食のエッセイ

パンに挟んで食べれば世界は平和

 1980年代半ば、当時アパートを借りたばかりのフィレンツェで同居人であるカラブリアの大学生ティナから、ボーボリ庭園散策をしないかと誘われた。人に世話を焼きたくなってしまう南イタリア気質そのもののティナとしては、イタリアにやって来たばかりで、右も左もわからない私を放ったらかしにしておけなかったのだろう。その頃のボーボリ庭園はまだ無料開放されていたので、ティナは天気がいいとよく散歩をしに行くのだと言っていた。通う予定の学校も夏休み中なのでまだ始まっておらず、友人もいないフィレンツェを案内してくれるというティナの好意はありがたかった。

 その朝、ティナは台所で朝早くから熱心に何かを作っていた。何をしているのか覗き込んでみると、朝に近所のパン屋で買ってきたばかりだというロゼッタ(薔薇)という形状の丸いパンの間に、まな板の上に並べられた何かをせっせと挟み込んでいる。ティナの実家から送られてきた、唐辛子をふんだんに使った真っ赤なサラミだ。よくみると赤玉ねぎのスライスも挟まっている。そこにさらに塗り込まれたのは、これも自家製らしき真っ赤なペーストだ。
「外でパニーノを買うと高いし美味しくないから、これ持って行って庭園のベンチで食べましょう」

 ボーボリ庭園を歩き回っているうちにお昼時となり、「あそこがいいわ」とティナが指定した古い噴水の縁に腰掛けて、いよいよ例のパニーノが彼女の鞄から取り出された。周りを見渡すと、少し離れた場所で課外授業なのか小学生くらいの子供たちもリュックからやはり各々のパニーノを取り出して食べている。

 ここで説明をしておくと、パニーノとは、イタリア語でパンを意味する単語パーネの縮小辞で、要するに小さいパンということになる。ティナの使ったロゼッタなど大人のこぶし大くらいのサイズのパンは全てパニーノであり、その間にハムやサラミなど具材を挟んだところでサンドウィッチ的な名称に変化するわけではない。具材の挟まったパニーノは、用途的には日本でいうおにぎりみたいなものである。イタリアでの携帯食、つまりお弁当といえばまずはパニーノなのである。ただ、そのパニーノも、土地によって中に挟まる具材は様々だ。

 ティナのカラブリア仕込みのパニーノは見た目を裏切らない辛さだった。

 「辛いですね」とペットボトルの水で口の中のパニーノを流し込みながら呟くと「なによ、まずいの?」ととても強い口調で問いただされたので「いや、美味しいです、とっても。すごく」と慌てて付け加える。

 ティナはアパートをシェアしている4人の学生のうちのもう一人、ナポリ出身のラファエレという男性と付き合っていたが、この浮気性の男に対して激昂したティナの壮絶な攻撃を何度も目撃してしまったためなのか、激辛カラブリア仕込みパニーノの味はティナの人格そのものではないかと思えてならなかった。
「トスカーナのサラミが挟まったパニーノって味気がなくて好きじゃないの。はっきりしないじゃない、あのサラミの味」

 そんな話で盛り上がってしまったせいで、ボーボリ庭園から帰りのバス停までの道すがら、私はバールの前を通り過ぎるたびに店内にあるショーケースを覗き込んで、どんなパニーノが売られているのかを物色せずにはいられなかった。たしかに、どのバールのガラスケースの中に並んでいるのも、サラミにペコリーノチーズ、または生ハムにモッツァレラというコンビネーションのパニーノであり、これはつまりイタリア全土におけるベーシックである。

 ただ、その後のフィレンツェでの暮らしで、私は生涯これを超えるものはないと断言できるパニーノに出会っている。それが、以前この「世界を食べる」の“モツ”を扱った項目(深遠なるモツのこと)でも取り上げた、牛の第4胃袋“ギアラ”を煮込んだ、ランプレドットのパニーノである。こうして文字でこのランプレドット、という文字を打ち込んでいるだけで口蓋が唾液で満たされてしまうほど、このモツの煮込みを挟んだパニーノは私の大好物だが、これはフィレンツェ市内の、特定の屋台のある場所に行かなければ食べられない。モツ料理の種類の多いガチンコのフィレンツェ料理の店でも出しているところはあるが、やはりランプレドットは屋外の屋台の前であふれる汁を石畳の上にボタボタと滴り落としながら、紙コップになみなみと注がれた赤ワインと一緒に喰らうものである。

 それと、当時付き合っていた貧乏詩人とお互いの僅かな所持金をかき集めてでも時々食べに行っていたのは、サン・ピエリーノと呼ばれる歩行者用のアーチの中にあった、元々はワインの立ち飲み屋で作ってくれるパニーノだ。ここでは客のリクエストに合わせて、オリジナルのパニーノを作ってくれるのだが、私のお気に入りはポルケッタという豚の丸焼きのスライスにポルチーニ茸の油漬けをみじん切りにしたものを乗せた逸品である。あの店で出されていたパニーノは、当時の私にとってミシュランの星付きレストランなど目じゃないくらい美味しかった。時々アメリカ人の観光客がやってきて
「ターキーとサラミにアーティチョーク、それでもってポルチーニに、ソースはマヨネーズにマスタード、ペルファヴォーレ」
などとリクエストをしていたが、店の寡黙な老夫妻は文句を口にすることはせず言われたままのパニーノを作って振る舞っていた。あのパニーノテカ(パニーノ屋)は、フィレンツェにおける知られざる名店であった。

