食のエッセイ

多様なる時代の多様なる「おふくろの味」

 パドヴァの家から歩いてすぐの場所にあった行きつけのレストランに、態度も言葉もふてぶてしい老人がよくお昼を食べに来ていた時期があった。人間嫌いを絵に描いたような人だったが、妻に先立たれ、家政婦の作る料理では満足がいかず、仕方がなくそのレストランに足を運ぶようになったらしい。

 耳が遠いので声がやたらとデカく、注文をする声も、隣人の悪口も、全て店内で食事を取る客に丸聞こえだった。対応をするのは、やはりこの老人と同世代のマウロというオーナーシェフだが、この人の性格もかなりマイペースなので、爺さんの態度があまりに行き過ぎると「あんた、お客の迷惑になるから出てってくれ!」などと平気で口にする。そんな時は爺さんも情動的な罵詈雑言を噴出させながら店から出ていくが、翌日には何事もなかったかのように姿を見せるし、マウロも何も言わない。そのルーティンに店の人間もお客も皆慣れてしまって、時々二人の言い争いが繰り広げられてもいちいち気にしないようになっていた。

 しかし、とある日を境にこの爺さんが店には姿を見せなくなってしまった。どうしたのだろうと思っていたところ、近所で買い物用の白いビニール袋をぶら下げて歩いているマウロとすれ違ったことがあった。どこへいくのかと尋ねると、例の爺さんが入院しているので、頼まれた昼食を届けに行くのだという。

「あいつ、うちにきてもメニューにないもの注文してただろ。入院したらもっとわがままになりやがって、やつのおふくろが作ってたのと同じトマトソースのスパゲッティを作って持ってこいと言うんだよ」とマウロは呆れていた。呆れていながらも、しっかりとリクエストに応えるところに彼の人情と寛容さが垣間見えた。

 一番最初に持っていったトマトソースは、マウロが気に入って使っているシチリア産の甘いトマトを煮込んでマルサラ酒で味付けをしたソースだったが、病室のベッドでそれを一口食べた爺さんは「違う、こんなんじゃない!」とマウロに赤い飛沫を口から噴出させながら訴えたのだそうだ。「こんな、こじゃれたソースじゃなくて、普通のトマトソースだよ、普通のやつ!!」

 腹を立てマウロは3日ほど病院へ出向くのをやめた。でも自分の料理の腕を卑下されたのがどうにも癪に触って、結局、市販されている普通のトマトの水煮缶で作ったトマトソースのパスタを作って持って行ってみると、おいしいおいしいと喜んで食べたのだという。シェフになって何十年も経つが、マウロが市販のトマト缶だけのシンプルなトマトソースを作ったのは何十年ぶりだったそうだ。

 爺さんが「そうそう、これだよ、これ。お袋の味ってのはこうじゃないと!」とやはり赤い飛沫を口から噴出させながら、嬉しそうにスパゲッティを頬張っているのを見て、どんな敏腕料理人も原則的に“お袋の味”が再現できなければ一人前とは言えないと感じたのだそうだ。

 この爺さんにとっては、トマトの水煮缶で作ったトマトソースが“おふくろの味”だったが、同じイタリアでも当然地域や出自によって“お袋の味”は変化する。うちの夫と義母の“お袋の味”は、グラーシュという肉のドイツ風煮込み料理にとうもろこし粉を練ったポレンタを付け合わせたものだが、これは義母の母が北イタリアベネト州の、第一次世界大戦時にはオーストリアとの戦地にもなった山の麓育ちだったことが影響している。“おふくろの味”には、そうした歴史的な背景も反映されている。

 一方、ヴィチェンツァ生まれの母を持つ義父の“お袋の味”といえば、ヴィチェンツァ名物の干し鱈のクリーム煮込みだったが、義母はこの料理が苦手だった。義母と姑は仲が悪かったので単にそれが要因かもしれないが、義父はレストランへ行く機会があると、必ず家ではなかなか食べられない鱈の煮込みを頼んでいた。

 フィレンツェ生まれの友人の“おふくろの味”は短いマカロニと豆を煮込んだパスタ・エ・ファジョーリだったし、ローマっ子の友人はショートパスタを使ったカルボナーラを挙げていた。南部プーリア州の友人はオレッキエッテというパスタそのものがいつもマンマの手作りだったので、彼女も自分の家族にやはり手作りのオレッキエッテパスタを使った料理を食べさせている。南北に長く、自治国家時代が長かったイタリアでは、おふくろの味のバリエーションも実に広い。

 イタリアからの移民を多く受け入れた南北アメリカ各地でも“おふくろの味”がイタリア料理である場合が多いが、以前ブラジルのサンパウロの友人宅でポレンタがテーブルに出てきたのを見て、その家の奥さんの両親がベネト州からの移民であることが判ったし、シカゴ時代に仲良くしていた女性は南部イタリアが親のルーツということで、辛いサラミを使ったパスタをよく作っていた。彼らは、自分たちの地元を離れ、遠い場所で、かつて食べていた料理をそのまま“おふくろの味”として継承し続けている。

