スパゲッティ嫌い
17歳でイタリアに暮らし始めてから今年で34年。他の国々に滞在していた期間も短くは無いが、何よりイタリア人の家族を持っているというバックグラウンドのせいで、私はイタリア料理に詳しい人、イタリア料理の嗜好性が高い人、と日本では思われる。毎日イタリア料理を食べられるなんていいですね、羨ましい、などと言われると、どうもそのままやり過ごせなくなり「じゃあ、あなたもやってみて下さいよ、長く持って2週間くらいだから」と毒気混じりの返答を口にせずにいられなくなってしまう。中には私との会食はイタリアン必須と考えてしまう人もいるらしく、そんな時は「せっかくイタリア料理以外のものが食べられる国にいるので、イタリア料理ではないものにしてください」とリクエストする場合もある。もちろんイタリア料理を徹底的に拒絶しているというわけではない。東京にはイタリアで食べるよりも余程お客を思いやった素晴らしい料理を出してくれる店は沢山あるし、新宿5丁目にある日本人シェフのイタリア料理店はとても気に入っていて、その味を知ってもらいたくて大切な友人を連れていくことも度々ある。
正直、私はグルメではないし、美味しさ感覚の沸点もとんでもないくらい低い。コンビニエンス・ストアのお弁当でもお腹が空いている時であればしみじみ美味しいと感じるし、気取らない大衆食も大好きだ。逆にもの凄く評価の高い高級な料亭で振る舞われる、最高の素材を使った最高の料理となると、どうもそれに叶った感動を覚えられる自信がない。敷居の高さを感じてしまう時点で、恐らく味覚の天真爛漫な積極性が萎えてしまうのだろう。
今から20年程前、未婚で生んだ2歳の子供を連れて日本へ一時帰国していた私は、生計のために札幌のローカルテレビ局の番組でイタリア料理をお披露目していたことがある。料理研究家でもなければグルメでもない、しかもイタリアでは貧乏生活が長過ぎて大して美味しいものも食べた経験すらない私が、なぜそんな畏れ多き大胆なことをやっていたのかというと、それこそ若干敷居の高さを醸し出している日本でのイタリア料理の扱われ方に疑問を抱いたのがきっかけだ。
テレビ局のプロデューサーが同席していた札幌のとあるイタリア料理店で私が頼んだのは、ニンニク・塩コショウ・鷹の爪をオリーブオイルで和えただけのシンプルな一品、“アーリオ・オリオ・エ・ペペロンチーノ”スパゲッティだった。これは、日本で言うならば“素うどん”と言ってもいいポジションのスパゲッティだが、私がフィレンツェでいつ野垂れ死にしてもおかしくないほど貧乏な暮らしをしていた時代、恐らく最も高い頻度で食べていたのがこの料理である。当時イタリアではスパゲッティの安いものだと500グラム入りが50円くらいでも買えたから、それで換算すると一人分の食材費は20円か、多くても30円くらいだろう。まさに私の飢えを救ってくれた食べ物だったと言っていい。同じ頃世話になっていたフィレンツェの文壇サロンでも、やはり経済的に困窮した作家や画家が集まって夜中まで話し込んだ時、誰とも無く茹でて皆で食べていたのがこのスパゲッティであり、私の中ではもはや好き・嫌いの嗜好性云々の枠には収まらない、自分という人間を司る細胞の一部分みたいなものになっている。
ところが、札幌のレストランで出されたこのスパゲッティの値段は1,000円を越えていて、私は思わず「うわあ、殆どレストランの儲けじゃないですか…」と漏らしてしまった。しかも日本人しか働いていないのに皆イタリア語で喋っているのも違和感だし、子連れのお客なんかはとてもじゃないけど入れなさそうな雰囲気だし、みんなやたらとワイングラスをぐるぐる回しているし、なんだかイタリアのイメージが日本には間違って伝わってませんかねえ、などと矢継ぎ早にだだ漏れてくる私の言葉に耳を傾けていたプロデューサーが「だったら一回テレビに出て、その安上がりイタリア料理とやらを作ってみてよ」と思いつきの提案をしたことが、全ての始まりである。
