食のエッセイ

イタリア式長生きの秘訣

 北イタリアの夫の実家には、かつて二人の高齢者が一緒に暮らしていた。一人は夫の母方の母にあたるアントニア、もう一人は夫の父方の母親であるマリア、つまり二人とも私のお姑様のお姑様、ということになる。アントニアもマリアも100歳を間近に老衰で亡くなってしまったが、晩年に至るまでどちらもとにかく頗る元気だった。この二人は年齢的にも近かったが、アントニアは田舎育ちの天真爛漫な美人、片やマリアは両家のお嬢様で知的で上品という相違点を軸にお互いをライバルとして牽制しあっている節があった。

 例えば、いつもであればやれ車椅子だ杖だと自力で歩きたがらない二人だったが、客人が来るとなるとスイスイ自分の足で歩み寄っていく。「あらまあ、なんてお二人ともお元気なのかしら」と客人から感嘆されると満更でもないという表情で笑っているが、心中では自分と同じく虚勢を張って目一杯若さを装っている相手に対しメラメラと嫉妬の炎を燃やしていたのだろう、時々「あら、あんた、普段の杖はどうしたの?どこかになくしたの?」なんて意地悪なツッコミを互いに入れ合っていることもあった。

 二人が会話を交わせば、どちらも相手の耳の遠さを強調させるような喋り方をするのが興味深かった。97歳のアントニアに「私の声が、き・こ・え・ま・す・か!?」と95歳のマリアが大声で話しかければ「あんた、そんなに大声出さないと自分で言ってることも聞き取れないのかい、そろそろ補聴器つけたほうがいいよ」とやり返すアントニア。闘争意識と嫉妬心も持ちようによっては生命力を鍛えるきっかけとなる。

 そういえば私の母がかつて飼っていたゴールデンレトリバーのピエラは、10歳の時に腫瘍を取る大手術をし、余命わずかと言われていたにもかかわらず、その頃新しい家族として一匹の仔猫が迎えられた途端、驚くべき回復を果たし担当の獣医師を驚かせた。「ああ、かわいい…」と猫に向かって猫撫で声をかけようものなら、必ずピエラが「あ、あたしならここでーす!」と言わんばかりにどこからともなく駆け寄ってきて、正面から全力でタックルしてくる始末だった。その後彼女は老衰で亡くなる19歳まで猫へのジェラシーを燃やしつつも健やかに生き抜いた。

 でも、何よりもアントニアもマリアの元気の源となっていたのは、食へのこだわりと欲求だった。食事の場では二人一緒に並んで座っていたが、やはりここでも彼女たちの意固地が満遍なく露呈する。自分の皿とお隣の皿を比べ、盛り付けられた料理の分量のチェックに容赦がない。そして、味覚についても何かとこうるさく、やれオリーブオイルが普段のものと違うだの、パスタが硬すぎるだの料理人にあれこれと文句をつける。日常の食に対するあのしぶとい執着も、生命力をアップさせるエネルギーとなっていたことは確実だ。

 ちなみにアントニアの好物は豆がたくさん入った具沢山のミネストローネにたっぷりオリーブオイルをかけたもの、マリアの好物はグラーシュという北イタリアの風土料理である肉の煮込みに、やはりオリーブオイルをたっぷりかけたものだった。

 オリーブオイルはこちらのエッセイでも過去に取り上げたが、彼らの日々の消費量を見ているとやはり長生きや健康と無関係ではなさそうだ。イタリア、長寿、食事とイタリア語のキーワードを入れて検索すると、やはりオリーブオイル(エクストラ・バージン)がヒットする。そしてその他にも、イタリアで日々何気なく食されているいくつかの食品が長寿の秘訣として取り上げられている。

調理する姑

 実家のご近所の老人たちが90歳を超えるのは既に当たり前になっていたが、今やイタリア全国ではスーパー・センテナリアンと呼ばれる100歳越えの人たちが全国に合わせて一万数千人いるとされていて、特に彼らの食生活は世界中から関心の対象となっているようだ。

 100歳越えの老人はイタリア全域に満遍なく存在しているが、特にサルデーニャ島やイタリア半島南部の田舎に集中している。数年前まで世界一長寿だった女性は北イタリアのピエモンテ在住だったが、比較をするとやはり温暖な地域のほうが長生きの人たちが多いようだ。南イタリアのカンパニア州にある村アッチャロリは人口3,000人の3割が100歳越えであり、そのうちの2割が110歳以上だという。この村では皆頻繁にイワシを食べているということがリサーチによって分かったそうだが、確かに南部イタリアやサルデーニャのような海に囲まれた島では、魚介類、特に青魚の需要が高いし、世界一の長寿国家とされる日本とイタリアの食においての一番の共通項は、なんといっても魚介類であり、アジやイワシやサバといった青魚は日常でも当たり前に食されている。

 南部プーリア州出身の友人の得意料理は家族代々受け継がれているというヒシコイワシのマリネだったが、彼女のお婆さんはご実家を訪れた当時100歳を超えていながら、自分で台所に立って料理をこしらえていた。

