食のエッセイ

共鳴するソーセージ

 先日、日本からイタリアへ帰るために乗ったドイツの飛行機で、隣に座っていた恰幅の良いドイツ人と思しき中年の男性が、客室乗務員を呼びつけて何かを相談し始めた。配られた夕食用のメニューを指差しながら何かをうったえている男性の顔も、呼びつけられた中年客室乗務員の表情も何かとても神妙だ。いったい何のやり取りが為されているのかは、私には知る由もなかったのだが、間もなくそのネゴシエーションの内訳がはっきりした。

 夕食用のメニューには2つの選択肢があった。一つは肉系がメインの西洋料理、そしてもう一つは立派なホテルの料理長がプロデュースしたという和食。私は迷い無く和食を注文し、間もなく外国の航空会社にしては素晴らしいクオリティの先付けが運ばれてきた。まだ自分のテーブルの上には何も置かれていない隣の男性が、分厚い眼鏡のレンズ越しに私の注文した和食を静かに凝視しているのが判ったが、構わずに箸を割って松葉に刺さった銀杏をつまみ、それを口に運ぶ。ちまちまと、美しく彩られた和の味覚を愛おしみながら味わっていると、隣の男性のテーブルにもやっと夕食が運ばれて来た。それは、メニューには記載されていたものとは様子が違った。

 先ほど深刻な顔で男性の言葉に耳を傾けていた大柄の客室乗務員が、誇らし気な表情で男性のテーブルの上においたものは、長さ20センチ、直径2センチ程の茹でたウィンナーソーセージ10本で、皿の脇にはたっぷりと粒マスタードとケチャップが添えられている。先程まで表情筋のひとつも動かさない堅苦しい表情だった男性の顔はゴムが切れたみたいにだらりと緩み、客室乗務員に礼を言うとさっそくその俵積みになったソーセージの一番上の一本に手を伸ばした。ナイフとフォークは置かれていたが、それらは彼には意味をなさないシロモノだった。太い親指と人差し指の先でつまみ取ったそのソーセージをもう片方の手を使って真ん中からぽきんと折り、中からじゅわっと肉汁が溢れ出て来るのを先ず尖らせた口先で吸い上げる。それからその先端を、皿の脇のマスタードとケチャップにたっぷり絡めて、再び口の中へ。ソーセージの皮が砕かれ、中から溢れ出す肉汁と肉片でぱんぱんに膨らんだほっぺたが咀嚼の度に紅潮し、恐らくその眼鏡の向うの目はうっとりと閉じられている。咀嚼が止まり、ドイツビールをくいっと流し込み、ナフキンで口元を覆って一息着いてから次の半分がその口に放り込まれる。

 私の意識は自分の目の前の美しい和食からすっかり遠ざかっていた。生まれてから今まで、ソーセージという食べ物をこれだけ美味しそうに食べる人を見た事が無い。メニューにも無いこれだけの量のソーセージを頼まずにはいられなかったこの男性は、よっぽど郷土料理に枯渇していたのであろう。

 食事が終わった後は、テーブルの上に機械や数字がいっぱい書込まれたプリントの束をどさっと載せ、再び固い表情でその一枚一枚を捲り始めていたが、その様子から察するに、今回の日本滞在は本人が欲したお気楽な旅行などではなく、純粋な仕事目的の出張だったのだろう。

 我々日本人にしても、いくら海外の料理や味覚に寛容な舌を備えているとはいえ、やはり外国での滞在が長期に及ぶとどうしてもお茶漬けや蕎麦やうどん、私の場合はラーメンが食べたくてたまらなくなる時が訪れる。このドイツ人男性の場合も、日本でもそれなりの洋食を口にするのは叶っても、やはり彼のソウルフードであるソーセージへの思いは募る一方だったはずだ。そうでなければ、機内での夕食にメニューにも出ていないソーセージを10本山盛り(他には一切何も頼んでいなかった)なんて頼んだりはしなかったと思う。

 とにかく私は、飢えたゲルマン民族の荒々しさを一気に沈着させるソーセージの威力とその食べ方にすっかり心が奪われ、自分の食事の最中も、そして済んだ後も、とにかくどうしてもソーセージが食べたくて我慢ができなくなっていた。気を紛らわそうと映画を見たり寝そべったり雑誌を読んだりしても、私の頭の中は隣の親父がその太い指先でつまんでいた、肉汁の油に照り輝くソーセージだった。

