チーズと寛容
子供の頃は大嫌いだったはずの食べ物が、大人になってから何故か好物になる、というのは私に限らず多くの人に心当たりがある事だろう。身体の成長や食生活の変化に適応した舌が美味しいと認めるようになる食べ物……その多くは発酵食品だと思うのだが、私にとってはチーズがそれだ。
未だに英語の『プロセス』という言葉を聞くと、それがどんな用いられ方をしていようと、私は自動的に『プロセスチーズ』を思い出してしまうのだが、日本人にとってチーズといえば、ついこの間まではあの類いを意味していた。西欧の食文化で何十世紀も前から発達してきた、ありとあらゆる種類のチーズが、日本でも市民権を持てるようになったのは、ワインがブームになり始めたバブル期くらいからなのではないだろうか。
でも、よく考えてみれば、日本人が世界の多様なチーズをここまで受け入れられたというのは、実に画期的で、日本人の舌の並外れた寛容性と順応性を意味するものでもある。
恐らくどんな国にも、捨てられて当然の腐り方であっても、止むなき事情から食品として扱われるに至った発酵食品というものが存在すると思うのだが、例えば日本の納豆が、欧米で今の日本におけるチーズのように、味覚の偏見の壁を越えて受け入れてもらえるような日が、いずれ来るのかどうかは疑わしい。
食文化に保守的なナショナリズムが定着しているヨーロッパに暮らしていると、ワインやオリーブオイルだけでなくチーズですら、その地域のものしか手に入らなかったりするので、日本のデパ地下でフランスやイタリアといった国々の、現地でも個性的とされる強烈な味覚や臭いのチーズが陳列されている光景は、何とも感慨深いものがある。それだけではおさまらず、そういった世界の特殊なチーズが日本の各地でも製造されているというのだから驚きだ。
以前、北海道のとある乳製品会社の御曹司にイタリア語を教えていた事があったが、彼はイタリア北部のブレーシャという街にゴルゴンゾーラの製造技術を学びに行く準備中だった。前にも書いたけれど、やはり「食文化」というカテゴリーだけに絞れば、日本の外交能力は他国にくらべて突出している。
とはいえ、私が子供だったころはチーズなんて色気も素っ気も感じられない食べ物だったし、こんなものを美味しいと思う人の気が知れない、とすら感じていた。
14歳の時に一人旅で初めてフランスへ行った時、リヨン郊外にある田舎のフランス人家族の家で、私は臭いも味も信じられない程強烈なチーズを食べさせられて、倒れそうになった事がある。大袈裟だが、長旅の疲労感と、言葉のわからない国でのひとり旅という緊張感も重なって、私の胃腸は相当に弱っていた。そのときテーブルに出されたのはサン・マルスランという、その家族の暮らす小さな町と同じ名前のついたチーズで、私にとっては初めて食した「黴のついた乳製品」だった。そんな先入観にも逆らえず、体力も食欲もお手上げの状態になって私はその方の家で数日寝込んでしまったのである。
しかも次の目的地に向かう日、私はこの家のお婆さんから「お土産だよ」と、いいあんばいに熟成したサン・マルスラチーズを10個も持たされて、ドイツまでの道のり、冬で暖房の入った列車のコンパートメントでは同室の人々に大顰蹙を買いながらの移動となったのだった。
今振り返ればあの中2の無謀な彷徨い一人旅は、味覚の修行も兼ねていた。ドイツでも、その後再び戻ったフランスでも、私はまるで「欧州を知りたいのなら、酒の味を知る前にまずチーズの上手さを把握しろ」と示唆されていたかのように、とにかくどこでもかしこでもチーズを散々食べさせられた。そのお陰もあって、数年後に留学でイタリアへ渡った時は、私の熟練させられた舌はハードルの高いチーズを口にしても、難なく美味しいと思えるようになっていたのだった。
そういった経験を踏まえて考えてみると、味覚の外交力というのは、儀礼的に無理矢理美味しいと思えないものを食べるところから、寛容性の増長が始まるのかもしれない。お酒だって最初は全然美味しいと思えないものを、大人になる儀礼として味覚後回しで飲むようになるものだと思うが、お酒によって私達の味覚は更に幅広く奥深くその貪欲さを増すようになるのだろう。
チーズというのは、地球上にある加工食品の中でも突出して歴史の古いもので、その期限は先史時代にまで溯ると言われている。ヨーロッパではヘレニズム時代にメジャー化していったようだが、元々は大事なタンパク源であった動物の乳を保存する方法としてつくられていたものらしい。古代ローマでも、チーズは既に日常の嗜好品として多大な需要があった。当時から既に、日持ちしないフレッシュタイプのチーズ、そして日持ちする熟成タイプの2種類が存在していて、我が大博物学者のプリニウス先生が好んでいたのはカセウス・ビデュニスという熟成タイプのチーズだった。塩分のある牧場で放牧された動物から搾取した乳でつくられる為に、ほのかな塩気が利いていたらしい。
いろいろ調べてみると、現在の南フランスに位置する属州ガリアで生産されていたとされるチーズも、イタリア半島の諸地域でつくられていたチーズも、今でもその場所へ行けば手に入るものと、実際味も製造法も何十世紀も前からそれほど変化していない、というのも興味深い。更に古代ローマ人達は、これらのチーズを食材としても盛んに用いており、様々なチーズ料理がテーブルには並べられていたようだ。
それくらいチーズを愛して止まなかった古代ローマ人達は、同時に属州各地域の珍味も賞賛できるほど味覚が発達していたとされるが、その舌の肥えっぷりも、入浴の習慣と同じく日本ととても似ている部分だと思う。ただ、彼らの味覚の寛容性については、あれだけの繁栄を叶えられた社会的外交能力ともシンクロしていたから解り易い。
昔何かのドキュメンタリー番組で、ドリフターズの故いかりや長介さんがどこぞのアフリカの部族の村で、歓迎の儀礼として村の人々が唾液で発酵させたお酒を飲まねばならなくなるシーンがあったが、それをやってのけた長介さんは、全く日本人とはかけ離れた生き方や考え方をしているこの村の部族から熱く迎え入れられ、小さな外交を立派に成立させていた。
味覚と限らず、各国の人間社会における外交も自分たちの慣れ親しんだ習慣や考え方のまま進んでいくのでは、いつまで経っても平和というものには達していかないのではないだろうか…… 昨今の世界情勢をニュースで追いながら、戦争なんかをする前に、まずみんな一つのテーブルを囲んで、世界のチーズや発酵食品を食べ合って、見た目もナニだし臭いけど食べてみたら美味しいじゃん、なんていうやりとりが出来たら何かが変わるのでは…などと取り留めも無いことを考えてしまう漫画家の脳味噌なのであった。

著者:ヤマザキマリ (やまざき・まり) 氏
漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。
1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。
2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章綬章。
著書に『国境のない生き方』(小学館)『男性論』『ヴィオラ母さん』(文春新書)『パスタ嫌い』(新潮社)『スティーブ・ジョブズ』(講談社)『プリニウス』(とり・みきと共作 新潮社)『オリンピアキュクロス』(集英社)など多数。