食のエッセイ

食用ガエルをめぐる椿事

 日本で食用ガエルといわれているのは、北米原産のウシガエルのこと。1910年代末近くに、東京帝国大学の動物学者渡瀬庄三郎教授がルイジアナ州から17匹を輸入したのが我国への初お目見めみえで、アメリカザリガニはその餌として輸入されたものだ。
 牛に似た鳴き声を持つウシガエルは、体長15センチないし20センチ。食用とするのは太腿の部分だが、味は鶏肉に似ていて鶏肉よりもあきらかに美味である。
 昭和の末、JR新宿駅の南口におばさんのやっている炉端焼き風の店があり、この食用ガエルやスズメの丸焼き、白粥に餅の小さな切身を混ぜこんでこっくりした味にした粥鍋などを食べさせた。アメリカ人をつれてゆくと喜んでくれたのは、その店が囲炉裏もある純和風の内装だったためだろう。
 あれはまだ文藝春秋の編集者だった30代のこと、新宿で人に会って話がすぐに片付いたため、ひとりでぶらりとこの店に立ち寄り、焼き鳥で一杯やったことがある。すると間もなく若いカップルが入って来て、カウンターの右隅にいた私の左側に座った。右側に私、まんなかに女性、左側に男性、という位置関係である。
 私がビールから日本酒に切り換えたころ、
「ちょっと失礼します」
 といって女性は席を外し、お手洗いに立った。すると、それを待っていたかのように男性は食用ガエルを二人前注文。女性がもどって来て少しすると、鶏の腿肉に似た形のそれが皿に載せられて出された。
 私がちらりと視線を送ったその食用ガエルは、むろんグロテスクな皮を剥がれてよく焙られており、膝からヒレのある足先まではカットされて切り口には銀紙が巻かれていた。品の良い手つきでその銀紙の部分を持った女性は、
 「あら、これは鶏の腿かしら」
 と男性にたずねた。
「食べればわかるよ」
 という男性のことばでそれぞれの皿にとりかかったふたりは、ともに退社直後のこととて空腹だったのだろう、私が感心するほどみごとな食べっぷりを見せた。
「このお肉、とってもおいしかったわ。何て種類の鶏なの」
 おしぼりで手を拭いて甘えるようにたずねた女性に、スーツ姿の男性は 悪戯 いたずらを白状するような口調で答えた。
「いや、実はこれは鶏じゃないんだ、食用ガエルだよ」
 男性が指差した壁の一角の「本日のメニュー」には、確かに食用ガエルという項目があった。
 一瞬、ふたりの間に沈黙が流れた。
 その沈黙を破ったのは、女性の発狂したような叫び声であった。その叫び声は、すぐに泣き声に変わった。
 そこで私はレジに向かったので、その後ふたりがどうなったかは知らない。昭和の末まであったこの店には以後も何度か出向いたが、食用ガエルを食べさせた男と食べさせられた女のカップルとは、ついに再会することなくおわった。

2021.07

中村彰彦氏

著者:中村彰彦(なかむら・あきひこ)

1949年栃木県生まれ。作家。東北大学文学部卒。卒業後1973年~1991年文藝春秋に編集者として勤務。

1987年『明治新選組』で第10回エンタテインメント小説大賞を受賞。1991年より執筆活動に専念する。

1993年、『五左衛門坂の敵討』で第1回中山義秀文学賞を、1994年、『二つの山河』で第111回(1994年上半期)直木賞を、2005年に『落花は枝に還らずとも』で第24回新田次郎文学賞を、また2015年には第4回歴史時代作家クラブ賞実績功労賞を受賞する。

近著に『疾風に折れぬ花あり 信玄息女松姫の一生』『なぜ会津は希代の雄藩になったか 名家老・田中玄宰の挑戦』『智将は敵に学び 愚将は身内を妬む』『幕末「遊撃隊」隊長 人見勝太郎』『熊本城物語』『歴史の坂道 – 戦国・幕末余話』などがある。

幕末維新期の群像を描いた作品が多い。