 そもそもソーセージというのは、世界中に分布するワールドワイドな食べ物である。起源はいつ頃まで溯るのか知らないが、ホメロスの「オデュッセイア」にも兵士の携帯食としての記述があるから、保存食としての便宜性も踏まえると人間が肉を食べ始めた頃から存在していた可能性も考えられる。

 私も思えば世界の各地で実に様々なソーセージを食べてきた。チベットの高山鉄道のコンパートメントで高山病の兆候を発し、高熱にうなされながら鼻に酸素のチューブを突っ込まれてベッドで横たわる私に、同室の内モンゴル自治区のオバさんが、バッグから取り出してナイフで無造作に輪切りに切って私に「食べろ」と差し出した羊の硬いソーセージ。頑張って食べたが咀嚼にエラい顎力を要し、意識が朦朧としていたこともあって味をあまり思い出せない。

 スペインやポルトガルの料理屋でよく食べたブラッド・ソーセージ。

 ブラジルの煮込み豆料理フェイジョアーダにモツやら何やらと一緒に入っている脂っこいソーセージ。

 南イタリアの唐辛子をふんだんに練り込んだ真っ赤なソーセージ。

 そして、夫の実家で毎年作らされていた、豚の解体から手がける自家製のソーセージ。農家の血筋でもなければ、ソーセージのノウハウもろくに判っていない姑がスラブ人のお手伝いさんに教わって、気がついたら年末恒例の行事となっていたソーセージ作りだが、その時には私も暖房もない小屋の中でひたすら腸の皮に肉を詰める作業の助っ人として動員される。しわしわの羊の腸に挽かれた豚の肉を、とにかくどんどん詰め込んで行くのだが、寒いし肉臭くなるし労働の種類としてはかなりしんどい。こんなに沢山作ってどうするつもりなんだ!?というくらい作った後は、クリスマスツリーを飾り付ける要領で倉庫の天井や壁に吊るしまくり、我々家族は食料難でも何でもないのに、向う数ヶ月はそれをひたすら食し続ける事になる。客人が訪ねて来れば、無理矢理土産にそのソーセージを持たされる。そんなイタリアの夫家族と同居していた時は、さすがに気分は「ノーモア・ソーセージ」だったが、数年前から姑はその作業に飽きて来たのか、それだけの苦労をしても誰からも美味しいという評価を得られなかったからなのか、幸い年末行事として実施される事は無くなった。でも作らなくなったらなったで、あの毎年味の違うハンドメイド感たっぷりのソーセージが懐かしくなったりもする。

 そしてこれは完全な蛇足だが、20歳の頃、日本に帰国したついでに免許を取って北海道へスキーへ行く途中、車で大事故を起こした事があったが、その時同乗していた友達が、破損した車のドアに脇腹を割かれて動けなくなっている私を見た時に発した言葉が「やだ!ソーセージ切ったみたいにパックリなってる!」だった。今思えば彼女の好物はソーセージだったのかもしれない。

 辿ってみると、このように私の記憶の中にはソーセージと結びつく思い出が溢れている。

  先ほどの続きになるが、結局、どんな気の紛らし方をしてみてもソーセージ欲から意識を背ける事のできなくなった私は、CAを呼んで到着前の食事にソーセージを頼んでしまっていた。なるべく隣の親父の視線を意識しないように、顔に欲求不満感を放出させないよう平然を装って運ばれて来たソーセージを頬張ってみると、その美味しさたるや、初めて連れて行かれたフランクフルトのお屋敷で白パンを食べたハイジの感動に匹敵するほどのものがあった。人生であれほどソーセージを美味しいと思った事は無かったし、恐らく今後も無いだろう。高がソーセージ、されどソーセージ。

ヤマザキマリ氏

著者:ヤマザキマリ (やまざき・まり)

漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。

1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。

2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章綬章。

著書に『国境のない生き方』(小学館)『男性論』『ヴィオラ母さん』(文春新書)『パスタ嫌い』(新潮社)『スティーブ・ジョブズ』(講談社)『プリニウス』(とり・みきと共作 新潮社)『オリンピアキュクロス』(集英社)など多数。