食のエッセイ

臨終ポルチーニ

 この時季、森の中や林を歩いていてキノコを見つける度にふと思うのだが、世界でいちばん始めにキノコを食したのは、一体どこの誰だったのだろう。世の中には「これを初めて食べようと思った人の動機は一体…」と思わせられる動植物がいくつかある。ナマコ、海鞘(ほや)。様々なグロテスクな形の甲殻類。人間の想像力というものは、雑食性の生き物である以上空腹にさえ支配されてしまえば、それほどの機能を為さなくなるのかもしれない。でも、ナマコや海鞘の事を考えると、森の中に様々な植物と一緒にひっそり生えているキノコは、例えその色彩や形状が時に奇抜なものであっても、口にする事を躊躇させるような雰囲気ではないから、おそらく原始の時代から人々が食べてきたものなのだろう。それで美味しかったりお腹を壊したり幻覚を見たり、思いがけない様々な目にもあってきただろうけれど、それでも何百何千年もの間、人間の食文化にとっては欠かせない食べ物という位置づけを保ち続けてきたのだ。

 古代ローマ人はキノコが大好きな人達であった。アキピウスの記した料理本にもキノコの調理法がいくつか出ているが、今でもイタリアで珍重されている高級キノコ・ポルチーニ(ヤマドリダケ)は、既にその当時から食されていた。ポルチーニ茸を良く食べていた、という時点で古代ローマ人の舌の肥え方が、現代人に劣らぬグレードの高いものであったであろうことを計り知る事が出来るが、煮たりローストにしたり、どうやら沢山のレシピが存在していたようだ。ちなみに帝政ローマ期のキノコ好き皇帝クラディウスは、大好物のキノコに毒を盛られて暗殺されたとするが、それもポルチーニ茸だったのではないかと勝手な推察をしてしまう。多少の毒がふりかけられていようとも、構わず次から次へと頬張りたくなるに違いない魔性の味覚、それがポルチーニ茸だ。

 私はグルメ評論家でも美食家でも何でも無いし、イタリアに暮らしているくせにイタリア料理が大好物、というわけでもない。でも、ポルチーニ茸に関しては一般のイタリア人よりも強い思い入れがあると自覚している。日本料理店も食材屋もない街に暮らしているおかげで、イタリアから日本へ戻ってくると、接待でも取材でも宴会でも私は極力イタリア料理を避ける様にしているが、それでもたったひとつだけ、不意に抑制困難な欲求を芽生えさせ、私を居ても立ってもいられない状態にするものがある。それがポルチーニ茸だ。

 「それではさっそくBuonappetito」という食に焦点を絞ったエッセイ漫画の中で、私は死に際に、この世への名残を断ち切る為に、臨終時に口に入れてもらいたいものとしてこのキノコを取り上げているが、その思いは今も変わらない。息子には「臨終ポルチーニ宜しく」と念を押し続けているけれども、「乾燥や冷凍のものではなくて、ナマの、採れたての、傘の直径が15センチ級の、ふかふかしたやつを炭火でグリルにして、キノコ汁が染出しているところにエクストラバージンオリーブオイルをちょっと垂らしたやつでお願い」と具体的な説明をすると、「…何言ってるの」と冷たくあしらわれてしまう。

 確かに、採れたてのポルチーニを頬張って死にたいのなら、時季は9月から10月に限定されるし、人生終焉の場所もイタリアの森林地帯から遠くない地域にしなくてはならない。しかも、その採取も決して容易ではないときている。このキノコは樹木の根に菌根を張って共生する菌根菌という種類のもので、純粋培養には未だに成功していない。だから、食べたくなったら自分の足で山や森の中まで探しにいくしかなく、街の八百屋さんで売られているものも全て、どこかの誰かが自らの足で一生懸命に採取してきたものなのだ。

 かつて私は、北イタリアのアルプス山脈で登山をした際に、こっそりポルチーニ茸採取を目論んだ事があった。当初は茸採取の目的は無かったのだが、宿泊していたロッジでドイツから来ていた登山客が、バスケットにいっぱいのポルチーニ茸を抱えて満面の笑みで戻って来たのを目にした途端、私は居ても立ってもいられなくなってしまった。登山道に生えまくっていたというその籠の中のポルチーニ、ぱっと見た目には時価何千円、いや、何万円分ともいえる量と品質のものである。私はロッジに置いてあったキノコ辞典を拝借し、翌日早朝、素敵な収穫への希望に胸を膨らませながら勇んで登山に挑んだのだが、そんなわくわく気分は忽ち自然の厳しさに萎縮させられることとなった。山を登り始めて間もなく、9月の初日だというのに突然視界1メートルを切るような激しい豪雪に見舞われ、進行方向も曖昧になり、一緒に登っていた家族もろとも遭難の危機に迫られてしまったのだ。

 しかし、そんな中でも私の目はポルチーニ茸を諦めなかった。降り止まぬ雪の中、低く屈めた体勢で前に進みながら、白く覆われていく周囲の木々の根元に慌ただしく視線を絡ませ、茸らしきシルエットを見つけてはそこへ駆け寄った。しかし、雪の下から出てくるそれらの茸は、どれもポルチーニとは似ても似つかぬものばかりなのだ。やっとのことでポルチーニ状の傘を見つけて飛びつくも、雪を払ってみば、それはお伽話の絵本に描かれるような、真っ赤なベースにファンシーな点々模様の、幻覚作用を齎す(もたらす)紅天狗茸。その後も降りしきる雪の中同じような落胆を何度か繰り返し、無事に下山は果たせたものの、無念な事に私の手にはたった一つのポルチーニも握られていなかった。こんな経験をしたお陰で、私にとってポルチーニ茸は食べ物の中でも更に別格の好物となってしまったのである。

 確かにイタリアにはポルチーニだけでなく、実に多種多様な食用キノコが存在して、そのどれもが美味しい。日本に帰ってきても、松茸や舞茸など、その食感と味覚にうっとりするようなキノコが豊富で、キノコ好きの気持ちは充分に満たされる。

 しかし、ポルチーニ茸の、肉厚のあの傘の中から沁み溢れ出すキノコ汁には、何かちょっと他とは比較出来ない"うまみ"があると私は確信している。たとえ自分の最期がクラディウス帝のような顛末になったとしても、ポルチーニ茸であれば文句の言いようも無いだろうとすら思えてしまうのだった。

ヤマザキマリ氏

著者:ヤマザキマリ (やまざき・まり)

漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。

1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。

2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章綬章。

著書に『国境のない生き方』(小学館)『男性論』『ヴィオラ母さん』(文春新書)『パスタ嫌い』(新潮社)『スティーブ・ジョブズ』(講談社)『プリニウス』(とり・みきと共作 新潮社)『オリンピアキュクロス』(集英社)など多数。