食のエッセイ

人類の文明を支える"栗"の威力

 この夏、1ヶ月ほど東京に来ていたイタリア人の夫が、滞在中最も多く消費した食べ物は間違いなく「栗饅」だろう。結婚して20年、過去にも日本へは何度も訪れているし、その都度日本の食文化の多様性とそのクオリティの高さに胸を躍らせていたが、栗饅の存在に気がついたのは今回が初めてだったという。コンビニでお弁当を買って温めてもらっている間、ふとレジの傍の籠の中にある、つややかな楕円形の菓子に目が止まった。

 「呼ばれた気がしたんだ」と夫はその時の心境を表している。「これは間違いなく自分好みの食べ物であるという強い予感があったんだ」

 旦那の予感は見事に的中した。一口頬張った栗饅の味覚と食感に全身全霊が法悦状態に陥ったという。こんなに美味しいお菓子を20年も知らずにいたことを心底から悔やまずにはいられなくなったそうだ。

 「さあ、君もほら、食べてごらんよ!」

 長野の上高地へ向かって運転中の私の口元に、袋から取り出した栗饅を押し付けてこようとする夫に、後部座席の息子が「美味しいのはわかるけど、そうやって一方的に自分の嗜好を他の人にも押し付けるのはダメだよ」とやんわり嗜める。私もそれに便乗し「ごめん、私は栗饅ってあまり得意じゃないんだ」と伝えると、夫の顔にはたちまち失意と悲しみが浮き上がった。

 「どうしてこんな美味しいものを…君たちの味覚は大丈夫かい?」などと心外そうに嘆くので「栗饅って、どちらかというと年配の人の嗜好品だし、今時の若者はあんまり食べないと思うよ」と思ったことを口にすれば「だって君はもう若くないじゃないか!」と配慮のかけらもない心中の思いがストレートに戻ってくる。わたしをイラつかせてまで推したくなるほど栗饅が好きなのかと呆れるも、よくよく考えてみれば夫は“無類”の栗好きであり、それ以前にイタリア自体が世界屈指の栗推し国家だということを思い出したのだった。

 モンブランといえば、素麺状の黄色い栗ペーストが生クリームの上でトグロを巻いている、日本の洋菓子界においては重鎮的存在とも言えるケーキだろう。モンブランが日本で普及するようになったのは昭和初期のことだが、もともとはどこの国の菓子なのか、その出自を詳しく知っている人はそれほど居ないのではないだろうか。Mont Blanc(白い山)というヨーロッパアルプスの名峰のフランス語読みから察して、フランスかスイスあたりが発祥地ではないかと思い浮かべてしまいがちだが、モンブランはもともとイタリア・ピエモンテ州の家庭菓子であり、イタリア語の名称だとMonte Bianco(モンテビアンコ)ということになる。

 イタリアで画学生をしていた頃、仲良しだった女友達の実家がまさにピエモンテ州の北西部にあるフランス国境の小さな町で、一度遊びに行った時に、彼女のお母さんが私の目の前で名物のモンテビアンコを作ってくれたことがあった。大きな鍋の中には既に剥かれた茹で栗が入っており、それを潰してマッシュ状にしたあと、バニラエッセンスと牛乳を加えて砂糖で煮詰め、更にラムとココアパウダーを入れて滑らかなペースト状にしたものを、大きな皿の上に尖った山のような形に盛り付ける。この家では、ペーストをうねうねとした素麺状にする器具を用いず、山の形に持った栗のペーストの上から、フォークで縞模様を施していた。

 ちなみに日本のモンブランが黄色いのは、栗きんとんをアレンジしたペーストだからだそうだが、ピエモンテのオリジナルバージョンは、イタリアの栗の種類によるものなのかまさに“栗色”で、しかもそこにカカオが加わるので出来上がりはほとんどチョコレート色になる。この時点でのモンテビアンコは噴火したてで土が剥き出しになった火山のようにしか見えないが、決め手はトッピングの生クリームだ。これをその山の上に積もった雪のようなあんばいで盛り付けていくことで、アルプスの名峰が完成するというわけである。

 できあがったモンテビアンコは、大きなヘラやスプーンで雑に崩され、それぞれの皿に盛り付けられるだけなので、日本のモンブランのような上品で可愛らしい様子で振る舞われるわけではない。そういえば一時期日本で一世風靡したティラミスにしても、イタリアでは大きな容器にこしらえたものをヘラやスプーンで掬い、そのままどさっとそれぞれの皿にダイナミックに盛り付ける家がほとんどだ。それが日本でアレンジされたとたん、どれもこれも洗練されたスタイルに整えられるので、本家本元イタリアへ行ってこうしたオリジナルのイタリア菓子を食べる場合、実際はずいぶんガサツな盛り付けなのね、と驚く人もいるだろう。

 ちなみに、このモンテビアンコは、イタリア各地で食べられている栗料理のごく一部である。デザートだけではなく、スープからパスタ、肉料理に至るまで栗を使ったレシピはいくらでもあるが、我が家のお姑は秋になると田舎から大量にもらう栗を砂糖で煮てジャムに加工し、隣近所に配り歩いていた。

 秋から冬にかけて、イタリアへ行ったことがある人ならご存知かもしれないが、ローマやフィレンツェなど街の通りのあちらこちらに移動焼き栗売りが現れる。コーンの形に巻いた藁半紙の中にその場で焼けたばかりの栗を10個ほど放り込んで、3ユーロくらいの価格で売っているのだが、思えばイタリアで留学を始めた今から38年前の17歳の秋、所用でローマに数日滞在していた私は、毎日フォロ・ロマーノやトライアヌスの市場と言った古代ローマ遺跡あたりを当て所もなく徘徊しながら、通りで買った栗をひたすら食べまくっていた。私にとってのローマで最も印象的な食べ物といえば、カルボナーラでもローマ風アーティチョークでもなく、ズバリ通りで買い求める焼き栗であり、それこそ時代を二千年近く遡らせれば、栗は当時からすでに多くの人々の食生活を支える大切な食材だったのである。

