食のエッセイ

悪魔と呼ばれた作物

 様々な料理の具材として日々相当な量を消費しているにも関わらず、ジャガイモという野菜についてじっくり考えたことのある人が、一体この世にどれだけいるのだろう。“ジャガイモ”という名称の由来が何なのかさえ良く分かってもいないのに“ジャガ”の部分だけがスナック菓子の商標名になっていたり、久々に訪れた秋の北海道で、ジャガイモ収穫中のトラクターを見た息子が「どこもかしこもジャガってるねえ」などと呟いているのを聞いて、だいたいジャガってどういう意味なのだろう、と思ったのを機にジャガイモの素性を調べてみることにした。

 ジャガイモは我々人間の飢えの窮地を救い続けてきた、心強くも頼り甲斐のある素晴らしい食べものである。にも関わらず、扱われ方に如何せん粗雑さがある点が、どういうわけか世界中で共通している。大抵どの国においても、ジャガイモは「ダサい」「垢抜けない田舎者」「愚鈍」というような形容の象徴になっているし、日本でも田舎っぽい人にはかつて「イモ」と表現していた時期があったが、あの「イモ」とはサツマイモでもヤマイモでもサトイモでもなく、間違いなくジャガイモを指している。

 イタリアの、少なくとも私の知る人々の間では、脂肪をため込み過ぎた体で少々行動が鈍い人のことを「ジャガイモの入った袋(Un sacco di patata)」と形容することがある。なんて失礼な、と感じる傍で、その形容の扱われ方をよくよく分析してみると、決してその対象者が心底から卑下されているわけではないことが判ってくる。たとえ洗練されていなくても、多少垢抜けていなくても、存在そのものへの何気ない有り難みとシンパシーが「ジャガイモの入った袋」という形容にはほんのり含まれているのだ。見た目の様子は確かに人参やトマトに比べたらちょっとブサイクかもしれないが、普段の食生活におけるジャガイモ摂取率のことを考えると、我々はもっとこの根菜の存在を尊ぶべきなのではないかとも思う。

 今、もしこの世からジャガイモが一切消滅したら、どうなるだろう。結構たくさんの人たちが極度のジャガイモロスに陥ることは間違い無いだろう。ジャガイモの入っていないカレー。ジャガイモの入っていない肉じゃが。ハンバーガー屋からもフランドチキン屋からも定番の付け合わせであるフライドポテトも消え、ポテトチップスのようなスナックは伝説と化すに違いない。クラスの中では決して目立つわけではないけど、いざという時にはほかの連中が嫌がる頼みごとを快く聞いてくれたり、困ったことがあれば嫌な顔ひとつせずに力を貸してくれる、そんな同級生が突然居なくなってしまったら、結構な喪失感を感じると思うのだが、要するにジャガイモというのは食材界において、そんな立ち位置にあるように思う。

 ジャガイモという日本での名称については、17世紀にジャワ島からもたらされたという意味から“ジャワイモ”だとか“ジャガライモ”と呼ばれていたのが変化したという説と、天保の飢饉で人々がこの芋によって餓死の危機を救われたことから“御助芋”(ゴジョイモ)と呼ばれていたという説があるのを知った。確かにジャガイモは15世紀に南米大陸からヨーロッパに導入されて以来、世界中の地域で“人間の飢餓を救う食べ物”の代名詞となってきたし、日本においても、飢饉対策の一案として輸入されたのが、普及の発端である。欧州では、小麦を栽培するよりも狭い敷地における収穫の効率の高さや、寒冷地でも育つことが重視されて耕作範囲が拡張していったそうだが、現在では世界5位のジャガイモ収穫国であるアメリカも、最初はアイルランド人移民による地道な耕作から始まったのだそうだ。18世紀の独立戦争時、兵士たちはほぼ皆このジャガイモによって日々の飢えを凌いでいたという。

 かのアダム・スミスも『富国論』の中で、小麦の3倍の生産量のあるジャガイモを、麦・米・トウモロコシに並ぶ世界四大作物のひとつとして取り上げているが、北朝鮮の金正恩が食糧難対策としてやはりジャガイモの耕作量を増やし、大量のジャガイモの前で、それこそジャガイモ的な満面の笑みで写っている写真を目にした記憶も新しい。ロシアなどの寒冷地でもジャガイモは大切な飢餓対策の食物であり続けてきたが、現在でもロシアとウクライナは、トップの中国、そして2位のインドに続くジャガイモ生産国となっている。

 そういえば自分も、かつてイタリアで貧乏を極めていた留学時代、果たしてどれだけのジャガイモを食べたか計り知れない。ちなみにイタリア人は実はそれほど日頃ジャガイモをモリモリ食べているわけでもなく、知名度のあるジャガイモのニョッキも全地域で食べられているわけではない。普段はロースト状態のものが肉の付け合せとして出てくる程度だ。

 しかし学校の家庭科で粉ふきイモを作らされた日本人である私にとって、ジャガイモはコストパフォーマンスの良い抜群の貧乏対策食材だった。当時付き合っていた詩人は「貧乏な立場でジャガイモを食べると、本当にもう行き場のない気持ちになるからやめてくれ」と言って、あまり食べてくれなかったが、私は彼ほど意識を高く持って生きていたわけではないので、空腹を解消できればなんでもよかった。

