食のエッセイ

メロンの気持ち?

 私は酸っぱい果物が食べられない。食べられない、というのは嗜好性の問題ではなく、果物の酸味に拒絶反応が出てしまって、美味しさを味わうことができないのである。どうしてもと言われれば食べられないこともないが、例えばイチゴだと、一粒完食するのに1時間は掛かってしまうだろう。グレープフルーツやオレンジ、夏みかん、そしてレモンといった柑橘系のレベルになると、もう完全にお手上げである。果物ではないが、実はトマトも酸味が強いとなかなか積極的に食べられない。

「イタリアにいるのに、そんなのアリなの!?」と驚かれることもしょっちゅうだが、物心がついた時から果物をそういう理由で食べられていないのだから仕方が無いのである。

 しかし、周りの人たちは家族も含めてみな酸っぱい果物が大好物だし、こうした生の果物の酸っぱさのもとであるクエン酸が、美容と健康には欠かせない要素だということを考慮すると、いくら何でもこのまま死ぬまで酸っぱい果物を拒絶し続けて生きていくのはどうかという気持ちにもなってくる。

 このクエン酸をしっかりと身体に取り込んでおかないと、摂取した食べ物が効率良く燃焼してくれず、疲労性物質の乳酸として身体に滞ってしまうのだそうだ。だとすると私の全身は50年分の乳酸で満ち満ちているということになる。恐ろしいことである。このままクエン酸を拒み続けていれば、疲れが溜まって日常の暮らしに支障を来すだけでなく、血液はドロドロと固まり、肩こりは今以上に酷いものとなり、おまけに脳の老化も早まり、肌は荒れ、人として、女性として、あらゆる側面で悲しい顛末を迎えかねない。

 不安になってネットで検索してみると「酸味の無い果物にもクエン酸が入っています」とあるのを見つけるが、そこで薦められていたのは、リンゴ、プラム、桃に葡萄だった。残念ながら、これらは全て私にとって立派に〝酸っぱい〟カテゴリーの果物であるが、そこにはメロンという名前も並んでいることに気がついた。メロンであれば、全く問題はない。しかもここイタリアは夏場になるとメロンの消費率が高まるので、高級品扱いをされている日本とちがい、当たりさえすれば立派で美味しいネットメロンが一玉200円や300円といった手頃な値段で買える。

 何事も外部の情報に流されやすい性質の私は、ここ最近しょっちゅうメロンを食べるようになった。冷蔵庫の収納スペースがメロンだらけじゃないかと腹を立てる旦那の声が聞こえてきても気にしない。「酸っぱい物でも何でも食べられるあんたと違って、私にはもうメロンしかないのよ!」と言い返されてきょとんとしているが、血液がドロドロの皺だらけになった私を介護するよりは、多少冷蔵庫がメロンだらけでも我慢してもらったほうが良いに決まっている。それに、こんなメロンがぎっしり詰まった冷蔵庫の有様は、イタリアだからこそ可能なのであり、日本では絶対に有り得ない。

 むかしから、イタリアの人達に日本ではメロンが初競りで百万円を超す金額で落とされるのだという話をすると、皆どういう言葉を返していいのか判らないといった表情になって絶句する。あまりに衝撃的過ぎたのか、ある親戚は私にその辺で売っているメロンを10玉くらい重たそうに抱えて持ってきて「これを是非かわいそうな日本のひとたちに食べてもらって頂戴」と私に託していったこともあった。

 でも、実際日本の高級果物店などへ行くと、一房で一万円もする葡萄が桐の化粧箱に入って売られていたり、たった二個で五千円という値段がついている作り物のように完璧な桃を見た事もある。ブラジルなどの南国では私も食べられる甘い果物がたくさんあるので、毎日飽きるくらいマンゴーやパパイヤを摂取していたが、日本ではそこそこの美味しそうなマンゴーを買おうと思うと平気で一玉何千円という値段が付いていて、とても気軽には手が出せない。とにかく、果物というものの概念が世界と日本では果てしなく違うのである。たまに贈答品として、見るからに高価な雰囲気の果物を頂いてしまった時などは、悲鳴に近い叫び声とともに深い落胆に陥り、果物が高級品として扱われる日本を憎々しく思うのだった。高級懐石料理などで最後にデザートとしてメロンや高級葡萄などが恭しく出される時も、同様の、詮無い気持ちになるのだった。

 ちなみに、古代ローマ時代においても果物は今ほど種類もなければ、物によっては手軽に食べられたわけでもなく、よくポンペイやエルコラーノの高級住宅の壁画に果物の入った器などのフレスコ画が描かれていることから、彼らが常に果物に特別な嗜好を抱いていたのが窺える。野いちごなど野生のベリーなど、もともと在来の植生として存在していた果物は手軽に食べられたかもしれないが、たとえば桃は中国からオリエントを経由し、紀元一世紀になって伝えられたもので(イタリア語でPescaというが、これはペルシアが語源)、かなりの高級品だったようである。イチジクや杏や梨なども売られてはいたようだが、それらもメソポタミアなど小アジアから持ち込まれたもので、イタリア半島に自生していた植生ではない。やはり簡単に手に入らないものは、必然的に高級品となるのである。

 それだけでなく、古代ローマ人は果物が身体に良い効果を齎す(もたらす)ことには気付いていたようで、薬として用いていた果物の種類も少なくない。彼らが嗜好していた果物の中でも特徴のあるものとしてはローズヒップが挙げられる。古代ローマ人達にとってはこのローズヒップも立派な果物であり、ここに含まれているビタミンCが健康に良いことを既に知っていたのである。

 古今東西、果物というものがどれだけ人々の日々の健康にとって大切だったのかが十分理解できたところで、私は今のところ、冷蔵庫にぎっしりと詰め込まれたメロンをひたすら食べるしか無いわけである。

 と、このエッセイをここまで書いて思い出したが、かつて熱川のバナナワニ園へ取材に行った時に、施設の中にあるフルーツパーラーで食べたものが酸っぱく感じられなくなる『ミラクルフルーツ』なるものをトライしたことがあった。実際そのコーヒー豆くらいの小さな赤い実を食べた後に、レモンのスライスを恐る恐る口の中に入れてみたのだが、驚くべき事に全く酸っぱさが感じられない。この果物の中には特殊な糖タンパク質である〝ミラクリン〟という素敵なネーミングの成分が含まれていて、苦味や酸っぱさを甘みに変えるのだそうである。まさにミラクルである。

 早速ネットで探してみると、普通に売っている。なぜ今まで思い出せなかったのかという苛立たしさを払いのけ、私は何迷う事無くそれを買物かごに入れていた。届いたらすぐに試せるように、今からレモンを調達しておくとしよう。

 しかし、そのまえに冷蔵庫に詰まっているメロンを全てどう消費するべきか。ぼちぼちもう香りも嗅ぎたく無い気持ちになりつつある。

ヤマザキマリ氏

著者:ヤマザキマリ (やまざき・まり)

1967年東京都出身。

17歳で絵画の勉強のためイタリアに渡り、国立フィレンツェ・アカデミア美術学院で、油絵と美術史を専攻。'97年漫画家デビュー。

『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。

著書に『国境のない生き方』(小学館)、『男性論』(文春新書)『スティーブ・ジョブズ』(講談社)『プリニウス』(とり・みきと共作 新潮社)など多数。

エジプト、シリア、ポルトガル、米国を経て現在はイタリア在住。

平成27年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

平成29年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ綬章。