食のエッセイ

出前のありがたさについて考える

 子供の頃、客人が来ると母は近所の蕎麦屋から出前を取ることがあった。サザエさんでもやはりお客の接待だったり、フネさんが不在だったりすると「店屋物を頼もう」という流れになり、カツオやワカメたちは飛び跳ねて大喜びをする。あのころの一般の人たちにとって、出前というのは嬉しい非日常であった。

 今でも子供の頃暮らしていた団地の玄関の扉を「まいどー」と威勢の良い声とともに開けて入ってくる蕎麦屋のお兄さんの、白い帽子をかぶった姿が記憶にしっかり焼きついている。蕎麦屋との距離は歩いても10分程度だったから、配達される蕎麦や天ぷらはいつも出来たての熱々で、どんぶりの蓋を開けた時に立ち上る湯気と香りは私たちにこのうえない幸福感をもたらした。

 料理がそれほど得意でもなければ、そもそもオーケストラの仕事で忙しい母は出前を取ることが多分他所様のお宅に比べて多かった。とはいえ、近所にはその蕎麦屋とラーメン屋しかないので、出前を取るとなるとそのどちらかになる。ラーメン屋の方は自分の同級生の家だったので、時々その少し太った少年が、岡持ちを持って我が家に現れることがあった。岡持ちの蓋を開けて、慣れない手つきでラーメンのどんぶりやチャーハンの皿を取り出すと、「俺も食いてえなあ、なあ、一口くれよ」などと自分の家の商品を羨ましがることもあった。そのあと彼の家はラーメン屋を畳んで不動産屋に職種転換してしまったので、ラーメンを出前で取る機会はなくなってしまったが、少年は少しだけ贅肉が落ちた。蕎麦屋の方は相変わらず月に何度か我が家に蕎麦や天丼を届けに現れ、時々肩のあたりまで蕎麦のどんぶりや蕎麦猪口を乗せたお盆を掲げ、うまいぐあいにバランスを取りながら街中の通りを自転車で通り過ぎていく姿を見かけることもあった。この街のどこかに暮らす誰かのもとに、あのお盆の上の蕎麦が届けられるのかと思うと、外を駆け回っていたせいでいつもお腹が空いていた私は羨ましくてたまらなかったのを思い出す。

 食べ物を自分の家まで持ってきてくれるというサービスはどこの国にも当たり前にあるものなのかというと、そんなことはないようだ。今でこそフード・デリバリーサービスが発達して、世界の多くの国々ではネットから自分の食べたい料理をレストランから代行者に運んでもらえるようになったが、例えばイタリアの場合だと、今のようなフード・デリバリーが普及する前から、基本的に事務所やお店に勤めている人に限り、近所のバールからエスプレッソやカプチーノなどの飲み物を取り寄せる習慣は今でもある。しかし、食べ物そのものをレストランから運んでもらうというのは一般的ではない。デリバリーといえばピッツェリアだが、電話で注文をして焼いておいてもらったピッツァはこちらから取りにいくものであって、届けてもらうわけではない。

 もちろん例外もある。

 私がフィレンツェで留学生生活を送っていた頃、中国人が経営する中華料理屋が出前サービスを始めたことがあった。今から30年ほど前の話だ。ネットはまだ普及していなかったので注文方法は電話しかないし、オーダーを受ける中国人はイタリアに来て間もないのかなかなか言葉が通じない。本当に自分の頼んだものが届くかどうか配達が来るまでハラハラさせられるが、アルミの容器に入った、店屋物というよりはどこかのご家庭のお裾分けのようにも見える料理は、たとえ注文と違っていたとしても、どれも美味しかった。自分の家で自分が作れない料理をいただく、それこそが私にとっての出前の旨味だった。

 パドヴァの家のそばにある、今でも行きつけのレストランでは、特別に、とある客にだけ、主人自ら出前サービスを行っていたことがある。相手は常連のうるさい爺さんで、自分の足でも十分歩けるくせに、いつも道端で出会う誰かに頼んでレストランまで連れてきてもらうという変な人だった。若い男女から買い物袋を提げた主婦に至るまで、爺さんをレストランのテーブルまで連れて来てはそのままそそくさと立ち去る姿を見るたび、なんて奇特で親切な人たちがいたものだろうと感心していたが、爺さん自身もひょっとしたらこの世知辛い世の中において、どれだけ慈悲と思いやりを持つ人がいるのかを確かめていたのかもしれない。

 爺さんは相当偏屈者なので、注文した料理に対していちいち不平不満をぶつけるのが常だった。だから老主人といつも言い争いになっていたし「もう来るな!」と言われることもあったが、その数日後にはまた通りすがりの誰かに伴われて、しらじらしく現れる。

 そんなある日、しばらく見かけなくなったと思っていた爺さんから、持病を拗らせて入院しているという連絡がレストランにあった。主人に取り次ぐと、ついては病院の食事だとまずくて餓死してしまうかもしれないから、あんたのスパゲッティを持ってきてほしいと催促されたという。老主人は「ふざけるな、出前のサービスなどしとらん!」と怒って電話を切ったそうだが、病気の爺さんへの心配は拭い取れず、結局その翌日からリクエストされたとおりマンマ味のトマト味スパゲティを週に2回病院まで自分の足で運ぶようになった。老主人も爺さんに“利他性”を試されていたのかもしれないが、まあ、そのような出前のかたちもある。

