お茶好き
私はコーヒーが苦手である。中学校の頃、教室の向かいにコーヒーを焙煎している店があり、そこから漂ってくる臭いがいつも辛くて仕方が無かった。イタリアでの留学生活が始まった頃には、社交辞令として周りから薦められるエスプレッソを飲むようにしていたが、やはりコーヒーのカフェインがいけないのか、飲んだ直後からたちまち胃もたれがして頭痛が激しくなるのである。子供の頃からお茶ばかり飲んでいたので、胃がお茶以外のカフェインを受け付けなくなってしまったのだろうか。そんなことは無いかもしれないが、とにかくお茶に関しては幾ら飲んでいても気持ちが悪くなることはない。母の証言によると、私は既に一歳になるかならない頃から、哺乳瓶で紅茶を飲んでいたそうだ。今のように一般の人が食品についての情報には全く詳しく無かった頃だから、母も何を気にすることなく私に紅茶を飲ませ続けていたのだろう。
保育園に通うようになり、遠足などお弁当を持たされる時に私の水筒に入っているのは、いつも紅茶だった。他の子供がお番茶の冷めたのや麦茶なのに、うちの場合は必ず紅茶でそれ以外は無い。母もコーヒーより紅茶ばかりを飲む人だったが彼女の父も紅茶党だったそうで、彼女にとってお茶といえば緑茶やほうじ茶ではなく、紅茶を意味していた。
若いうちから慣らされてきたこともあって、今現在の私は目が覚めてから一日に五杯も六杯も紅茶を飲んでいるが、それでもコーヒーを一日に何杯も飲む人よりはカフェイン摂取量は少ない。調べてみたら、紅茶一杯のカフェインの量はドリップで入れたコーヒーの半分くらいなのだそうだ。ただ、量を飲めばそれなりのカフェイン摂取はしていることになる。
現在の私は紅茶に限らずあらゆる種類のお茶を一日におそらく二リットル近くは飲んでいるが、統計によれば世界で最もお茶の消費量が高いのが中東のクウェートなのだそうだ。二位はアイルランド、それに続くのがかつて東インド会社によるお茶の独占貿易で大きな利益を得ていたイギリス。しかし、アイルランドやイギリスにおける紅茶摂取量が高いのは、決して嗜好性だけによるものではないらしい。欧州の他の地域でも同じだが、これらの国の水は硬水であり、生で飲めないことが由来しているという。たしかにイギリス以外の国でも水を飲む代わりに喉の乾きを潤すためにお茶を飲んでいたりするので、美味しい水があるかないかがお茶の摂取率の目安にもなるかもしれない。私もかつて貧乏学生だった頃はミネラルウォーターを頻繁に買えないので、いつもお茶を沸かして飲んでいたが、最終的にその時の習慣が今も継続されている。
ちなみに私が世界の中で最もお茶への愛が足りないと感じているイタリアやポルトガルは、案の定三十位までのランキングにも入っていなかった。そりゃそうだろう。この両国では、何をどうしたらこんなにマズいお茶になるのだろうと疑問に思うくらい、飲めたものじゃないお茶を出されることがある。器にしろ振る舞い方にしろ、お茶を美味しく飲もうという姿勢が全く感じられない。イタリアとポルトガルでは美味しいコーヒーが飲めるが、コーヒー嗜好の人がマジョリティなので、お茶はつい蔑ろにされてしまうのだろう。
中東のシリアに暮らしていた頃も家でも外でも常に紅茶を飲んでいた。アレッポにあった古い公衆浴場の中で、床に食べ物を並べ団欒をしていた家族に振る舞われた甘くてスパイシーなお茶が美味しくて、暑い場所で熱いお茶を飲みながらダラダラするという楽しみ方を知った。
またある時は、シリア砂漠のとある遺跡へ移動する為に乗ったマイクロバスの車中で、淹れたばかりのお茶を飲んだことがある。我々と一緒に同乗していた小学生くらいの子供が、突然助手席のあたりに備えてあった小さなコンロを通路の中程まで持って来て、それでお湯を沸かし、乗客一人一人に熱いお茶を配ったのである。あの子はきっと運転手の息子かなにかで、淹れたてのお茶もあのマイクロバス独自のサービスだったのだろう。お茶には確かに覚醒の効果もあるけど、どこの国でもなにより安らぎをもたらす飲み物と捉えられているので、バスの中など乗り物の中で温かいお茶を頂くのは有り難かった。中東であればエジプトやトルコやイランのような国でも、あらゆる場所で小さなガラスのコップに入った熱くて甘いお茶を振る舞われることがある。言葉が添えられなくても、そっと目の前に差し出されるお茶には、温かいおもてなし要素が込められているようで、ホッとする。
