健康アドバイス(アーカイブ)

災害—事実を受け止める心

被災者のこころの空白

災害被害者の感情とは、その人にしか分かりえないものだと思います。
その人にだけに感じられる人とのかかわりがある中での孤立した感覚。今回は、その人に固有の被災体験ということについて少し考えてみます。

いつ、誰がどのような場所で、どのように被災したのかという体験は、他人から見ると「ある日のひとつの事実」ということになります。大規模な、とても悲惨な、予測を超えている災害、ときには事故としてとらえられています。ですがその体験はひとりの人の中でも実に多様で、想像を絶するさまざまな事実と意味とが併存したできごとなのです。よく報道される被災者の身近な表現としては、大規模な惨状のかたわらでも、道路一つを隔てて私の家族も家も無傷だった、という話があります。その人も被災者であるはずなのについ「運」という言葉を思い浮かべる人は少なくないはずです。自然の脅威の前での「運」の話はうなづきながら聞いているもののなにか釈然としないものが残ります。

確かに自分の身に起こったことではあるけども、目の前に広がる「被災地の全体と自分の体験との間には大きな空白を感じる」、と話された方がありました。他の被災者との間には単に体験的な違い、文字通り「距離がある」というのではなくて言葉に表せない、距離というのとも違う今までに体験したことのない目に見えない空白としか呼べない環境に置かれた自分を感じておられるのです。

この空白は他者との間だけに起きるのではなくて、ときには家族の中であっても生まれることがあるようです。なぜ私が助かり子どもの命は奪われたのか、代わりに自分が死ぬべきだったのだという強い衝動。それがかなわないとわかっているのに子どもだけではなくて、親を死なせた方の悔やむ言葉は「声にはならない、誰にも向けられない気持ちだ」というお話も聞きました。 自分は助かり、周囲からは生活も元の軌道に戻りつつあると思われる方が、自殺をしてしまった。助かったことが幸いなことと受け止められないということは何を意味しているのでしょうか。

衝撃と悲しみに向き合うとき

私は、被災者自身が悲しみを受け止めるという心のありようは、必ずしも一様ではないからなのだと思います。
被災がもたらす衝撃と悲しみはときには生きる意欲を奪い、自分が生き続けることに罪悪感をもたれる方もおられるくらいなのです。しかし、その一方で、被災した時も、時間が経過しても一見、他人の目には被災の影響を否定し、気丈な振る舞いをしておられる方もおられます。

衝撃の強さとさらされている悲しみがどのように渦をまいてその方を縛り付けているのかこころの中はわかりません。どちらの場合においても周りの人々はつい「自分になにかできることはないだろうか」「なにをしてあげたら生きる意欲は回復させられるのだろうか」と感じ、ときに行動します。
どのようにすれば悲しみは癒え、悲惨な状況を乗り越えられるのか。被災した事実を受容できることを手助けできないのかと考えるのは自然なことではあります。しかし、私はこの「被災→悲惨→支援→悲しみの乗り越え」の図式は危険な短絡図だと思います。

助けようとする人は「生きることを自然に肯定」しているんです。ですが、被災者は自然がまるで意思をもった「何者か」のようにして人に襲いかかった結果と向き合わざるをえない。誰でもが体験する可能性をもった自然の営みなのだけども自分の人生に到来したのはなぜか、「何者の仕業」なのか、その問いの前で立ち尽くすのです。

できることを示すこと

いったい人は自分の理解の範疇にはないものを受け止めることができるでしょうか。できないということを心的な外傷体験と「理論的な整理」をして援助として介入してよいのか疑問は尽きません。

私は、生命と生存の危機を脱した段階では、その被災者にしかない日常につき合うことが基本的な態度だと考えています。こちらが訪問者であるのだけどもやり過ぎない程度のもてなしをする。簡単にいえばお茶菓子を持って話を聞かせてもらう。
今回の震災では足湯桶の持参ボランティアがさまざまな場所に現われたと聞きました。その方たちを直接には知りませんが、おそらくは「先に語らない」のだと思います。「気持ちがいい」という言葉が発せられるのを待つのだと思います。
一方、大型の避難所でおびただしい数の医療班の手持ち無沙汰な姿を何度も見ました。私たち看護師はそこでの夜勤を申し出て県の許可をいただいて地元の保健師さんには夜間は休んでいただくことができました。
何しに来たとなじられても、自分の立場を説明しつつできることを探す。私たち看護師は夜勤ができる、不安で寝つけない、歩き回る人に合わせて半歩下がってその方の安全と、その場に休まれている人々の安眠を保てるような声をかけることができます。看護的なことでお手伝いができないか話し、しかし、提案に留める。決めるのは先方であると必要以上に前に出ない。

この場をしのげれば次の生活にご本人は入っていくことができる。身体と環境の安全をつくりだすことに専念している私たちの姿を見て、その方のその人らしさは生まれてくるのではないかと思います。気持ちが受け止めるのを急ぐのではなくて、自然な立ち居振る舞いのできる場所と時間をつくりだす。

悲惨な状況自体は納得できないということならば、否定したままでも良いのだと思います。被災を受け止めさせる援助ということではなくて、被災地の中にもかならずある人々の行き交う場所で、自分も日頃の立ち居振る舞いの輪の中に戻ろうとする、そんなときを生み出すことが援助者にできることなのではないでしょうか。

日本精神科看護技術協会会長
天理医療大学医療学部看護学科 教授
末安民生 先生