食のエッセイ

病人ご飯は癒しの味

 私は見た目が丈夫なので、病気はあまりしない人と思われる傾向があるが、実は病気や怪我の体験が豊富である。子供の頃から、病は気合いで制御できるものだと信じていたところがあって無理をしてしまうわけだが、大抵それが裏目に出るというケースだ。

 それでも「これはダメだ」と弱音を吐かざるを得なかったのは、14歳の冬休みに欧州を一人旅していた時である。メンタル的な負荷が大き過ぎたのか、それまでに感じた事のない強烈な緊張感で、さすがの気合いも萎えてしまったのだろう。リヨン近郊に暮らす母の学生時代からのペンフレンド宅にたどり着いたその夜、私は激しい嘔吐と寒気と高熱に見まわれた。フランス人家族は到着したばかりの客がそんな有様になったのを見て大騒ぎをし、ベッドに私を寝かしつけると上からずっしり重い毛布を何枚も掛け、デカい錠剤を飲ませた。毛布の重さも加わり苦しい一夜を過ごすも、薬が効いたのかその翌日には熱も下がり、お腹の痛さも治まった。フランス人家族はそれを見て胸をなで下ろし、早速体力を消耗した私のために食事を運んできてくれた。お盆に乗せられた深皿にはコンソメのようなスープ、傍にはピンク色の大きなハムが添えてあった。「これを食べれば元気になるわよ!」と言われて私はスープを飲み、ハムを食べた。日本だとこういう時にはお粥が定番だが、スープはともかく、何故ハム?と思いつつもそれを頬張ると、新鮮な美味しさが胃壁に染み渡った。もちろん病人に食べさせる食事というのはそれぞれの家庭によっても違うのかもしれないが、その家では新鮮なハムが病気を回復させると伝承されてきたのかもしれない。

 では隣国イタリアではどうなのか。イタリアでは何度か入院もしたことがあるので病人食についてはかなり詳しい自負がある。まず家庭内において「今日はちょっと具合が悪い」と言うと、大抵食べさせられるのが茹でた白米か、ブロードと称されるコンソメスープで、多くの家庭はそこにパスティーナと称する小さなパスタを入れる。パスティーナにもいろいろな種類があり、細いスパゲッティを細かくした仕様のもの、丸くて中に穴があいたもの、麦の粒のようなもの、病人でありながらもパスタの形状をあれこれ楽しみたいというイタリア人の欲求の産物なのだろうか、とにかくそれはそれで面白い。メインディッシュ的なものとしては、欠かせないのがマッシュポテト。イタリアで入院をすれば、ほぼ毎日昼か夜にはマッシュポテトが出る。これにあっさりめに調理した鶏肉や人参の煮たのなどが加えられるが、はっきり言ってバリエーションは少ないし、食の大国イタリアといえども入院食は大抵激マズい。同じ部屋で入院していたオバさんの優しい娘さんは、毎日家からタッパーに美味しそうなパスタや肉料理を差し入れていたし、そこにさらに家から持ってきたオリーブオイルを垂らして、パンで皿の縁を拭いながら美味しそうに食事を取っていた。普段食と変わらないものを食することは病人の立場として良い事なのか悪い事なのかよくわからないが、とにかくマッシュポテトとスープだけのルーティンにストレスを溜めることは回避できるだろう。

 それと、イタリアの病人に欠かせないのが、赤ちゃん用のビスケットである。赤ちゃんが離乳するときに与える、栄養分もそこそこ豊富でしかも大変消化の良いフィンガー状のビスケットなのだが、味はほとんど無い。しかし、実家にかつて暮らしていた100歳近い婆さんふたりは、毎日このビスケットをボリボリ美味しそうに頬張っていた。

 数年前、標高5千メートル地点を通過する中国の青蔵鉄道というものに乗ってチベットのラサを目指した時も、当然の顛末として高山病で倒れた私だったが、その時同じコンパートメントをシェアしていた内モンゴル自治区からやってきた家族が、死にそうな様子の私を慮って「食べなさい」と差し出してくれたのが、牛の干し肉だった。私の枕元に照り輝く干し肉を3枚ほど並べて、ゼスチャーで「これを食べれば元気になる、食べろ」とやってみせてくれている。有り難かったが、干し肉はその時点の私にとってこの世で最も受け付けられない食べ物と言ってよかった。冷や汗をかきながらそれでも感謝を伝えようと、手元にあったノートに「感謝」と書いて見せたら、ご主人のほうが今度はそのノートに何かを書込み、私に見せてくれた。でっかく「高山病」と記してあった。わかってます。すみません、ほんとにご心配おかけして。と胸の中で思うも、もう筆談をする気合いもない。ラサに到着した私は待機してくれていたガイドの人に連れられて地元の病院に行き、そこで点滴を2発打たれて翌日何とか回復した。そこで朝に出て来たのがお粥である。それを見て、心底ほっとする。いくら世界中のどこの生活習慣に適用しようとも、胃袋というものはいざとなると保守的になるものだ。