テレビで最初にお披露目したのは、アマトリチャーナという、おそらく日本のナポリタンの原型となったと思しきトマト系のスパゲッティだった。これだって、食材費はたいして掛からない。生放送だったので、料理をしながらの私の呟きもそのまま視聴者には届くわけだが、「人数で割っても100円そこそこじゃないでしょうかね」だの「でもレストランだと1,000円以上で出してたりしますからね」などという言葉は主婦層の人達には大いにうけ、レストランの経営者やシェフ達は大いに腹を立てたらしい。
とにかく、安上がりで腹持ちもするパスタ類はイタリアにおいては庶民の食であり、イタリア映画でも貧窮した様子を表現する時は、大人数で食べる大量のトマトソースのスパゲッティというシーンをよく用いている。ニンニク塩コショウパスタが続いて苦しい時は、奮発してひと缶50円くらいのトマトの水煮を調達し、トマトソース仕様にしたりもするのだが、自分の人生でいったいどれだけこの類いのパスタを食べてきたのかは計り知れない。
夫は幸運なことに貧乏人体験は一度もしていない人だが、イタリア人にとって基本的なおふくろの味とも言えるトマトソースのパスタは大好きで、しょっちゅう作っている。しかしそんな時私は日本から持って来た素麺や蕎麦を食べることにしている。正直、若い時に過剰に摂取し過ぎたためなのか、もはやスパゲッティを含むパスタ全般に食欲をそそられることは殆ど無くなってしまったのである。フィレンツェに留学をしていた11年の間に、私はおそらく一生分のパスタを食べてしまったのかもしれない。
そうは言っても、やはりたまには食べたくなるんじゃないですか、なんて思って読んでいる読者の方もきっといると思う。食べ過ぎとはいっても、もう今から四半世紀以上前のことだし、確かにここ数年、日本に足繁く帰ってくるようになってからは、スパゲッティを食べたくなることも、時々ある。ただしそれはアーリオ・オリオ・エ・ペペロンチーノでもなければアマトリチャーナでもない。カルボナーラでもなければイカスミでもなく、ウニとカラスミのパスタでもない。私が食べたくて仕方の無くなるスパゲッティ、それはケチャップを使った和製のナポリタンやタラコのソース、または納豆を使ったような種類のものである。ああいう類いのものであれば、胃袋はまだ喜んでくれる。
自分のエッセイ漫画にも描いたことがあるが、留学生活の初期に家をシェアしていた大学生達に、私はケチャップ使用の和製ナポリタンを作ったことがあった。あまりにケチャップの存在を邪道扱いするので、偏見を正してもらいたい思いもあったからなのだが、確かにイタリア人である彼らの目からしてみれば、東洋からやって来たイタリアという国のこともろくに分かっていない小娘の作るスパゲッティを食べるなど、一種の罰ゲームみたいなものだったはずである。使用調味料がしかもトマトケチャップとなれば尚更だ。ところが、このナポリタンが意外にも皆の口にあったのである。全員貧乏だったけど、そのせいで胃袋が至極寛容になっていた、というわけでもなかったらしい。あの時私を満たした達成感は今でも思い出せるくらい愉快爽快なものだった。
いくら海外暮らしが長くても、家族が外国人であっても、やはり私の味覚はなんだかんだで和製優位なのだろう。茹で過ぎてぶちぶち切れてしまう、お弁当の付け合わせに入っているようなケチャップベトベトの冷めたスパゲッティを口にした瞬間、なんだか心底からほっとしてしまうのも、間違いなくその証拠なのである。

著者:ヤマザキマリ (やまざき・まり) 氏
漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。
1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。
2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章綬章。
著書に『国境のない生き方』(小学館)『男性論』『ヴィオラ母さん』(文春新書)『パスタ嫌い』(新潮社)『スティーブ・ジョブズ』(講談社)『プリニウス』(とり・みきと共作 新潮社)『オリンピアキュクロス』(集英社)など多数。