 青魚には血中コレステロール値を下げたり動脈硬化を防ぐなどの効果がある不飽和脂肪酸が含まれており、さらに不飽和脂肪酸は脳の動きを活性化させ、脳卒中や認知症などを防ぐとも言われている。この不飽和脂肪酸が含まれたイワシのマリネはさらに不飽和脂肪酸が含まれているオリーブオイルに浸してあるわけだから、長寿を叶える上での最強の一品であることは間違いない。

 アントニアは亡くなる数年前から私のことをなぜか「ナターシャ」と呼ぶようになったし、時系列が乱れまくりの話をすることも増えたが、なぜか夫の浮気話となると急に言葉に力が篭り、あらゆる詳細を的確に覚えているのにはびっくりさせられたものだった。戦争直後の話をついこの間の出来事のように話せるあの記憶力はやはり不飽和脂肪酸のもたらした効果なのかもしれない。

 かといって、毎日青魚を食べまくり、飲むほどオリーブオイルを摂取すればいいというわけでは勿論無いが、米ハーバード大学のリサーチによって作られた地中海食のピラミッド式のチャートを見ると、イタリアを含む地中海沿岸の地域では毎日適量のオリーブオイルの摂取があることがわかる。毎日ティースプーンに3、4杯が適量らしい。

業務内容

 そしてオリーブオイルといえば善玉コレステロールを増やすオレイン酸が多く含まれているが、このオレイン酸には美肌効果もあるという。確かにアントニアもマリアも皺は多くても肌質は柔らかく、弾力があって健康的だった。

 オリーブオイルの特徴としてもう一つ重要なのがポリフェノールだが、ポリフェノールといえば高い抗酸化作用であり、赤ワインやお茶やチョコレートにも入っているというので健康志向の高い方は積極的に摂取されていることだろう。 

 そういえば、アントニアもマリアも晩年まで食事の際には必ずグラス一杯の赤ワインを飲むのが習慣だったが、世界一の長寿に選ばれた110歳越えの南イタリアの女性も毎日コップに一杯の赤ワインは必ず飲んでいると話していて話題になった。これもオリーブオイルと同じでたくさん摂取すればいいというわけではなく、食事の時にコップ一杯のみ、というのがミソだ。

 こうして考えてみると、うちの婆様二人は不飽和脂肪酸からオレイン酸からポリフェノールといった体に良いものが含まれている食事を日々取っていたわけであり、しかもそれが意図的ではなかったということも、また長寿への大きな教訓となるように思う。 

 夫の実家の特徴として記しておきたいのは、野菜がとにかくふんだんに食卓に上がることだ。なぜかというと私の姑が家庭菜園をやっているからであり、そこで取れたものを極力捨てずに消費するため、我々家族は日々これトマトだ、インゲンだ、ズッキーニだなんだと「もう勘弁してください」と弱音を吐きたくなるまで食べさせられるのである。

 もともと都市部生まれの都市部育ちで農家でもなんでもない家柄なのに、たまたま引越し先には広い土地があるからとあらゆる野菜やハーブの種をそこに植え込んだ。いっときは分量を間違って植えた大豆が膨大に収穫され、毎日毎日大豆料理ばかり食べ続けさせられて、家族全員うんざりしていたこともあった。しかし、なんとこの大豆にも、血中コレステロールを低下させる効果と肥満を改善させる要素が含まれているという。無論姑にはそれほど大豆に対する深い知識があったわけではなく、たまたまご近所の人がやってみたらうまくできたというので、自分もそれに張り合ってみただけの話である。

姑の菜園の料理

 トマトや茄子やズッキーニといった野菜も結局はご近所の人たちがそれで「食費が浮いたわよ」だの「家で作ったのは美味しい」だのと口々に自慢しているのを聞いて、挑戦せずにはいられれなかった、という周囲との張り合い的動機によって栽培されていたに過ぎない。そして、いざ作ったら作ったでそれを頑として家族に消費し尽くしてもらい、「やはり家庭菜園の野菜ってのはうまいもんだね」と称賛されたいという執念が、老婆たちの長寿を自然と促す結果になっていたとも言える。

業務内容

食事風景

 地中海食と言われる青魚やオリーブオイルやワインは古代ギリシャ・ローマ時代から延々食べ継がれてきた筋金入りの健康食材であることは間違いないが、やはり安寧に身を委ねてぼんやり過ごしている人よりも、若干張り出し気味の自我意識があったほうが、より一層効果的とも言えるのではなかろうか、とあくまで夫の実家の様子を見てきた立場として思う部分もある。ということはつまり、私のお姑様もまた、きっと健やかにいつまでも長生きされていくのであろう。

(イラスト・写真:ヤマザキマリ)

2022.01

ヤマザキマリ氏

著者:ヤマザキマリ (やまざき・まり)

漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。

1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。

2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章綬章。

著書に『スティーブ・ジョブズ』(ウォルター・アイザックソン原作)『プリニウス』(とり・みきと共著)『オリンピア・キュクロス』『国境のない生き方』『ヴィオラ母さん』『パスタぎらい』など多数。最新刊は息子との海外移動の記録を綴った『ムスコ物語』(幻冬舎)。