食のエッセイ

春の楽しみは桜鯛と桜鱒

 私が家で夕食を摂る日は、荊妻が必ずまぐろと鯛の刺身を出してくれる。私は日本酒党かつかなりの大量飲酒者なので、つまみ代わりの刺身が必要なのだ。
 鯛は大体が真鯛だが、3月初めから桜の季節にかけては身にうまみが乗るので特によく口にする。これを桜鯛と称するのは、特に雌の真鯛が産卵期に備えて動物性プランクトンをたくさん食べた結果、からだが美しいピンク色を呈するからだ。ふだんより心持ちふっくらとして弾みのある桜鯛の刺身を噛み締めると、私はいつもまた春が巡って来たことを実感しつつ、この鯛のれたであろう房総の海の輝きを思い浮かべたりする。
 なお、わが家ではみんなイタリアンが好きなため、荊妻は時々真鯛のカルパッチョも作ってくれるようになった。私は鯛のカルパッチョによって、真鯛や黒鯛がオリーブ・オイルにも非常によく合うことを初めて知った。
 これに対し、今年初めて家族で食して一同感動したのが桜鱒だ。志を立てて東京から札幌へ転居した年下の物書き仲間・伊藤秀倫君がプレゼントしてくれたのだが、確かにこれは身がまるごと桜色、試食してもまったく臭みがなく、鮭や鱒に特有の癖もなくさっぱりとした品の良さが素晴しかった。
 桜鱒は北海道の熊石から日本海にかけて水揚げされるものに極薄塩をほどこしたもので、ほどよい脂の乗りと上品な風味、そして舌の上で溶けるかのようなやわらかな身質が特徴なのだそうだ。調べると桜鱒の陸封型が山女やまめだということがわかったが、かつて奥会津の宿で山女の刺身を食べたとき、私は珍しいものだとは思ったが感動するところまではゆかなかった。
 ということは、桜鱒の風味は山女にまさるということ。これは定置網に掛った桜鱒を活〆いきじめするタイミングや加工販売をおこなう会社の極薄塩をまぶすこつなどにより、味がグレードアップすることを示すのかも知れない。
 みなさんご存じのように都会のレストラン街が休店や時短を余儀なくされている昨今なので、地方からお取り寄せ便によって好物を購入する人がふえる傾向にあるとか。わが家がよく取り寄せるのは山形県寒河江市のさくらんぼ、福島県会津若松市の身知らず柿と会津清酒などだが、この桜鱒は日本酒にもよく合うし桜鯛とおなじ皿に盛っても異和感はないと思うので、これからはお取り寄せ便で注文することにしよう。
 ちなみに、伊藤君が購入・発送してくれた加工販売会社は札幌円山のM社。ホームページもオンラインショップもあり、鮭の刺身や秋鮭も扱っているそうだから、味を試してみたい人はお調べを。

2021.05

中村彰彦氏

著者:中村彰彦(なかむら・あきひこ)

1949年栃木県生まれ。作家。東北大学文学部卒。卒業後1973年~1991年文藝春秋に編集者として勤務。

1987年『明治新選組』で第10回エンタテインメント小説大賞を受賞。1991年より執筆活動に専念する。

1993年、『五左衛門坂の敵討』で第1回中山義秀文学賞を、1994年、『二つの山河』で第111回(1994年上半期)直木賞を、2005年に『落花は枝に還らずとも』で第24回新田次郎文学賞を、また2015年には第4回歴史時代作家クラブ賞実績功労賞を受賞する。

近著に『疾風に折れぬ花あり 信玄息女松姫の一生』『なぜ会津は希代の雄藩になったか 名家老・田中玄宰の挑戦』『智将は敵に学び 愚将は身内を妬む』『幕末「遊撃隊」隊長 人見勝太郎』『熊本城物語』『歴史の坂道 – 戦国・幕末余話』などがある。

幕末維新期の群像を描いた作品が多い。