食のエッセイ

豆のエゴイズム

 イタリア人は豆が好きだ。“パスタ・エ・ファジョーリ”という庶民料理はイタリア全土で食べられているが、形が崩れるまで煮込んだインゲン豆に、ペンネなどのショートパスタを混ぜた見た目は決して洗練されたものとは言い難い。しかし、食材費は安くて済む上に腹持ちがするこの一品は、イタリア人の日々の生活にとって欠かせない大事な豆料理でもある。

 そんなイタリアの中でも、特化して豆の消費量が高いのはトスカーナ地方だと言われている。確かにフィレンツェで貧乏学生をしていたころは、常に豆を食べていた。代表的なものには白インゲンのトマト煮込み“Fagioli all’uccelletto”や、“Ribollita”と呼ばれるミネストローネの煮込み過ぎみたいな料理があるが、安上がりでできてしかも作り置きも利くのでしょっちゅう作って食べていた。

 夫の実家があるベネト州では、トスカーナほど豆を使ったレシピは多くないように思うが、家の裏に広大なマイ豆畑を持っていた姑は一時期、毎日のように豆料理をこしらえていた。トスカーナではトマトと煮込んでいた豆の付け合わせが、ベネトになるとハーブやお酢で和えた地域の特徴的な味付けとなる。豆はとにかく体にいいから食べなさい!と、彼女が家族に半ば強制的に振る舞う豆料理はインゲンに限らず、レンズ豆からヒヨコ豆に至るまで種類の範囲は広い。

 特にこれからの時期、年末年始にはイタリア中の家の食卓には、食べれば食べるほど金持ちになるといわれるレンズ豆の煮込みを始め、各種豆料理が並ぶようになるが、イタリアのこうした豊富な豆料理文化のその背景には、古代から構築されてきた食文化がしっかりと関わっているのである。

 古代ローマ帝国が最大領域だったころの属州に含まれていた、メソポタミアやエジプトといった地域では、既に何千年も前から豆が食されていた。古代ローマの料理研究家であるアキピウスの料理本にも、レンズ豆やうちわ豆、ひよこ豆にそら豆、えんどう豆といった多様な豆類がバルサミコ酢にちかいビネガーや古代ローマ時代必須の調味料ガルム(魚醤)を用いたレシピとして紹介されているが、属州が増えたことで豆を使った料理も種類が増えたはずだ。

 豆と古代ローマ人との関係性は食文化だけに留まらない。ちなみに古代ローマ時代の人名にはフラウィウス(そら豆)など豆に因んだものがいくつかあるが、哲学者のキケロは、鼻のかたちがひよこ豆“Cicer”に似ていることから(厳密にいえばひよこの嘴に)「キケロ」と呼ばれるようになったと言い伝えられている。

 現在ヴァチカンのサン・ピエトロ広場の中心にある古代エジプトのオベリスクは紀元40年に船でエジプトから搬入されたものだが、運搬の際に緩衝材として用いられたのがなんと膨大な量のレンズ豆だったという。緩衝材として使われたあとのレンズ豆は食材として市場で取引されることになるわけだから、合理的この上ない。このように、古代ローマ文明と豆との関係性は想像していたよりもずっと密接なものだったのである。

 博物学者の大プリニウス先生によれば、豆は貧乏人が腹を膨らませるために食べる貧しい食材と称しているが(おそらくお育ちの良いプリニウス先生は豆があまりお好きではなかったのだろう)、その後医師であるガレノスはタンパク質やビタミンなど豆には豊富な栄養が含まれていることを察し、金持ちにも積極的に摂取を推奨するようになる。

 紀元前の古代ギリシャやエジプトにはかつて地球の生命の起源を宇宙とする「パンスペルミア説」という古い信仰があったが、当時その名前を取ったあらゆる種類の豆を煮込んだスープが存在し、神への豊穣祈願として春の種まきの時期に食べられていたという記録も残っている。地中海文明を豊かに潤した数多くの穀類の中でも、豆は当時からいかなる経済状況の人間であろうと、空腹を満たし、健康を約束し、明日への活力を与えてくれる重要な食材として人々の暮らしを支えてきたのである。