 元気になった私を見て喜んでくれたガイドさんだったが、その後まだ本調子ではないのを気遣って、彼女が街中の喫茶店で頼んでくれたのがバター茶だった。「あなたは今身体が冷えている。我が家ではこれを飲んで身体を芯から温める」と説明してくれた。チベットのバター茶とは、ヤクという牛の乳で作ったバターを茶葉と煮詰めたロイヤルミルクティーみたいな、もの凄く濃厚な飲み物である。要するに温かい脂肪の液体である。しかもその後に訪ねたチベット族の家でも、何杯もこのバター茶を振る舞われて、私は再び消化不良に陥り、トイレから出られなくなった。「ヤマザキさん、胃調弱いね、鍛えないとダメね」とガイド氏に呆れたように言われるが、飲み慣れないバター状の液体を10杯も飲めばどんな胃腸が強靭な人でもそうなるだろう。とにかく食の外交というのがいかに大変なのかを思い知らされた。

 キューバでボランティアをしていた時に風邪をひき、ホームステイ先で出されたのは黒豆の煮込みとバナナだった。経済的にとても困窮していた時代だったので、病人のためには何か特別なものを出す、なんてゆとりも無かったのだと思うが、それでも私が食べた豆の煮込みは日常食べているものよりずっとあっさりしていたし、バナナとの相性も良かった。ちなみに母がハワイの病院に入院した時はチリビーンズが出て「ええっ、これって高齢者の入院患者に食べさせるべきものなの!?」と思ったが、気がつくと母はもうすでにもりもりスプーンを口に運んでいて、「これいけるわ」と満足そうだった。何はともあれ、身体が弱っていても食が進むのは良い事である。

 ポルトガル時代に消化不良を起こしてぶっ倒れ、入院をした時には鶏肉を繊維状に割いたものが入った“カンジャ”というチキンスープが出たが、これが結構美味しくて、退院をしたあとも普段家でよく作って食べていた。知り合いのギリシャ人が風邪でぐったりしていたときに食べていた「郷土病人食」というのも、やはりチキンスープだった。アメリカでも入院中には野菜も一緒に煮込んだチキンスープが出たし、韓国料理の参鶏湯は滋養食の代名詞的存在だ。鶏肉というのはきっと古来から病人用の食として広い地域で用いられてきたのだろう。

 シリアで子供が体調を崩した時、隣の家の奥さんからお米にヨーグルトを添えたものを食べさせなさいとアドバイスされた。イラン人の友人も同じようなものを病気になると食べていたという。中東ではどうもヨーグルトというのが病人食として幅を利かせているようだ。

 南太平洋の島で調子が悪かった時は、タロイモの葉をぐちゃぐちゃに煮たやつにココナッツミルクが掛かっているものを食べさせられたが、あれも病人食というにはエキゾチックな味覚だったが滋養にはなりそうだった。

 病人食というものは、当たり前だが世界のどの地域においても味覚は優先されない。栄養分や消化を促すことが考慮され、美味しさが重要視されないのが常だが、それでも中には前述したポルトガルの出汁の良く出た鶏肉スープや参鶏湯のように、日常でも不意に食べたくなるものがある。日本のお粥やおじやもそうだ。私を散々苦しめたチベットのバター茶も今なら味わい深く、当時の思い出に浸りながら飲めるだろう。たまにイタリアの姑が料理をするのが面倒で、コンソメにパスティーナを入れ,上からパルメザンチーズを掛けただけの癒し食を家族に振る舞う時があるが、意外にこれが好評だったりする。夫も舅も「いやあ、なんだかホッとするなあ、ブロード(コンソメスープ)は嬉しいなあ」などと言って食べている。

 どうやら人というのは、かつて自分が弱っている時に食べたり食べさせられたりしたものを、健康な時にも食べることで自分を癒したい、と思う傾向があるのかもしれない。勿論年齢的なものもあるのだろうけど、そう考えると、病人の為とはいえ、病人食というのは実は日々を生きる人々に大きな影響力を持った食事とも言える。

ヤマザキマリ氏

著者:ヤマザキマリ (やまざき・まり)

1967年東京都出身。

17歳で絵画の勉強のためイタリアに渡り、国立フィレンツェ・アカデミア美術学院で、油絵と美術史を専攻。'97年漫画家デビュー。

『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。

著書に『国境のない生き方』(小学館)、『男性論』(文春新書)『スティーブ・ジョブズ』(講談社)『プリニウス』(とり・みきと共作 新潮社)など多数。

エジプト、シリア、ポルトガル、米国を経て現在はイタリア在住。

平成27年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

平成29年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ綬章。