食のエッセイ

熊本・五木村の豆腐の味噌漬け

 十数年前、私に豆腐の味噌漬けの感動的な味を教えて下さったのは、JR三鷹駅北口近くにある名店「かぶら家」の初代女将・山本喜子さんだ。
 豆本に似た形に切り分けられたものを楊枝の先でさらに切り分け、口にふくむと、溶けるにつれてジャパニーズ・クリームチーズといいたくなる風味がひろがる。酒のさかなに最高だが、妻にいわせると「あたたかい御飯に載せて食べてもとてもおいしい」のだそうだ。
 この豆腐の味噌漬けは「五木の子守唄」で知られる熊本県五木村の伝統的保存食であり、豆腐を味噌樽に漬けこんで作る発酵食品でもある。
 私同様「かぶら家」でこの味を知ったノンフィクション作家河﨑貴一氏が、最近その製造元「五木屋本舗」を取材したので、レポートの一部を紹介しよう。語り手は同社の尾﨑宏氏である。
「五木村の豆腐は"樫の木豆腐"と呼ばれるほど硬く、同じ大きさの豆腐と比べて3倍の大豆を使っています。味噌樽の底に豆腐を漬け込んで、味噌を食べ続けて半年ぐらい経ったころ、樽の底に現れるのが豆腐の味噌漬けでした。(略)商品のひとつとして、水分を極限まで少なくした豆腐を作り、秘伝の味噌に漬け込んで、低温の熟成庫で約半年寝かせました。それを食べた方が『ウニみたい』とおっしゃるので『山うにとうふ』と名付けました」(「『がんばるばい熊本』の発酵食品」、『ヘルシスト』239号)
 河﨑氏によると、「豆腐がなめらかな食感に変わるのは、漬け込む味噌に含まれる麹菌の働きによるもの」と思われるそうだ。それにしても私は、これを十数年にわたって食べつづけて来たのに「山うにとうふ」という商品名だとは知らなかった。
 熊本県人にもこの味をご存じではない人がいて、いつだったか「かぶら家」へおつれしたそのひとりA氏は、
「うまかとですね。どこのものですか」
「いや、熊本の名産品ですよ」
 と私と会話をして、苦笑したものであった。
 南阿蘇村にあったA氏宅は昨年四月の熊本地震で全壊してしまったので、春になったら御見舞にゆこうと考えている昨今である。

中村彰彦氏

著者:中村彰彦(なかむら・あきひこ)

1949年栃木県生まれ。作家。東北大学文学部卒。卒業後1973年~1991年文藝春秋に編集者として勤務。

1987年『明治新選組』で第10回エンタテインメント小説大賞を受賞。1991年より執筆活動に専念する。

1993年、『五左衛門坂の敵討』で第1回中山義秀文学賞を、1994年、『二つの山河』で第111回(1994年上半期)直木賞を、2005年に『落花は枝に還らずとも』で第24回新田次郎文学賞を、また2015年には第4回歴史時代作家クラブ賞実績功労賞を受賞する。

近著に『疾風に折れぬ花あり 信玄息女松姫の一生』『なぜ会津は希代の雄藩になったか 名家老・田中玄宰の挑戦』『智将は敵に学び 愚将は身内を妬む』『幕末「遊撃隊」隊長 人見勝太郎』『熊本城物語』『歴史の坂道 – 戦国・幕末余話』などがある。

幕末維新期の群像を描いた作品が多い。