 当時とても仲良くしていた、やはり同じく絵描きの貧乏なイギリス人夫婦の家もやはりジャガイモ消費率の高い生活を送っていた。時々遊びに行くと、「何もなくてごめんね」と食事で出されるのが、湯がいたジャガイモとその上に目玉焼きを乗せたプレートだった。田舎のオンボロ一軒家を借りて住んでいたこの夫婦の、暖房設備もない慎ましい台所のテーブルで、ホクホクの湯気の立つ茹でたてのジャガイモに塩コショウとオリーブオイルを掛け、出来立ての目玉焼きの半熟の黄身に浸したひとくちを口に入れた瞬間の、あの全身に沁み渡る滋養の感覚は、詩人の求めていたような意識の高い食材では叶えられない、唯一無二のものと言っていい。

 北海道に移り住んだ私たち親子の暮らしを支え続けてくれたのも、やはり紛れもないジャガイモであった。農家の子供達にバイオリンの出稽古をしていた母は、収穫期になると月謝の代わりに頂いたジャガイモをどっさり車に積んで家に戻ってくるのが常で、私たちはそれからしばらくの間、ジャガイモを食べ続けるのだった。ジャガイモ以外にもトウモロコシをもらってくる場合もあったが、やはり食材としても栄養素としても重宝するのはジャガイモであった。

 戦争体験者である昭和一桁生まれの母は、ジャガイモは戦争中と直後の辛さを思い出すと言いつつも「北海道のジャガイモは甘味がある」と絶賛、幼少期のトラウマを克服し、気がつけばジャガイモのコロッケを山積みになるくらい作ったり、地元の人がやるように蒸した状態のものにバターと醤油をかけて食べてみたり、ホイル焼きにしたり、茹でて輪切りにしたものをソテーしてジャーマンポテトにしたりと、ジャガイモライフを満喫するようになっていった。

 7年暮らしたポルトガルも、振り返ればジャガイモ消費の高い国だった。ポルトガルに行かれた方であれば心当たりがあるかもしれないが、レストランなどでイワシやアジのグリル焼きを頼むと、魚を乗せた皿の片隅には、ほとんどと言っていいくらい茹でたジャガイモが付いてくる。南部のアレンテージョへ行けばあさりとジャガイモを炊き込んだ料理が名物だし、リスボンでも干し鱈に揚げたジャガイモを混ぜて卵でとじた料理が定番だ。

 隣国スペインではトルティージャにジャガイモは欠かせない。ガリシア地方でタコとジャガイモの炒め物というスパイシーな一品を食べた覚えもある。フランスといえば牛挽肉とマッシュポテトのアッシ・パルマンティエやアリゴというやはりジャガイモのマッシュポテトとチーズを混ぜた料理が思い浮かぶ。インドにはジャガイモのカレーがあるし、ドイツでも食べられるジャガイモのパンケーキみたいなものはイスラエルやイランなどの中東でも似たものが食されている。とにかくジャガイモは食材としての癖や自己主張も少なく、温厚で、オールラウンドに世界中の人々の嗜好に染まって満足してもらえる、驚くほど寛容な食材なのである。だから、何に対してもむしろとっつきにくい個性と向き合うチャレンジャー精神を楽しむイタリア人には、如何せん不向きな食材なのかもしれない。

 ペルー南部のチチカカ湖周辺での栽培に始まり、大航海時代初めてヨーロッパに持ち運ばれたジャガイモは、その見た目の悪さなどの理由から「悪魔の作物」などと言われていたそうだが、それが何世紀かの後に、まさかここまで世界を席巻することになるとは誰も想像していなかっただろう。もしジャガイモが普及していなかったら、世界をここまで克服できず、人口もこれほど増加していなかったかもしれない。

 日本ではかつて向田邦子脚本の「じゃがいも」というテレビドラマが放映されていたが、ゴツゴツして一律しないその見かけのとおり、人間もそれぞれの生き様を持ちながらも社会でひしめきあっている、という意味を重ねてこのタイトルにしたという。私も先ほどジャガイモをクラスメートの例えに置き換えたが、確かに数ある野菜の中でもジャガイモにはどこか人間らしい味わいを感じさせられるものがある。見た目は不格好ではあるけれど、熱を入れればホクホク温かく、触っても食べても人間を温めてエネルギーを与えてくれるのだから、素晴らしい人格、ないし“芋”格の持ち主と言える。芽を食べればソラニン中毒になってお腹を壊すこともあるから、気を許しすぎるのは禁物ではあるけれど、なにはともあれジャガイモはとことん人間という生き物の脆弱さをわかっている食べ物なのである。そんなことを考えていると、これから誰かをジャガイモと例える場合、意味合いも変わってくるだろう。素朴だけど温かく、しかも献身的で優しい人に対して思わず「あなたはまるでジャガイモのようですね」と口に出てしまう可能性も否めないが、本当にそれがジャガイモみたいな人であれば、きっとその言葉も優しく受け止めてくれるはずだ。

ヤマザキマリ氏

著者:ヤマザキマリ (やまざき・まり)

1967年東京都出身。

17歳で絵画の勉強のためイタリアに渡り、国立フィレンツェ・アカデミア美術学院で、油絵と美術史を専攻。'97年漫画家デビュー。

『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。

著書に『国境のない生き方』(小学館)、『男性論』(文春新書)『スティーブ・ジョブズ』(講談社)『プリニウス』(とり・みきと共作 新潮社)など多数。

エジプト、シリア、ポルトガル、米国を経て現在はイタリア在住。

平成27年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

平成29年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ綬章。