食のエッセイ

真夏の菜園

 イタリアに戻ることができなくなり、夏になると実家でさせられていたいくつかの仕事をしないで済んでいるので、ちょっとホッとしている。今でこそ小規模化しているが、かつて義父母が自給自足を目指して作った100坪はある巨大な家庭菜園で、我々家族はみな季節労働を課せられるのだった。夫は自分の実家だし、マンマから甘やかされていることもあって、熱心に働かなくてもそれを苛まれることもないのだが、どうにも義母に逆らえない私と息子は、毎夏この家を訪れる度に、日々の糧となる野菜のために雑草や虫の除去に勤しんだ。

 義母の菜園には、トマトやサヤインゲン、ズッキーニにナスといった実用性の高い野菜が植えられていたが、義父の菜園にはあの青汁の原料となるケールと、ベネト州のアルパゴという地域特産の「マメ」と呼ばれている珍しいインゲンが栽培されていた。

 ケールは農家の友人に“体に良いから”と勧められて植えたそうだが、青々と真緑色の巨大な葉を発達させたこの植物を、一度実験的に刈って湯がいて食べてみたところ、意表を突かれる苦味と口の中を満たしたえぐみに、皆で苦しみもがいた。まるで服毒したかのような有様だった。

「いったいなんてものを栽培してくれたのよ、しかもあんなたくさん!!」と、義母は口の中のものを吐き出すや否や、窓の外の畑に生茂るケールを指差して夫に噛み付いた。
「でも、体に良いんだし、これくらいの苦味は我慢するべきなんだ」と義父は、眉をひきつらせると、はっきりこう言った。「君たちは食べなくて良い。これはわたしが食べたくて植えたものだ、1日3食だって食ってやる」 

 ケールの強烈な苦味パンチにやられたショックで、皆その現実味の無い言葉に対して何の反応も返せなかった。不味さと、悔しさと、意固地で顔がどんどん赤らんでいく義父を少し気の毒に思った私は、日本ではこれを粉末にして汁状にして飲む人もいる、と弱々しく告げてみた。すると、とたんに紅潮した義父の表情はふんわりと緩み、瓶底メガネのレンズの向こうで希望に満ちた瞳がきらきらと輝き出した。

 義父は早速刈り取った残りのケールを包丁で細かく切り刻み、水と一緒にミキサーに掛けた。その真緑色の液体には、彼の誇りと健康が懸かっていた。ところがコップに注いだその“生青汁”を一口飲んだあと、義父の頭はしばらく俯いたまま固まってしまった。考えてみたら、湯がいても苦かったその葉っぱを液状にしたところで、味や苦味が変わるわけではない。義母がそらみろ、と言わんばかりの顔でミキサーの中のケールの匂いを嗅ぎ「うはあ、こんなの飲んでたら芋虫になっちゃうわよ」と大声で皮肉を言い放った。

 結局そこで栽培されていたケールのうち半分は、刈り取られることなくその場に放置され、残り半分は義父が家に訪ねてくる人に「絶対体にいいから、何とかして食べてくれ」と押し付けていた。その現場を目撃した義母から「自分ひとりで食べると言ってたのはどこのだれだったか」と突っ込まれて大喧嘩になり、結局ケールという野菜がそこで栽培されることは2度となかった。

 翌年、ケールがあった場所に植えられたのは、白菜の種だった。どこで入手したのかは知らないが、義父曰く“私のため”に、知り合いの友人の中国人から分けてもらったのだという。確かに中華や和食に使える野菜はありがたいが、白菜ばかりがこの敷地いっぱいにみっしり育っても、需要が追いつくとは思えなかった。それでも、あの超絶苦いケールよりはまだマシである。ネットで拾った白菜の美味しい料理法をいくつか義母に教えると、ああよかった、今度は使えそうな野菜じゃないの、と安堵を示していた。これならケールのような顛末にはならないだろうとみなで楽観した。

 夏休みの終わり近くに種植えを終えたあと、しばらく経って実家へ戻ってみると、白菜を植えたはずの菜園に、アマゾンのジャングルで見かけたことがあるような、大きくて逞しい葉を広げた植物が、鬱蒼と生えていた。なるほど、白菜の栽培は失敗してしまったのだろう。まあ、確かにそう簡単に欲しい野菜が育つとは限らない。

「で、これは何の植物ですか」と私は謎の植物を指して義父にたずねてみた。
「何って白菜だよ」
「いや、違いますよこれ。白菜じゃないですよ」と思わず咄嗟に言い返すが、舅はその植物が白菜だと言って聞かない。毎日念入りに水をやり、太陽の光をたっぷり浴びて発芽し、ここまで大きく順調に育ったのだという。

「もうみんな、マリがどんな白菜の料理をしてくれるのか楽しみにしてるんだ、どうだい見事だろう? で、もう刈り取ってもいいころかい?」と声が期待で弾んでいる。

 どんな料理って、こんな白菜人生で見たこともありませんよと、試しに根元からひと株刈り取ってみると、ずっしりと重い。葉はゴワゴワと硬く、一筋縄ではない根性を感じさせる感触だった。確かにじっくり見てみると、葉脈の広がり方が白菜のように見えないでもない。しかし、白菜なら茎はもっと白っぽいはずだが、私が手にしている植物は根元の方まで緑色である。匂いを嗅いでみると、人間に食べられることを望まない灰汁の強い植物の臭気の中に、ほんのわずかながら白菜の気配を感じた。その時になって私は、やっとそれが白菜である可能性を認めた。しかし、そんなジャングルの植生のような有様の白菜を調理する勇気も気力も私には無かった。

