食のエッセイ

貧乏メシ

 今から25年ほど前に遡るが、フィレンツェで生んだ子供を連れて日本へ戻ってきた直後からしばらく、札幌のローカルテレビ局のワイド番組でイタリア料理のコーナーを担当していたことがある。当時はまだ漫画だけで生計をたてていくのが難しく、幼い子供を育てることを踏まえると仕事をあれこれ選り好んでいる場合ではなかった。学生時代のチリ紙交換に始まり、イタリアに渡ってからの道端での似顔絵描きに高級宝飾店の店員、そして貿易商の通訳から店の経営まで実に様々な職種を手掛けてきたおかげで、職業に対する私の意識は開かれている。どんな仕事でも何でも来い、という気構えでいた。がしかし、まさかテレビで自分の料理番組のコーナーを持つことになるとは想像もしていなかった。

 私が日本に戻ってきた1990年代後半は既にバブルも終わっていたが、イタリアで11年間世知辛い暮らしを続けてきた私の目に映る日本はそれほど景気の悪いようにも見えなかったし、人々は相変わらず日々の消費生活を謳歌しているように思えた。私にプライベートでイタリア語を習いに来ていた奥様たちは高級な外国車に乗っていらしたし、海外旅行にも足繁く出向いていた。当時、私がイタリアで暮らしていたと知ると誰しも「あら、素敵、羨ましい!」という反応を示していたが、絵の勉強をする傍らで、一生分の貧乏と社会で味わうべき辛酸を体験させられた国という印象しか無かった私には、裕福な彼らの「素敵」や「羨ましい」が何を意味しているのかがさっぱりわからなかった。この人達は、イタリアのことがよく解っていないのかもしれない、と、街中にいくつもあったイタリアンの店先ではためくトリコロールの国旗を見ながら、毎日感慨深くなっていたものだった。

 そんな数あるイタリアンの中でも当時評判だった高級店へ友人に誘われて行ったときのことだ。メニューを開くと、私が貧乏時代に毎日食らっていた、素うどんならぬオリーブオイルににんにくと鷹の爪と塩コショウだけで味付けした素パスタが、1500円で振る舞われている。「ありえない…」と心中の思いを隠すことの出来ない私は目の前で美味しそうにスパゲッティを食べている友人に向かって吐露していた。「これはおそらくイタリアでも最もコストの掛からない一品で、原価はおそらく100円を切っていると思う」

 私の発言に戸惑いが顕になった目で私を見ていた友人だが、咀嚼中のパスタをワインで流し込み、周囲に店員がいないことを確かめて「ほんと? それ」と小声で問いただした。私はかつて自分が週に3度以上もこのパスタを食べていたこと、自分たちと同じようにお金の無い友人の家へ行ってもこのパスタが出てきたこと、少しゆとりがある時は50円くらいのトマト缶を買ってトマト味にすると最高にゴージャスな気持ちになれたことなどを機関銃のような勢いの喋りで放出した。店の人に聞こえようが聞こえまいが、とにかく日本における表層的なイタリアのイメージに同調できずにいる私のストレスは、それらの言葉に変わって放たれ続けた。

 すると隣のテーブルに座っていた立派な身なりの紳士が突然私を振り向き、「どうしてもあなたの声が耳に入ってきてしまうので、すっかり聞いてしまいましたが、もしあなたの言っていることが本当ならば、是非テレビで簡易ローコストイタリアンというのを紹介してもらえないでしょうか」と声を掛けてきた。その札幌のテレビ局のプロデューサーとの出会いがきっかけとなって、私のイタリア料理コーナーがテレビで設けられることになったのである。

 とにかく私は日本に蔓延るゴージャスなイメージのイタリアという違和感を払拭したかった。なので、その番組において私が作った料理の品々は、すべて家賃もインフラ使用料も支払えずにいた私と同棲していた詩人の彼氏を飢え死にから救ってくれたものばかりだった。生放送なのでうっかりプロセスを間違ってもつぶしもきかず、それでも強引に押し切って仕上げた料理には必ず原価推定を伝える。すると、北海道に暮らす多くの主婦から「あのガサツなひとのイタリア料理、とても参考になりました」「ローコストで簡単なのは助かります」などといったコメントのファックスが届き、一方イタリア料理店からは「あの女をテレビに出すのをやめてください」という苦情が届きまくったという。

 とはいえ、私は嘘を伝えていたわけではないし、たとえばカテリーナ・ディ・メディチを経由してフランス料理の礎になったのがフィレンツェの宮廷料理などとされてはいても、イタリア料理は基本的に庶民の食文化として育まれてきたものである。フィレンツェという土地では豚でも牛でも羊でも、モツから脳みそ、そして骨髄に至るまであらゆる部位を食する傾向があるが、私が感受してきたイタリア料理というのは東京の赤羽・十条あたりの立ち飲み屋で出される料理に近い感覚がある。それ以前に、そもそも私はイタリアに限らず日本だろうと世界のどこであろうと、貧乏や困窮した社会を反映しているような、慎ましい食べ物が好きなのである。

