健康アドバイス(アーカイブ)

これからの時代を生きる ~精神科看護の視点から~

互いに確かめ合う存在として

東日本大震災、多くの人々の暮らしと意識を変えたこの一年。自分なりの生活の豊かさを求め、穏やかな時間を過ごしたいと思う人々の期待は、少しずつ広がっています。

この連載では、こころの病の周辺を辿りながら社会と家族、生活と仕事との関係などについて考えてきました。一区切りつけるにあたってこの一年を振り返りながら、改めてわが国の人々の暮らしの今を考えてみたいと思います。

年明け早々に被災地で生活する看護師と話をする機会がありました。
自分たちも被災しながらも毎週一回、仮設住宅で近所の人たちとの話し合いの場を設けている看護師たちです。
看護師にとって避けられない夜勤のやりくりなどもしながら足かけ一年、その場に居合わせた方々の話を聞いたり、困っていることの解決策を一緒に探ったりしているまじめな人たちです。

その日、私は同じ看護師として彼らとともにこの一年を振り返っていました。
その中で私は最近メディアに取り上げられたある学者の言葉について怒りがわいていることを伝えました。
それはこの震災に際して看護師に限らず、避難を余儀なくされている人たちを助けている人々を指して、「そのような自己犠牲的な活動をするのは自分が被災の現実を知って何もしないでいることに耐えられないからである。何もしないでいてのちに後悔したくないという思いからの行動であり、自分が見過ごすことによって生じる罪悪感を回避したいからである」と述べているのです。

つまり人助けは自分中心の利己的な行動だと言っているのです。なんとも一方的な解釈です。
自然と原発の惨禍に置かれた人々に対して、いわば素手で行動する人々は、目の前の現実を見過ごすことができないという自分の気持ちに正直に応えているだけなのです。

時に避難所に押し掛けるようなボランティアのことが語られるなど、たしかに奉仕を装うだけの人もいるでしょう。
ですが、その少数の人々とやむにやまれぬ気持ちによる行動を同じ枠組みの中に閉じ込めるのはその学者自身が自らの解釈に縛られているだけではなく、自らの罪悪感を回避しているにすぎないと思います。

自らの存在を肯定して、お互いに存在を認め合うこと、相互承認によって窮地にあっても暮らしを成り立たせること。
富むほどに持ちたくなるさまざまなものを両手から降ろして立ち止まり、周囲を見渡して人の動きに目を配る、そんな考え方がこれからの人の暮らしの中心になっていくのではないかと思います。

相互承認、お互いの存在を認めるには求めるときにそばにいることが必要です。
人それぞれの「求めるとき」に、遠くにいたとしても一緒の時間を過ごせるよう、可能な人が動いていくこと。
それは、そばに近づける人から、気持ちはあるけれども今は動けない人々にも、今何が起こっているのかを人を介して伝えていくことから始まるのです。

冒頭の話に戻りましょう。この被災地の看護師たちの活動は、人が出会うことのできる大切な場づくりをしてきたわけなのです。
しかし、彼女たちにも悩みはあります。夜間勤務などを調整して時間をつくり続けることは並大抵のことではなく、正直に言えば、少々疲れてきていたのです。
彼らの言葉をそのまま用いれば「大事なことなことだとは分かっている。だけど終わりが見えないことがつらい」というのです。継続は力と簡単にいいますが、継続には維持する力が必要なのです。
ちょっと重い話になって一同が沈黙した時です。一人の看護師がその場で起こったあるできごとを話し始めました。

それは震災後に生まれた赤ちゃんをめぐって起こりました。
その日、一人の女性が赤ちゃんを抱えて話し合いに参加していました。ひとしきり赤ちゃんの話題が語られた後にその赤ちゃんを隣の方が可愛いわね、と抱かせてもらったそうです。
そのときにその若い母親が「うちの子が親戚以外に抱かれるのは初めてです」と話され、その席はあたたかな雰囲気に包まれたそうです。
誰もが何か意図をもってその場に参加したわけでもなかったのですが、お互いの存在を確かめ合えた時間だったのでしょう。

これまでの連載では、こころに悩みを持ってしまっても、誰か自分を見守ってくれる人のそばにいられること、もし、それが難しければ専門家、医師や看護師のみならず、精神科関連の医療機関のスタッフに助けを求めること。
でもこころの悩みや精神の「変調」をきたしてしまったその渦中の人にはそれも難しいので、体力的精神的に余裕のある人が声をかけてほしいとお話ししました。
自分を見守ってくれる人の存在はとても大きな支えの力になるからです。
誤解を受けるかもしれないですが、あえて言えば一時的にせよ安心して混乱していられるようにしてあげることが周囲の役割でもあるのです。

お互いの存在を確かめ合うことが難しい時代だからこそ、苦しい時につき合ってもらえるような人、援助者を探し出すこと、これが今の時代の「これから」を健康的に生き残れる鍵だといえると思います。

(取材・島田 健弘)

日本精神科看護技術協会会長
天理医療大学準備室 教員
末安民生 先生