 日本における代表的な“おふくろの味”として思い浮かぶものもまた様々だ。私は残念ながら料理を得意としない上に、家にほとんどいない音楽家の母親に育てられたので、“おふくろの味”で思い出すのは手の込んだ料理ではなく、砂糖を混ぜたバターを塗られた食パンのサンドイッチである。小学生のころ、遠足の昼食時にお弁当箱の蓋を開け、中にこのバターを塗った真っ白なパンが敷き詰められているのを見たときのショックは未だに忘れられない。夜家に帰ってきた母に向かって、頼むからもっと標準的な弁当を拵えてほしいと切願するも「あのパンの何がいけないの、戦後のご馳走だったのよ」と聞く耳を持ってもらえず、結局お弁当は自分で作るようになった。それ以外であれば、ロールパンだろうか。とにかく加減のわからない人だったので、一つ凝り始めるとそればかり作るという性質があり、愛読書だった「暮しの手帖」で学んだロールパンをくる日もくる日も焼き続けたことがあった。今でも街角のパン屋でロールパンを見ると、毎日同じものばかり食べさせられて食傷気味だった私に「おいしいでしょ」と誇らしげにしている母のドヤ顔を思い出す。

 ネットで調べてみると日本人が“おふくろの味”として思い浮かべる料理ランキングの1位は肉じゃがだそうだ。確かに肉じゃがという料理は、どんなに殺伐とした気分であっても目の前に出されると、問答無用にほっとできる一品だ。

 肉じゃがに次いで2位は味噌汁、3位は卵焼き。その後に並ぶのはカレーライス、おにぎり、金平牛蒡、コロッケ、オムライス、ひじきの煮物といった昭和色の濃い料理ばかりだが、これらもまた次世代になれば変化していくのかもしれない。考えてみたらランキングされているカレーライスやオムライス、コロッケにロールキャベツなんていう料理も、西洋の食文化の影響を受ける以前の日本には、存在しなかった“おふくろの味”である。

 現代のおふくろは社会における立ち位置も行動半径も昔とは違う。働く母親が当たり前になった昨今の家庭では料理に掛けられる時間もゆとりも昔のようにはない。ファーストフードのような食事が当たり前の世代が今は親になっているし、コロナによってレストランからの食事の宅配も当たり前のものになった。こうした時代を経て、そのうち“おふくろの味”といっても手料理である必要性がなくなるような日がくることも、十分に考えられる。

 ちなみに幼い時から世界転校を繰り返してきた27歳の息子にとって、おふくろの味は何かと聞いてみたら「フェイジョアーダ」という答えが戻ってきた。フェイジョアーダとはブラジルで食べられている黒豆の煮込み料理だが、それこそブラジル人にとっての代表的な“おふくろの味”である。日本人でイタリア人の家族を持つ海外暮らしの長い私だが、心身スタミナをつけて元気になりたいときに作るのがブラジルでよく食べていた、このフェイジョアーダである。早くから日本を出てしまい、世界を転々としてきた私のような人間を母親に持った息子にとってのこの“おふくろの味”もまた、世界の距離が狭まった現代社会の傾向を反映していると言えるだろう。

 どんな料理であろうと、人間が大人になり、家庭から外に出て、社会の荒波に揉まれるようなことがあっても、一口食べただけで癒され、守られているような心地をもたらしてくれるのが“おふくろの味”の定義である。

 おふくろとは時に子供を厳しく叱咤するけれど、最終的にはあたたかく包み込んでくれる大きな存在だ。殺伐とした昨今の社会情勢の中で気丈に生きていくうえでも、“おふくろの味”は大きな役割を為すはずである。

 私がもし平和の策を提案できるような立場の人間であったなら、まず気が荒んで冷静な判断ができなくなっている人にはゆっくり温泉に浸かってもらい、その後で自分にとってかけがえのない“おふくろの味”を堪能してもらいたい。外側と内側からのダブル温もり効果があれば、蓄積した毒素を排出し、強ばった精神を弛緩させてくれるのではないだろうか。

 入浴までは無理だとしても、前述したレストランのマウロと老人の場合も、あれだけお互いを牽制し合っていながら、おふくろの味を介した外交は成立していたわけだから、叶わない話でもないと思う。ちなみに無事退院を果たした爺さんは、それ以降マウロのレストランでは荒ぶることもなく週に3回は通っているという。最近レストランで彼を見かけたという夫の情報によれば、やはりその時食べていたのも、普通のトマトソースのパスタだったそうだ。

2022.03

ヤマザキマリ氏

著者:ヤマザキマリ (やまざき・まり)

漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。

1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。

2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章綬章。

著書に『スティーブ・ジョブズ』(ウォルター・アイザックソン原作)『プリニウス』(とり・みきと共著)『オリンピア・キュクロス』『国境のない生き方』『ヴィオラ母さん』『パスタぎらい』など多数。最新刊は息子との海外移動の記録を綴った『ムスコ物語』(幻冬舎)。