食のエッセイ

食事文化の“昔”と“ナッツ”

“食事文化”に関する本を見ますと、“歴史”と“起源”の話題が必ずと言ってよいほど出てきます。しかし、いくらなんでも、「人間はいつの時代から物を食べ始めたのか」とか、「人類の“食べ物”の起源となった物は、いったい何であったのか」というようなことを問う人はいません。

当然のことですが、人間がその命を代々維持し続けてこられたのは、物を食べて体内にエネルギーを保ってきたからです。生物の進化の歴史から見ても、わたし達が“人間”と呼ばれるような動物になる遥か前から、何千万年、何億年という長い歴史を通じて、何かを食べ続けて生命を繋げてきたのです。そのように考えてゆけば、食べることの“起源”に関する話題は、究極的には“生命の誕生”といった話題にまで行き着きます。

“食べ物”のみならず、人間の生活に関わるほぼすべての事物の起源は、「この特定の話題に関しては、現在のところ、この時代までは遡ることができる」と言うのが正しいのです。ですから、その事物に対する考え方、考えの根拠、証明の手法などに変化があれば、そこから引き出される結論も異なってきます。特に、文化面に関することではなくて、人間の生命維持そのものに直結するような事物に関する“起源”話ともなれば、多くの場合、内容の信憑性は低いものです。このように言うと、何故か、がっかりする人もいるようですが、むしろ、そもそも何故、人間という動物は物事の起源を知りたがるのか、ということの方が一考に値する話題なのかも知れません。

ただ、各々の時代、各々の文化のなかで、現在“食べ物”であるとされている物の中から、さらに特定の品目を挙げて、その種の物をその土地の人はいつごろから食べ始めたのかという話になれば、その起源に関してはかなり納得がゆく説明を見出すことができます。たとえば、今ではアフリカと言えば誰の頭にも浮かぶ食べ物であるバナナは、アフリカ大陸には元来は存在しないものでした。東南アジア方面、現在のマレーシア近辺からマダガスカルを経てアフリカ大陸にバナナが入ってきたのは、紀元後、大分経ってからであったとされています。つまり、それ以前の時代にはバナナはその土地には存在しなかったことになります。とすれば、アフリカでバナナを食べ始めたのはいつ頃であったかということは、ある程度正確につかむことができるのです。

余談ですが、バナナには沢山の種類がありますが、それを大別すると2種類に分けられることを知っている人は、日本では意外に少ないようです。その2種類というのは、日本では普通に見られるような、熟せばそのまま食べられる種類のバナナと、煮たりして料理しなければ食べられない種類の、料理バナナ(プランティーンと呼ばれています)です。

“起源”の話題には、“昔”という言葉がしばしば登場します。この“昔”という単語が持つ意味も、非常に曖昧なものです。何年以上経ったならば“昔の”と言えるのかは、目安がまったくありません。それでも、ある物が昔から食べられていたと言うと、多くの人はなんとなくその歴史がすべて分かったような気になって納得してしまいます。

わたしが小学生だったころ、学校では、“昔の人々”の生活について、いろいろなことを教えてもらいました。その中でも、貝塚の話は、今でもはっきりと記憶に残っています。その話の要点は、「昔の人々が何を食べていたかを知るには“貝塚”と呼ばれている場所に注目しなさい。そこにはシカやイノシシの骨や、貝殻や、固い殻をした木の実などが散らばっているので、そうした物を調べれば、昔の人々が何を食べていたのかが分かるのです」といったようなものでした。さらに、それは大昔のことなので、人類の食べ物の起源はそこにあるのだということと、それとなく結び付くような話となっていました。たとえば、「人類は、昔、獣を捕って、その肉を食べていた」というイメージは、今でも多くの人が共通して抱いているものでしょう。