「大丈夫だよ、見た目がマリの知ってる白菜じゃなくても、成分は同じなんだし、こんなに生えてるんだからどんどん食べようじゃないか」と前回のケールの大失敗のリベンジを図っている義父は、そのワイルド白菜を食べる気満々でいる。

 私は仕方なく、芯の方のかろうじてまだ柔らかそうな葉を数枚切り取ると、それを湯がいて醤油と鰹節を掛けたお浸しにし、皆に振る舞った。湯がいてみると、それなりに白菜っぽくなったのには感動した。しかし、日本式に炊いた白米や茹でた素麺を口にして「塩を入れ忘れてるじゃないの」と大騒ぎをする義母をはじめ、イタリア家族には見た目も味もいかんせん地味だったのか、それほど皆美味しがってはくれない。義父だけが「やっぱり野菜は採れたてに限るね!ああ美味しい」などと白々しく呟きながら、ひとりで喜んでいた。

 ちなみに舅がケールや白菜の隣で栽培していた「マメ」というインゲンは、無事収穫と乾燥に成功し、ビニール袋に詰められた状態でクリスマスの期間、皆にあまり喜ばれない「プレゼント」として配られた。

 あまりにもたくさんあったので、ついには自分の家の前の道路にテーブルを出して販売を始めたいと言い出し、私はその日本語とも解釈できる「マメ」という呼称の由来を調べてほしいと頼まれた。販売するにあたり、お洒落なカードにそれを印刷して購買者に渡すのだという。残念ながら私にはアルパゴ地方の「マメ」と日本の「マメ」の接点は見つけ出せなかったが、豆類としては希少種であり、もうほとんどイタリアでは栽培されていないということがわかった。そして、結局道路沿いでの「マメ」は一つも売れることがなく、これも義母に失笑されて終わったが、ケールや白菜と違って保存が利くという意味でも重宝したし、配られた人の中には希少種と聞いて栽培を試みた人たちもいるという。

 かたや義母の菜園はしっかり日々の食費削減を考えた上での仕様になっていたが、これはこれでメンテナンスが大変だった。例えば夏の間トマトなどは毎日鈴なりに実る。それをせっせと収穫しないと、そのまま腐ってしまうことにもなりかねない。同じくサヤインゲンもどんどん収穫をしていかないとダメになってしまうし、ズッキーニに至っては放っておくと巨大な瓜のようになってしまう。息子は葉っぱについた芋虫をバケツのお湯の中に落としていくという仕事を言い渡されていたが、途中で芋虫があまりに可哀想だから収穫班の私と仕事を替わってほしいと頼まれた。結局芋虫はバケツには入れず、別の袋に貯めて、離れた野原にばらまくことにした。

 収穫されたトマトは家族が毎日どんなに食べても無くならなかった。私は実はトマトが苦手なのだが、あまりにもトマトが減らないので義母から「この機会に苦手な食材をなくす努力をしてみろ」などと強制までされていた。

 生で消費しきれない大量のトマトは、その後全て保存用のソースとして加工されることになる。ソースを入れるガラス瓶の熱湯消毒から始まり、トマトを何度か軽く煮込み、ソース製造用の機械で潰して液状にし、瓶に詰めて蓋をしめ、さらにそれを熱湯で煮込まねばならない。そうやって、まる1日かけて作られた無数のトマトの瓶詰めは、家族や親族やご近所に配られるのだが、問題は義父母の家がある地域の人たちはみな家庭菜園でトマトを栽培しているから、どの家でも夏には大量のトマトソースが作られる。だから、他人様のトマトソースをもらったところで、誰も有り難そうではない。

 でも、トマトソースはいくらあっても困るものではないから、くれる人がいれば断る術もないということで、義母の貯蔵庫にはどこの誰が持って来たのか記憶にもない、トマトソースがいくつも保管されている

 ちなみに世界におけるトマト生産量の変動は著しく、イタリアがトップだった年もあったようだが、ここ数年では中国での生産量が急激に伸びている。中国料理にどれだけのトマトが用いられているのかよくわからないが、イタリア国内における消費量は一人当たり年間35キロで世界のトップということになるらしい。トマトを積極的に食べない私からしてみると信じられない数値だが、確かにコロナ禍で離れ離れになって久しいイタリアの旦那から時々送られてくる食事の写真は、いつも赤い料理だ。昼も夜も赤い。こんなにトマトばっかり食っておかしくならないのかと思うが「トマトならいくらでも食べられる、トマトは神の恩恵だ」と嬉しそうである。イタリア人の血はトマトで出来ている可能性がある。

 今年は私たちの手助けがないので、義母はひとりでトマトを収穫してソースを作ったらしいが、親族が集まらないので誰かにあげることもできないし、本人たちだけでは消費もできない。そんなところにもパンデミックの影響が及んでいるわけだが、夫がその分も含めて大量に持ち帰り、「コヴィッド・ポモドーロ(トマト)」などと呼んで相変わらず毎日赤い料理を作っている。

 炎天下での家庭菜園作業はこのエッセイでも表現しきれていないくらい過酷ではあったが、あの毎年の季節労働を全くしなくても良い今年の夏は、それなりに物足りなくもあるのだった。

ヤマザキマリ氏

著者:ヤマザキマリ (やまざき・まり)

漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。

1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。

2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章綬章。

著書に『スティーブ・ジョブス』(ワルター・アイザックソン原作)『プリニウス』(とり・みきと共著)『オリンピア・キュクロス』『国境のない生き方』『ヴィオラ母さん』『パスタぎらい』など。