 大プリニウスに至っては当時の栗の種類を剥きやすさ、味覚、食感、消化の良さなどで分別し、その適切な保存方法まで明記しているくらいだから、彼自身相当な栗好きだったと思われる。しかも、ポンペイやエルコラノから出土される家具には栗の木材を使ったものが多いことから、栗は食材としてだけではなく、人々の生活のあらゆる場面で便利に活用されてきた樹木だったことが窺える。

 ヨーロッパで見つかった世界最古の栗は氷河期前の層からだったそうだが、古代ギリシャでも栗は高価な栄養をもたらしてくれる食材、そして薬剤としても重宝し、その処方は何世紀にも渡って伝授され続けてきた。

 例えば、偏頭痛に悩まされている人は栗の葉と皮を沸騰させたお湯を飲めば緩和され、心臓に疾患がある人には生の栗、脾臓に疾患がある人なら焼いた栗を食べれば効果があるらしい。さらに胃や肝臓が悪い人には焼いた栗に蜂蜜をかけて食べることが推奨されている。栗と蜂蜜のコンビネーションは解熱効果もあり、さらにプラムと一緒に食べればペストのような疫病予防にもなったという。

 こうした万能薬的な性質を持つこともあり、その需要率はどの時代においても衰えることがなかったが、中世の人口増加期には栗の栽培範囲もますます拡張され、イタリアの栗はクオリティの高さゆえに、1400年代にはロンバルディア州産の栗がパリで高価格で取引されていたという記録が残っている。

 小麦やその他の穀類が戦乱などで入手困難になると、人々は栗を粉にして代用するようになる。後世も戦争だけではなく飢饉などに脅かされると人々はこの栗粉で飢えを凌いでいたが、何せ栗は高タンパクでカロリーが低く、ミネラル成分が豊富でビタミンCやB1 B2といった水溶性ビタミンも含まれているという優秀極まりない食材なのである。日本の縄文時代を含む太古の昔から現代に至るまで、人々がこの木の実を常に食べ続けてきたことには、そうした歴然とした理由があるのだった。

 このように、人間の文明を支える要素が盛り沢山の栗は場所によって正義の象徴とされていたらしい。また、ヨーロッパでは“隠された美徳”や“普遍の信仰”を表すものとして、栗をデザインした家紋を使っている家もあったそうだ。栗はまさに人類の文明とともにその確固たる存在感を保ち続けてきた、至上最高のスーパーフードなのである。

 と、ここまで調べながら書き続けてきて、今更ながら夫の栗饅嗜好を頭からバカにしてしまったことを少しばかり反省している。

 スーパーフードである栗が大好きで、栗饅の発見に歓喜していた彼をもっと寛容な気持ちで受け止めてあげるべきだったかもしれない。たとえ私が栗饅の積極的な支持者ではなくても、栗へのリスペクトさえあれば、夫が押し付けてきた栗饅を自分が考えているより美味しく頂けたかもしれない。でも、残念ながらあの時点では、私にとっての栗饅の印象は、祖父母の家に遊びに行った時の、振る舞われても全く嬉しくないおやつでしかなかった。栗を使ったお菓子には子供への媚びが全くない。贈答でいただくマロングラッセの、子供にはハードルの高すぎる酒を使った味の残念感も忘れられない。ケーキの詰め合わせを頂けば、子供達で分け合って一番最後に残るのはモンブランだった。「自分はこのままでいい。このままで何が悪い。嫌だというやつは食べなけりゃいいだけだ」とまでは言わないが、なんだかそんなような、時代の流れや地域性などに媚びなくても常に受け入れられてきたグローバル食材としての確固たる意識が、トゲトゲのイガに包まれた栗には感じられてしまう。庶民的なフレンドリーさを備え持ち、寛容寛大でありながらも、人類の文明にこれだけ長く食材として君臨し続けてきた確固たるプライド。歴代の偉人に置き換えるとすると、フビライ・ハーンみたいなものだろうか… 

 とりあえず、このエッセイを書き終えたら、早速近所のコンビニへ行って栗饅を買ってこようと思っている。

2022.09

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[ご案内]
フジ日本精糖のサイトでもエッセイを連載をしているヤマザキマリさんの展覧会「ヤマザキマリの世界」が開催されます。
ご興味のある方は、ぜひ足をお運びください。

展覧会「ヤマザキマリの世界」

東京造形大学附属美術館:2022年10月25日(火)〜11月26日(土)
ZOKEIギャラリー(12号館1階):2022年10月25日(火)~11月18日(金)

時間:10:00〜16:30(最終入館時間 16:00)
※11月7日(月),11月25日(金)は19:00まで(最終入館時間 18:30)
休館日:日曜日,祝日
観覧料:無料

主催:東京造形大学附属美術館
東京都八王子市宇津貫町1556
TEL:042-637-8111(東京造形大学代表)

【ヤマザキマリの世界|展覧会公式サイト】 https://yamazakimari.world/

ヤマザキマリ氏

著者:ヤマザキマリ (やまざき・まり)

漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。

1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。

2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章綬章。

著書に『国境のない生き方』(小学館)『男性論』『ヴィオラ母さん』(文春新書)『パスタ嫌い』(新潮社)『スティーブ・ジョブズ』(講談社)『プリニウス』(とり・みきと共作 新潮社)『オリンピアキュクロス』(集英社)など多数。