その後、何年か経って、その話は少しおかしいということに気がつきました。この説が全面的に間違っているわけではありません。昔の人は、シカやイノシシの肉や、ハマグリやカキのような貝類や、ある種の魚や、クルミ、クリ、ドングリ、トチの実などを食べていた、すなわち、貝塚で見つかるものは当時の“食べ物”であったということは確かでしょう。しかし、問題は、その種の話が人間の食べ物はそれらだけであったという誤解を与えかねないということです。つまり、実際は、それらは当時の“食べ物”の一部でしかなかったのです。

考えてみれば当然のことですが、貝塚に残されている物は、何千年もの間、腐ることもなく、溶けて土と化すこともなく、そのままの形で残ることができた物ばかりです。古代の人々が、草や木の柔らかい芽や葉や、体が柔らかい虫などを沢山食べていたとしても、そうした物の食べ残しは、数日、あるいは数ヶ月のうちに、腐ったり、溶けたりして、土となり、跡形も無くなってしまっているはずなので、“食べ物”であったという証拠は残りません。

面白い実験をしてみましょう。
町のゴミ収集日に、“分別ゴミ”、すなわち燃えないゴミだけを沢山集めてきます。そして、それだけを対象として、当時の人々(すなわち、現在のわたし達)の食生活を調べて再現してみます。その結果が、実際のわたし達の日常の食生活と完全に一致していれば、“貝塚=食べ物”説は正しいということになります。しかし、分別ゴミだけからの食生活の再現では、そうはいきません。わたし達は缶詰食品を食べ、ペットボトルに詰められた液体だけを飲んでいた人類だということになってしまうでしょう。

古代人の“食べ物”の話が長くなりましたが、ここからは、わたし達が“人類”と呼ばれるような動物になってから食べ物としていた物の中で、動物性の食べ物以外では、最も古い時代から食べていたものである“木の実”の話をしてみたいと思います。

たとえば、日本の歴史を語る時、最も古い時代とされる縄文時代(紀元前1万年から紀元前300年ほど)の食生活では、木の実は最も重要な食べ物であったことは、日本各地の遺跡調査から知られています。1992年から大規模な発掘がされて、日本中で有名になった青森県の三内丸山遺跡の調査は、当時の食生活のあり方を、非常に具体的で正確なものとして示した代表的例と言えます。

その時代の人々は、空腹になると単に特定の木の実(クルミ、クリ、など)を食べ物素材として集め、勝手に食べていたというのではなくて、そうした食材の保存法や料理法を持ち、一定の食事行動を持っていたということまでもが分かってきたのです。話題を広げ、木の実以外のその時代の植物性の食べ物の種類を調べると,地中の残存物から実証できるものだけでもユリの類の根、ヤマイモ、クズ、カタクリ等を始めとする60種類ほどの食材が見つかったという報告があります。さらに遺存物としては未発見ですが、当然、食べ物としていたと推測できるゼンマイ、ワラビ、キノコ類、それに海藻の類を食材に含めば、なんと300種類以上もの植物が食べられていたようです。ちなみに、当時の代表的な動物性の食べ物は、鳥獣類ではムササビ、ノウサギ、イタチ、キツネ、マガモ、キジなど、また、魚類ではカツオ、サケ、マダイ、スズなど、貝類ではアサリ、ハマグリ、カキ、シジミなどであったとされています。縄文時代の食べ物と言うと、まず頭に浮かぶ食べ物であるシカ、イノシシなどが非常に少ないのは意外ですが、これにはいくつかの説があります。例えば、三内丸山遺跡がある土地には、もともとシカやイノシシが少なかったという説、この土地の人々によるシカやイノシシの乱獲の結果、その種の動物が食糧になることが少なくなっていたという説などです。そういうことはあっても、古代人の食事は意外に豊かなものであったと言えます。

