東日本大震災 心のケア(1)~被災地にいない我々に何ができるか~
大震災に対して企業ができること
マグニチュード9.0という未曾有の大地震、そして津波に襲われた3月11日から約1ヶ月が過ぎました。これからは震災の被害から、「どう復興していくか」に視点が変わります。インフラやライフラインの復興ももちろんですが、人間の権利の復興も重要です。家族や知り合い、家、財産、仕事とあらゆるものを地震と津波によって奪われた方々に対し、私たちはどう関わっていけるでしょうか。
支援物資・義援金を送るということもそうでしょうが、被災地以外であれば、企業ならこれまでの事業活動を存続させ、社員とその家族の生活を安定させ、同時にモノやサービスなどを滞らせないことが必要でしょう。
また、今までは被災地だからという配慮で経済活動を遠慮してきたことも、これからは被災地があるからこその経済活動に変えて行く必要があるでしょう。モノや人や時間を寄付することも大事ですが、自分たちの持ち場で得意とする分野の経済活動で被災された人たちを助けることができないか、その地域の力になるアイデアを企業が出し合っていく時期に来ていると思います。

津波によって手前の家は土台を残して消滅してしまっている。千葉県旭市。(撮影:島田健弘)
現地のことを「知らない」ということから理解する
被災地にいない私たちに何ができるのか。まず被災された皆さんが本当は何を求め、どう困っているかということを「知らない」ということを理解するところから考えましょう。被災地で情報を共有できるインターネットに接続できる環境はあるのか。そもそも重要な情報をラジオやテレビで流していても、それをメモできる紙やペンがあるのかというところから、考えていかなければなりません。
日本精神科看護技術協会を通して現地の看護師たちが何を必要としているか聞き込みをしたところ、白衣とナースシューズと言われました。正直言って、予期していない答えでした。早速、全国の病院に眠っている白衣を集めるようにお願いしました。被災者でもある彼ら彼女らは、おそらく気持ちを奮い立たせたり、切り替えたりするためのユニフォームとして、また誰が見ても医療関係者であるとわかるための証明として、白衣が必要だったのでしょう。防災服の効果や安全性よりも、それこそが現地で求められる大事なことだったのです。
現地で今は何が必要なのか。1ヵ月が経過して、今はある程度、避難生活の中でも秩序が生まれていますが、それでもひとつひとつ見ていくとまだまだ混乱していることは間違いありません。それまでの生活が奪われ、非日常が続いているわけですから。
負った傷は全員が同じ
被災されている方々は全員が傷を負っています。元気そうに見える人でも、実はご家族を亡くしたり、行方不明という方も多くおられるでしょう。一方で、悲しみに伏せってしまう人もいらっしゃいます。見え方は違いますが、負っている傷は同じなのです。ですから、ケガのトリアージ(症状により、救急隊や医師等により治療の優先順位を決定すること)のように優先順位をつけて不眠の人や食欲不振の人、周りの目が気になるというPTSDの症例が出ている人だけを対象にするのではなく、元気に仕事や活動をされている方々にも話を聞いたり、話せる場所と時間をつくるということが必要でしょう。
「自分に休憩は必要ない」と言う人ほど話を聞いてあげたほうがいいのです。家族を失う、家を失う、街を失う、地域が根こそぎ変質してしまっているという喪失感は、元気そうに見える人もそうでない人も違いはありません。自己表現の違いなのです。
けれど、自己表現の方法やそれまでその人が生きてきた経験、人間関係の作り方、感受性の違いなどで「見た目に違い」がでてきます。傷を負ったからみんなPTSDになるわけではありません。しかし、生きていれば誰もが心になんらかの傷を負っているのです。そのケアをするのに、本来なら優先順位などないはずなのです。
見守っているというメッセージを出し続ける
傷を負った人たちに我々は何ができるでしょうか?
それは関心を持っていると伝え続けることです。誰にも人生の目標がありました。週末に家族と旅行に行く予定があったり、友人と食事の約束があったりしたでしょう。そういう日常の目標があって生きてきたのです。いままで何を楽しみとして暮らしてきたか、どういう生活をしてきたのかと聞くことで、その人の生きてきた時間を共有できます。それはあなたに関心を持っていますよというメッセージでもありますから。
被災地に行けない人も、被災された一人ひとりに生活があるということを、見ているぞ、心配しているぞと伝え続けることが大事です。それはどんな機会でもいい。支援物資のダンボールの箱に「心配しています」と書くだけでもいいのです。
「心を寄せる」という言葉がありますが、発信されないと伝わりません。発信はどんな形でもいいのです。
今後、被災者の非日常は何年何十年と続きます。その人たちに、忘れないでずっと「心配している」「関心を持っている」というメッセージをそれぞれの場所から送り続けることが大切なのではないでしょうか。
(取材・島田 健弘)

日本精神科看護技術協会会長
天理医療大学準備室 教員
末安民生 先生