 誰が最初にやり出したんだか知らないが、この、皿で食べるべき料理をパンに挟んでいっぺんに口に入れるというスタイルは、どちらかといえば行儀が良いものではない。日本でいう、ご飯におかずをぶっかけた丼ものに近い感覚なのかもしれないが、とにかくいっぺんに多くの食材を頬張る目的として編み出されたこの具材挟みパンを、ここではわかりやすくサンドウィッチと称しておくとする。

 サンドウィッチの世界は実に広い。ハンバーガーも、ホットドックもカツサンドも、焼きそばパンも、とにかく具材が挟み込まれたパンをすべてサンドウィッチと括るのであれば、サンドウィッチという食のスタイルほどグローバル化を達成させた料理法は他には思い浮かばない。まあ、パンという古代から人間が食べ続けてきた食材自体が世界中に存在することを踏まえれば、別に不思議でもなんでもないことなのかもしれないが、知らない国へ旅に出て、何を食べたらいいのかわからなくなったとき、とりあえずサンドウィッチ状のものに出会うと、言語のわかる人に出会えたような安堵を覚えることがある。普段気にしたこともないが、サンドウィッチには実にハイスペックな外交力が備わっているのだった。

 歴史を辿ると古代ローマ時代にはすでに羊の肉をパンに包んで食べていたというユダヤ人の記録が残っているが、おそらくもっとその前の時代からこの食べ方は中東や地中海沿岸では普通に浸透していたはずだ。中世になると古くなったパンを皿がわりに、そこに食事を乗せて食べていたこともあるらしい。皿としての用途を終えたパンは家畜の餌にされていたそうだが、地域によっては食器的役割をなすパンも一緒に食べてしまう文化圏が今もある。インドのナンとカレーの関係もそれに近いのかもしれない。

 日本にパンの歴史が入ってきたのは最近のことなので、もちろんサンドウィッチが出現したのも、自分の親やおじいさんおばあさんの時代程度ということになるのだが、ほんの短い間にこの国ではあらゆる国のサンドウィッチが食べられるようになった。イタリアのパニーノも「パニーニ」という複数系の呼称で、しかも平たくホットサンドにした形態のものとして日本では浸透しているが、いつの間にか普通に日本で市民権を得ているのには驚いた。

 コロナ禍の自粛中に私がはまっていたのが、ヴェトナムのサンドウィッチ「バインミー」である。かつてヴェトナムやカンボジアを訪れた時に食べた、パリパリのフランスパンと、その間に挟まったほんのり魚醤の味のするエスニックな具材との絶妙なコンビネーションにはすっかり虜となったが、あの旅を思い出させてくれるようなサンドウィッチが東京でも食べられるのは、本当に素晴らしい。こうして何でも食べたいものを口にできる世界に慣れてしまうことへの危機感を感じつつも、味覚の貪欲さには勝つことはできない。

 覚書ついでに、これまで私が訪れた世界で食べてきた忘れ難きサンドウィッチをいくつか挙げてみると、まずは先述したフィレンツェの「ランプレドット」と「豚の丸焼きのスライスとポルチーニ茸の油漬け」のパニーノ、そして、シリアで毎日のように食べていた「シャワルマ」(ドネルケバブ)、同じくシリアで食べていたピタパンにヒヨコマメのコロッケを挟んだ「ファラフェル」のパン挟み、ポルトガルのイワシの炭焼きのパン挟み、ブラジルの「フランセジーニャ」というハムを挟んだサンドウィッチの上にチーズをかけて焼いたもの、キューバで夜遊び後に食べる「メディアノーチェ(真夜中)」という具だくさんのサンドウィッチ…

 最近であれば、日本の分厚い卵焼きが挟んであるサンドウィッチも大好きだが、今この原稿を書きながら食したのは長崎の角煮が挟まった万頭である。これだって要はサンドウィッチである。

 この原稿を書き始めるまで、自分がこれほどサンドウィッチ好きであることを自覚したことは一度もなかった。ただ、海外を転々とする暮らしの中で、無意識のうちにこのサンドウィッチという誰にでも安心感を与える食べ物に癒され、そして励まされてきたことは確かである。と同時に、どんな地域のどんな食材であろうと、包み込んだ具材を美味しく演出してくれる、謙虚なパンの多元性と寛大さを痛感するのだった。サンドウィッチのパンのような人間でありたいものである。

ヤマザキマリ氏

著者:ヤマザキマリ (やまざき・まり)

漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。

1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。

2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章綬章。

著書に『スティーブ・ジョブス』(ワルター・アイザックソン原作)『プリニウス』(とり・みきと共著)『オリンピア・キュクロス』『国境のない生き方』『ヴィオラ母さん』『パスタぎらい』など。