現在の日本では、食べ物としての“木の実”は、“ナッツ”と呼ばれるのが普通のようです。その“ナッツ”に何が含まれるのかは、植物学での分類によるものではなくて、もっぱら各土地での文化的な分類に基づいています。言うまでもなく、その多くは木に成る実です。そして、分類の仕方は、外見上からの判断によるものが多く、形、堅さなどから決められます。基準としては、サイズはそれほど大きな意味を持ちません。松の実のようなごく小さなものから、ココナツのように長さが25センチほどにもなるものまでが含まれるからです。また、それらは一般的には、木に成った実の外側の柔らかい部分を除いた、その中の堅い種(たね)の部分を指し、その種(たね)が原形のままであることを条件としています。たとえば、木の枝に成る実であっても、オリーブやサクランボは、柔らかい果実の方を食べるので、ナッツであるというイメージが湧きません。梅干しの種を噛み割って、中の柔らかい実を食べるのが好きだという人もいますが、基本的には梅の実は柔らかい肉の部分を食べるものなので、これもナッツであるとはされません。

原形のままであるということは、そうした素材に手が加えられたものは、普通はナッツであるとは認められないからです。たとえば、日本の地方料理の一例として、“カシ豆腐”というものがあります。それはドングリの類の澱粉質を加工したもので、高知県の安芸市の“カシキリ”、岩手県の岩泉地方の“シタミモチ”、熊本県の人吉盆地東部の“イチイガシ”、宮城県の西都市の“カシの実ギャー(ギャーは粥のこと)”などが知られているようですが、こうした物の実物を見て、それをナッツだと思う人はいません。それは、豆腐を見て、豆だと思う人がいないのと同じことです。

現在の日本で、“木の実”のうち、特に“食べ物”として認められている物を“ナッツ”と外来語で呼ぶのは、日本語よりカナ文字で表すヨーロッパ語からの単語のほうが格好よく見える、少しばかり美味しさが増す気がする、といった風潮が強いからでしょう。

まず、現在、ナッツと呼ばれている物は、昔の人々がもっぱら日常的に食べていた物とは幾分種類が異なります。たとえば、ドングリ、トチの実などは、非常に特殊な場合を除けば、今では食べることはありません。お隣の韓国では、現在も、ドングリで作った豆腐のような“ムック”が、多く食べられているようです。日本でドングリを食べる風習が消えたのには、いくつかの原因が考えられます。人口の急激な増加に対して、その種類の木が少な過ぎるということもあります。栽培するには、実の収穫ができるまで長い年月がかかり過ぎるというのも一因でしょう。堅い皮をむく、アクを抜くといった、実を料理するための手間を考えると、日常的な仕事としては得なものではないということもあります。また、栽培して短期間に大量の収穫が可能な草の実(米、アワなど)が、ドングリやトチの実に取って代わってしまったこともあります。

現在、“ナッツ”と呼ばれるものには、日本の国内で得られる木の実以外のもの、すなわち外国産のものが圧倒的に多いことも特徴的です。

輸入されるナッツには、アーモンド、カシューナッツ、マカダミアナッツ、ヘーゼルナッツ、などがあることは言うまでもありませんが、クリ(中国)、クルミ(中国、アメリカ、等)のように、当然、日本産だと思っている物にも、外国産は普通に出回っています。本来はイタリアの“ピニョリ”のようなヨーロッパ産が好まれる“松の実(いろいろな種類があります)”の場合は、日本には韓国や中国からのものが多く入っています。松の実は、食べ物であると同時に、健康薬の一種としてのイメージが強く、ヨーロッパ産では漢方薬のような効き目が劣るように感じられるということもあるのでしょうか。また、酒を飲む店では、メニューによく出ている“ピスタチオ”は、名前からして、戦後になって初めて輸入されてきたナッツのように思えますが、実際は、文政年間にすでに日本に入ってきていたものです。

また、外国産のナッツは、すべてが食べ物となっているのではないことにも注目する必要があるようです。だいぶ前のことですが、東京のわたしの家にアフリカのタンザニアから友人が訪ねてきたことがありました。彼はカシューナッツを日本の印刷会社に向けて輸出する仕事で来たというのです。その話によりますと、彼が扱うタンザニア産のカシューナッツは、食用にするのではなくて、その油を食器や特殊な建材などの印刷用に使うのだということでした。このように、その形のまま焼いたり煮たりして食べたり、ケーキやスープ、シチューなどに風味を添える素材として使われたり、バターのようなものになって好まれたりする以外にも、ナッツの中には様々な場で工業用としても役立っているものがあるのです。