そういえば何故かシリアでは紅茶の他にも「マテ茶」がよく消費されていた。本来マテ茶というのは南米原産で南米で良く飲まれているお茶のはずなのに、どういうわけかダマスカスの街角にはこのマテ茶を出すキオスクまであった。話によると、もともと南米に移民していたシリア人達が戻ってきたことによって普及したのだそうだが、あの当時で年間一・五トン以上も輸入していたというから、どれだけのシリア人達が南米の移住先から戻ってきたのか考えさせられた。
わりと世界のどんな地域のどんなお茶でも平気で飲める私ではあるが、今迄一番ハードルの高かったものは、チベットのバター茶だろう。一杯くらい飲む程度であれば問題は無かったのだろうが、訪れた民家では小さな茶碗とはいえ十杯以上も次々と飲んで、その夜は案の定お腹がへんになってしまった。言葉が通じないから、奉仕されるものだけでも美味しく頂くしかないと思い、絶え間なく注がれるのをニコニコしながら飲んでいたわけだが、年齢のせいもあってか無理のツケがしっかりと現れた。高山病で倒れた直後だったこともあるが、寒いチベットの人の冬を支えるヤクの乳の脂肪の過剰摂取は、慣れていない人には忽ち強烈な影響が表れる。
このバター茶に用いられている茶葉はプーアールなどに代表される黒茶なのだそうだが、味がどうのこうのというよりも、茶葉を固めて固形にしてあるので標高の高い地域迄の可搬性に優れている、というのが理由らしい。
プーアール茶は私も大好きな茶葉で、毎日必ずどこかのタイミングで飲んでいる。先日訪れた香港で入ったお茶の販売店ではプーアール茶がどれだけ体にいいかをたっぷり宣伝されて、大量買いをして帰ってきた。香港の人は本当によくプーアール茶を飲むが(沢山食べるのに無駄に太らないのはプーアール茶のおかげだと地元民は言う)、お店のおばさんは、しきりとプーアール茶の効能は余計な油を排出させるだけでなく、血もさらさらにしてくれるのよ、お通じも良くなるわよ、と熱く語っていた。沢山の種類を試し飲みさせてもらったが、その中から私は何となく縁起の良さげな 〝笑佛普洱〟という名称のものを購入した。文化革命時、毛沢東は製造行程に時間が掛かり過ぎるという理由で、本国でのプーアール茶の生産を一時的に中止させていたそうだが、あの人ももっと積極的にプーアール茶を飲んでいたら、いくらかスリムになれていたのではなかろうか。
ところで、世界がどんなに広くても不思議なのはどこの地域でもそれほど変わらないお茶の呼び名である。モンゴルからインド、ペルシア、そしてトルコやロシアなどの地域で使われる「チャイ」など「チャ」から始まる系列のものは中国の北方語、そして広東語が語源だと言われている。英語の語源となっている「テー」は福建省や台湾などで使われている閩南語がマレー経由でオランダ人によってもたらされた呼称とされているらしい。フランスでもイタリアなど西ヨーロッパ地域ではどこでもお茶は「テ」だが、何故かポルトガルでは「シャ」と呼ばれているのは、彼らが広東省と直接茶葉の貿易をしていたからなのだそうだ。なるほど。
日本では遣唐使チームの二人、最澄と空海が日本にお茶を持ってきたという説があるが、最近の研究では彼らの時代よりも前の奈良時代から既にお茶は存在していたらしい。その後日本では〝茶の湯〟という独特のお茶文化を育んで行くが、風土やそして日本人の几帳面さもまた美味しい茶葉を栽培するのに適しているのだろう、私の最近のお気に入りは国産の紅茶である。特に佐賀の嬉野や熊本の天草のものが香りも風味も私好みで、家でも切らさないように常備している。
というわけで、このエッセイを書きながら消費した紅茶は三杯。種類は今ここに上げた国産の紅茶、そして頂き物の薫製香が麗しいラプサン・スーチョン。それから東京の仕事場近くのカフェで購入したケニア茶。私の血はきっと紅茶でできている。

著者:ヤマザキマリ (やまざき・まり) 氏
漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。
1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。
2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章綬章。
著書に『国境のない生き方』(小学館)『男性論』『ヴィオラ母さん』(文春新書)『パスタ嫌い』(新潮社)『スティーブ・ジョブズ』(講談社)『プリニウス』(とり・みきと共作 新潮社)『オリンピアキュクロス』(集英社)など多数。