 西洋で豆といえばここに取り上げてきたインゲン豆やレンズ豆などが代表的なものと言えるが、日本では、やはり弥生時代に中国からもたらされた大豆が豆の代名詞だと言えるだろう。

 インゲン豆が日本で普及したのは今から400年程度前、17世紀になってからのことだそうだ。隠元という僧侶が中国から伝授したのでインゲン豆と呼ばれるようになったらしいが、大豆に比べればその歴史は浅い。普及したところで大豆ほどの市民権は得られず、インゲン豆は未だにどこか余所者扱いを受けている豆だと言える。要するに豆は麦や米といった穀類と違って、それほどグローバル化が進んだ食材というわけではないのである。

 東京での滞在中、イタリアや中東や南米の豆料理が懐かしくなって作ろうと思い立つことがある。しかし、近所のスーパーへ買い出しにいっても、欧州のように既に茹でられた状態で缶詰になっているインゲン豆などはほとんど見かけない。インゲン豆類については乾燥したものを調達して水に戻して使うのが日本では一般的で、缶詰の水煮が欲しかったら西洋の食材が売っているスーパーへ出向くしかない。

 逆に、大豆は20世紀初頭まで東アジアに限定された食材であり、世界に普及したのも人間の食材としてではなく、飼料作物としてである。確かにアメリカやヨーロッパでは、大豆は健康食品店などに行かなければ手に入らないところが未だに多い。

 大豆といえば、イタリアでの学生時代、納豆が食べたくてたまらなくなり、健康食品店で乾燥大豆を買ってきて、極秘で入手した納豆菌をもとに納豆の大量生産化を試みたことがあるが、結局温度管理を失敗したせいで納豆を入れていた容器が大量の小蝿の飼育場と化してしまったことがあった。シリア在住時にはどうしても豆腐が食べたくなって、やはり日本から持ってきたなけなしの乾燥大豆で実験を試みたが、最終的にはしょっぱい豆乳が出来上がったに過ぎなかった。ポルトガルに暮らしていたときはどうしてもお汁粉が食べたくなって健康食品店であずきを調達したが、これもやはり思ったような仕上がりにはならなかった。あの頃の私にとって、確かに大豆は自分から果てしなく遠いところにある食材だった。

 考えてみたら、豆料理はやはりその地域に保守的なものが多いように思う。中南米の諸地域では黒インゲンを使った料理、中東各国ではそら豆を使ったファラフェルやひよこ豆をマッシュしたフムス、中国では豆豉や豆板醤に豆腐、日本でも同じく豆腐に味噌、醤油に納豆など、豆の料理には地域性が濃く現れるし、素材となっているのはやはりそれぞれの地域原産か、または古くから用いられている種類の豆だということがよくわかる。豆というのはなかなか気骨があり保守的な食材なのである。

 イタリア留学時代、安価でお腹を満たすルピーニ(うちわ豆)の水煮を大量に食べたところ、中毒症状を起こして病院送りとなったことを思い出した。豆は体を健康的にしてくれながらも、人体には危険な毒素を含んでいる場合もある。豆にしても、やはりそう簡単に人間のような雑食の生き物にばかばか食べられているばかりでは遺伝子を残していけないから、それなりのやり方で抗っているのだろう。そして私のような塩梅のわからない人間が的確に腹痛というジャッジを下されるというわけだ。

 豆には豆のエゴイズムがある。などという取り付く島もない考察をしたところで何の役にも立ちそうにもないが、世界を転々とする中で何気に豆で苦労してきた身としてはついそんなことを考え込んでしまうのだった。

2022.11

ヤマザキマリ氏

著者:ヤマザキマリ (やまざき・まり)

漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。

1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。

2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章綬章。

著書に『国境のない生き方』(小学館)『男性論』『ヴィオラ母さん』(文春新書)『パスタ嫌い』(新潮社)『スティーブ・ジョブズ』(講談社)『プリニウス』(とり・みきと共作 新潮社)『オリンピアキュクロス』(集英社)など多数。