欧米ではごく普通のナッツで、日本にも大量に入って来ているにもかかわらず、日本ではケーキなどの素材として加工されたものが使われるので、形のままでは市場に出ることはほとんどなく、その実物があまり知られていないというものもあります。アーモンドは、今では誰でも知っているナッツの一種となっていますが、その元の形は桃に似た果実であることを知っている人は、非常に少ないようです。さらに、ナッツ類はカタカナ名となっていたりするので、日本語で言えば特別なものではないのに、カナ書きとなれば、どこか貴重なものであるかのように想像されているものもあります。

その代表例がヘーゼルナッツでしょう。これは、日本語で言えば“ハシバミの実”です。このナッツは、大きく分けて野生のものと栽培種との二種類が見られます。イギリスでは、一般的に、野生のものも栽培種も、共に“ヘーゼルナッツ”と呼ばれています。他方、アメリカでは、野生のものは“ヘーゼルナッツ、hazelnut”、栽培種は“フィルバート、filbert”と呼ばれます。日本で出ている料理本には、もっぱら“フィルバート”と記載されているものがありますから、この二つを別の種類だと思っている人も少なくないと思います。さらに、ヘーゼルナッツがフランス菓子に使われたりする場合には、フランス語の“ノワゼット、noisette”などという呼び名が使われていることもあるので、ますます混乱します。

日本のナッツと言えば、銀杏(ぎんなん)があります。殻ごと焼いて、中の実に塩を少し振りかけたりして食べるのが一般的ですが、茶わん蒸しに一粒、二粒入れてみたり、サザエの壺焼に添えたりして、如何にも日本らしい食材として使われたりします。その英語名は“ginkgo”で、発音をカナ書きすれば“ギンコウ”となります。この綴りで、どうしてそのような発音になるのかと言えば、それは、初期の頃、“ginkyo”であったものを、“y”と“g”とを間違えた者がいて、その綴りがそのまま正式名となってしまったということです。トチの実は、英語では“horse chestnut”と呼びますが、名称とは異なって、その実は“クリ、chestnut”にそれほど近い種類のものではありません。

原形のままのナッツが、食事として出されていた時代は、遥か昔に終わりました。現在、食卓を飾るのは、それがナッツであることを一切感じさせない加工品の他には、酒のつまみや高級料理に彩りを添えるものが少しばかり見られるのみとなりました。それでも、それらが全く人目につかなくなるという状況は、まだまだ来ないでしょう。

名を変え、装いを変えても、古い時代から人間が親しんできたナッツの味は、そう簡単には忘れ去られるものではないからです。

著者:西江雅之(にしえ・まさゆき)

昭和12年、東京生まれ。言語学・文化人類学者。

主に東アフリカ、カリブ海域、インド洋諸島で言語と文化の研究に従事。多数の言語を話し、土地の人々の生活に容易に溶け込む研究態度で“ハダシの学者”との異名を持つ。

また、現代芸術とのかかわりも深く、美術、音楽活動への参加も多い。教育面では、過去30年の間に東京外国語大学、東京大学、東京芸術大学、早稲田大学などで文化人類学または言語学の講義で教壇に立った。

第二回「アジア・アフリカ賞」受賞(1984)。専門書の他に、エッセイ集『花のある遠景』、 『東京のラクダ』、『異郷をゆく』、半生記『ヒトかサルかと問われても』、対談『ヒトの檻、サルの檻-文化人類学講義』などがある。平成13年11月、JTB旅行文化賞記念出版として『自選紀行集』が刊行された。

また、多くの高校・中学の国語教科書にエッセイが採用されている。平成27年6月14日死去。