに近づくことも許容されると同時に、距離の短縮が希望しないのに求められる時もあるわけです。今回の連載のテーマであった医療の場はまさにこの「密接」「個体」「社会」距離がクロスする場所なのです。と同時に、外から見れば医療機関は「公衆距離」にもあたります。鉄道もしかりです。

しかし、「公衆距離」だけで関係がとどまっていれば、相手から隠れようとおもえば自らの意思で身を隠せるし、そこに人が倒れていても無視して去っていくこともできるのです。ですが、公衆の場において密接距離や個体距離による業務を求められている仕事、つまり医療や旅客輸送という仕事では個人的な怒りや、関係のない恨みが持ち込まれても逃げ場がなくなってしまうのです。

ヒューマン・スケールとパーソナル・スペースが守られること

人には身の丈にあった仕事とそれぞれに守りたい空間があります。

仕事場も家庭もその役割がありますが、すべての人の満足は得られないでしょう。

仕事場の過大な成果の要請や不適応を起こさざるを得ないような任務を与えられたり、逆に自分への自己評価の高さから自分の居場所になじめない人がおられます。常に不快感を覚えている人といってもいいでしょう。このような人はかなり大勢おられるということを対人関係の基本として念頭に置いておく必要があると思います。

私はこのような方々の課題を周囲の人々が解決できたらよいと思っているわけではありません。他者にはできないことでもあるでしょう。だからこそ、病院や旅客輸送業務のような業務上パーソナルな関係を保つ必要がある人たちには防御だけではなく退避する機会を逃さないような訓練をも課すべきだと考えているのです。これは攻撃からの防御というだけではなくて休憩時間やミーティング時間にも対人的なことで生じた気がかりや不満を開示し、共有するなどして混乱したり興奮しそうな人へは必ずチームでの対応を図るという、防御方法を明確にしておくことが勤務するうえでの最低条件として整備されていなくてはならないことのはずです。

病院も鉄道も夜勤や休日に関係なく一年365日休みなく動いている公共サービスですから、企業側の努力だけではなくて、そこに働く人たちを社会的にサポートしなくてはならない時代なのではないかと思います。

日本精神科看護技術協会会長
天理医療大学医療学部看護学科 教授
末安民生 先生