 イタリア貧乏時代私がよく食べていたのは、先述したアーリオ・オリオ・エ・ペペロンチーノ以外にも、例えばパッパ・アル・ポモドーロというトマトで硬くなったパンを煮込んだパン粥や、茹でたじゃがいもにバターに塩コショウと安価なチーズを乗せて溶かしたもの、ミネストローネもローコストな一品だが、ある程度作り置きさえしておけば、そこにやはり硬くなったパンを入れて更に煮込めばリボッリータという立派なトスカーナ料理となる。リゾットだってグリンピースを入れて、上にオリーブオイルを振りかけただけで春らしい一品になるし、ショートパスタもバターとパルメザンに塩コショウだけでも十分に美味しい。イタリアンパセリを大量にみじん切りにしたものを溶かし卵に入れて焼いた卵焼きもよく作っていたし、トスカーナ名物の豆と煮込んだパスタも空腹と困窮した生活の疲れを胃壁から癒やしてくれるごちそうだった。ピッツァも窯やオーブンなど焼ける装置さえあえば、経済的かつ満腹感をもたらしてくれる、貧しい南イタリアの社会を支え続けてきた大切な料理である。

 ブラジルのフェイジョアーダなど南米のクレオール圏でよく作られている屑肉と黒豆の煮込み料理の類も、チリビーンズ系の料理も、手間は多少掛かっても食材費はそれほど掛からない上腹持ちがするので立派な貧乏メシと言えるし、インドや中東で食べ続けられている煮込み料理にナンやご飯というパターンも庶民の食文化発祥だ。タイ北東部で空腹時に屋台で買って食べたコオロギの炒ったやつは染み入るような旨さだったし、中国の飯屋で食べた卵と白米だけの炒飯とザーサイの付け合せも旅で蓄積した疲れを解してくれるような優しい旨さだった。材料が安価だというだけではなく、生きる大変さを支えてくれる素直な優しさや、激励してくれるような力強さが感じられるところが、貧乏メシの特徴といえるかもしれない。

 考えて見たら、日本にはこの手の料理はけっこうある。おにぎりや卵かけご飯なんていうのもそうだし、日本各地にある味噌と具材をごった煮にした豚汁に代表されるような汁系の料理はどれもたいてい美味しい。鍋料理もどんな具材を入れても楽しめるようにできている。

 私は昭和一桁生まれで戦争体験者である母親に育てられたが、時々彼女が思い出したように作っていた“すいとん汁”は今でも時々食べたくなる。小学生の時に初めて読んだ「はだしのゲン」という戦時中の日本が舞台となった漫画の中に、一升瓶に入れた米を突いてそれをお粥のようにして食べるというシーンがあるが、自分でもどうしてもやってみたくなって「なんで今そんなもの食べなきゃいけないのよ」と嫌がる母に無理やり同じような薄いお粥を作ってもらったこともあった。

 高度成長期に入ってからはインスタント食品の発達が著しかったこともあって、貧乏でもラーメンやカレーなら誰でも食べられたし、おでんのような料理だって考えてみれば食材さえあれこれ凝らなければいくらでも安く調理できる上、日持ちもして美味しい。海外からの旅行客は日本ではお金を掛けなくてもどこでも気軽に美味しい物が食べられると皆絶賛しているし、そう考えると日本という国はあらゆる国の料理を食べられるだけではなく、超高級グランメゾンから赤羽十条の立呑み酒屋の一品100円の肴に至るまで、食事のバリエーションに関しては他国に比類なく幅広い。それこそ、どんな地域のどんなバックグラウンドのどんな料理にも美味しさを見出し、楽しめるというのは素晴らしいことだ。

 フォアグラにペトリュスの美味しさに酔いしれる舌が、スルメイカに焼酎までを堪能できる、そんな味覚の懐の広さが社会での人間関係においても応用できたらどれだけ平和な国になるだろう、などということをついつい考えてしまうが、たとえそう都合のいいことにはならなくとも、味覚については少なくとも保守的に留めておくよりも、多彩な味わい方ができるほうが俄然お得な人生を送れるはずだ。

 イタリアでの留学時代における貧困は辛かったが、そのおかげで慎ましくも美味しい料理法を沢山学ぶことができたことは、自分にとってはちょっとした財産なのかもしれない、と今更感じている。

2021.04

ヤマザキマリ氏

著者:ヤマザキマリ (やまざき・まり)

漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。

1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。

2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章綬章。

著書に『国境のない生き方』(小学館)『男性論』『ヴィオラ母さん』(文春新書)『パスタ嫌い』(新潮社)『スティーブ・ジョブズ』(講談社)『プリニウス』(とり・みきと共作 新潮社)『オリンピアキュクロス』(集英社)など多数。