 可能な範囲で調べてみたところ、やはり日本における出前というのは他国に比べて抜きん出てその歴史も古く、商業文化における大事なサービスとして発展してきたようだ。江戸時代中期の版画に、天秤式の岡持ちを持った蕎麦屋が描かれている。考えてみたら、調理済みの料理に限らずかつての日本には、通りを行く行商の人に声さえかければ野菜でも魚でも何でも家先まで持ってきてくれる商業文化が定着していたのだ。

 ちなみにアメリカで1950年代の後半から始まったとされるピザのデリバリーが日本で導入されたのは1985年。これは従来の日本式とは違う、新しい形での出前であり、今のフード・デリバリーの先駆的なものとも言えるかもしれない。2000年頃になると、レストランの料理を一般の家に届けるフード・デリバリーの代行業者が現れるようになり、和洋中華に限らずタイ料理だろうが本格イタリアンだろうがスイーツだろうが、とにかくあらゆる味覚をレストランへ行かずして、家でも堪能できるようになった。

 そして現在のように疫病流行による外出自粛規制下であっても、背中に配達用のリュックを背負って自転車などで行き来している配達人の姿は減ることはない。自粛が叶わない非正規雇用という立場を重たく受け止める側で、あなたたちがいるおかげで絶望的な気持ちを免れることができている、という感謝の思いがこみ上げてくる。

 日本での飲食業に携わる外国人労働者もまた、人知れず歯を食いしばりながら頑張っている。先日我が家にカレーを届けてくれたインド料理店のネパール人の青年(マスクで顔が覆われていたので、もしかしたらもっと年配者かもしれないが)に思わず「故郷やご家族が心配じゃないですか」と問いかけると、その人は「心配ですとても」と即答し、「でもわたしの仕事がなくなるのもっと心配、家族食べられない、生きられない」と重ねた。「またよろしくお願いします」と、深々と腰を折った丁寧な挨拶をしてその人は去って行ったが、彼らもまた、生き延びる保証を得ることのできないこの状況下において、出稼ぎ先である日本と故郷を同時に支えている大切な人たちであることには違いない。

 いち早く都市のロックダウンに踏み切り、経済的打撃への不安を口にすれば「人の命と金とどっちが大事なんだ」とピシャリと言い返してくるような家族が暮らすイタリアでも、様々な厳しい規制や措置が取られている中でフード・デリバリー代行の需要は絶えていない。彼らは医療従事者や生活必需品を扱う店の従業員たちなどと並んで、国民から厚く感謝されている。

 先日テレビで見たパンデミック関連のドキュメンタリーでフランスの経済学者が、あらゆる生き方の側面において、利他性が発揮できなければ個人としての利益や安心にもつながらないという内容のことを話していた。彼がそこで用いていた利他性とは、今回の感染症の対策も開発途上国や発展途上国を思いやることができなくなれば、その影響は自分たちにも及ぶという意味にかかっていたが、医療でも運搬でも販売でも、自分たちの身近にも利他的に生きる人は大勢いる。様々な情報や人々の意見が錯綜する中で荒みがちになっている私たちのもとへ、料理人が作った美味しくて温かい、出来立ての料理を運んでくれる出前はまさに、他者を思いやるサービスを象徴する仕事だ。

 ふと思い立って、イタリアで一人きりでの自宅軟禁状態になっている夫に、フード・デリバリーネットを介して街で一番美味しいと言われているパティシェのケーキをオーダーしてみたところ、誕生日に手書きのカードを送った時の何十倍も嬉しそうな声で電話がかかってきた。ケーキを届けてくれたのは若者ではなく、私くらいの年齢の主婦だったという。おそらく経済的に厳しい背景を抱えているのかもしれないけど、本当だったらそんな仕事はせずにステイ・ホームを選びたいところなんだろうけど、でもすごくにこやかで明るかったんだよ、と夫。「頑張って乗り切りましょうって、声を掛け合ったよ」とのこと。もう2ヶ月近く生身の人間とのコミュニケーションが途絶え、人と言葉を交わすことに枯渇していた夫にとっては、その女性との短いやりとりは束の間の喜びだったに違いない。出前は美味しい食べ物とともに、少しだけ垣間見える配達人の人柄も含め、前向きな気持ちを運んできてくれる効果もあるということだ。

 日本の、そして世界中の食べ物配達員の皆さんに心から感謝を捧げます。

ヤマザキマリ氏

著者:ヤマザキマリ (やまざき・まり)

漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。

1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。

2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章綬章。

著書に『スティーブ・ジョブス』(ワルター・アイザックソン原作)『プリニウス』(とり・みきと共著)『オリンピア・キュクロス』『国境のない生き方』『ヴィオラ母さん』『パスタぎらい』など。