食のエッセイ

串刺し料理に見る、ハングリーのDNA

 古今東西、人というのは、どういうわけか串に刺さった食べ物が好きである。世界中どこへ行っても、串刺しになった郷土料理というのはだいたい存在しているし、それらの殆どは大衆グルメのカテゴリーに属し、誰からも愛される国民的メニューとなっているのが常である。

 箸やフォークを使わずに食べ物を口に運べるという便宜性もさることながら、味覚の大きながっかり感をとりあえず回避できそうな視覚効果を持った“串刺し”料理。肉でも魚でも野菜でも、串にさえ刺してしまえば普段とは明らかに何かが違う、特別な美味しさを纏ったような様子になるのが不思議だ。鮎やヤマメのような川魚にしても、串に波状に刺して焼いただけで、まるでついさっきまで清流で泳いでいたのを捉えてきたばかりのような新鮮さを醸し出し、サバイバル中にやっとのことでありつけたメシ的な、ワイルドでハングリーな食欲を触発する。

 串ものが好きな私の個人的見解かもしれないが、串というのは、食材ひとつひとつに手間を掛けている印象が伴い、故に食材への思いのこもった美味しさを演出する役割を為しているのではなかろうか。例えば普通に出汁醤油味で煮た何の変哲もない板こんにゃくにしたって、串に刺して形を少し捩らせれば、もうそれだけで旨味が増すような気がしてしまう。うちの息子などは子供の頃、お腹がいっぱいだからと残した肉や野菜を、改めて串に刺しただけで喜んで食べてくれたものだった。

 日本の場合、肉でも野菜でも串に刺して焼けば“焼き鳥”という部類になるようだが、それ以外のものでいえば先述の魚の串焼きにおでん、大阪の串揚げや串カツがある。団子類に田楽なんていうのもそうだ。海外の料理であれば、中東などイスラム圏の広範囲で食べられている様々な種類のケバブがあるし、アジアであればタイやインドネシア、フィリピンなどで食されているサテーが有名な串刺し料理である。インドの焼き鳥チキンティッカ、中国の屋台料理である羊肉の串焼きヤンローチャンに、ギリシャのスブラーキ、ブラジルのシュハスコ。隣国韓国のサンジョク。それぞれ食材の刺さっている串や棒の大きさ・長さはいろいろだが、私の記憶の限りでもこれだけのものが存在するのだから、凄い。欧米でも休日になれば人々は仲間達を集め、金属の串に肉やら野菜を刺して炭火で焼いて食べているし、イタリアでも肉や魚介をスピエド(剣)と呼んでいる棒に刺してグリルで焼いた料理がレストランなどでも普通に振る舞われている。かつて訪れた南太平洋の小さな島の部落でも、串刺し肉を食べたことがある。とにかく、串刺し料理というのは世界中のどこにでも存在するのである。

 そもそも、人類はいったいいつ頃から、このように串に刺さったものを食べるようになったのだろうか。

 調べてみたら、なんと前期旧石器時代にまでそのルーツは溯るらしい。ドイツのとある地域で30万年前に誰かが食べた串焼きと炭火の痕跡が残っていたそうだが、ちょっと待って。30万年前というと、石器を使うホモ・サピエンスが現れ、狩猟採集社会が形成された時期ということになるから、串焼きの食文化はその頃に発生したものだということだろうか? そんなに果てしない大昔から人が食べ物を串に刺していたとは全く想像もしていなかった。昔から変わりない食のスタイルというのはいろいろあるだろうけど、串焼きは、そんな中でもダントツで古い食べ方ということになりそうだ。

 繰り返すが、フォークや箸も使わない時代、素手で触れない熱いものを食べるのに便利でもあった串焼きは、食の歴史上最も原始的な調理法なのである。

 ギリシャのサントリーニ島では、紀元前17世紀に使われていた串焼き調理用の大理石の台が見つかっているが、鍋やフライパン状の調理器具が開発されるまでは、やはりこの調理法が一般的だったらしい。当時の人達もそこに魚介や肉を突き刺して火でじっくり炙っていたのだろうけど、とりあえずこうした串焼きが食べられている場所であれば、例えそれが今から4000年前であろうと30万年前であろうと、日々の食生活に希望を持って生きていけそうな気持ちには、なる。

 ちなみに、私は串焼き料理は串から抜かずにそのまま頬張りたい派だが、人数のいる食事の場で頼んだ焼き鳥など串から肉が外されるのを見ると、実は何気に意気消沈してしまう。確かにそうすることで何種類かの焼き鳥を一口ずつ味わえるお得感はある。でも私はやはり自分が頼んだ串焼きは、串1本丸ごと独占して食べたい。本能の中に滞っている狩猟民族時代の遠い記憶が、原始的で利己的な食欲を呼び覚ますからなのだろうか、串焼きはやはりお上品にではなく、口の周りを脂でベトベトに汚しながら、自分だけのものという感覚で食らい付きたいのである。

 このエッセイを書きながら、浮かれ気分で世界には他にどんな串を使った料理があるのかと、ネットで『串刺し』検索を掛けてみた。すると次々に恐ろしい画像が出てきてしまい、激しく狼狽えた。確かに、串刺しというのは調理法である以外に、生き物を殺したり、拷問の手段として実に多くの地域で古くから人々が使っていた残酷な手段でもある。中世時代の書物には、串刺しの刑に処された人々を目のあたりにしながら食事をしていた公爵の版画が残されている。何ともおぞましい話ではあるが、全くワケが判らないということでもない。考え過ぎかもしれないが、串刺しの刑に処される人は基本的に敵対者にとっての“獲物”であり、串を使った料理の特別感は、人間の潜在意識下にある狩猟の野蛮性と、生存欲によってもたらされるものなのかもしれない。

 とすると、焼き鳥を頬張って「美味い!」と感じる時、それは日常生活の中で、最も我々の感覚が原始に帰依している瞬間ということになる。綿あめだろうとおでんであろうと串に刺さったものを食べる時、私達は皆、30万年前から変わらぬワイルド・ハングリーな精神を密かに覚醒させながら、味わっているのである。

ヤマザキマリ氏

著者:ヤマザキマリ (やまざき・まり)

1967年東京都出身。

17歳で絵画の勉強のためイタリアに渡り、国立フィレンツェ・アカデミア美術学院で、油絵と美術史を専攻。'97年漫画家デビュー。

『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。

著書に『国境のない生き方』(小学館)、『男性論』(文春新書)『スティーブ・ジョブズ』(講談社)『プリニウス』(とり・みきと共作 新潮社)など多数。

エジプト、シリア、ポルトガル、米国を経て現在はイタリア在住。

平成27年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

平成29年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ綬章。