食のエッセイ

学生村の味噌煮込みうどん

 表題の学生村とは、われわれベビー・ブーム世代が大学受験期を迎えた頃、長野県下の市町村が夏休み限定で受験生を受け入れたシステムのこと。実体は農家の空き部屋に長期滞在して三食の世話をしてもらうことだったが、まだ家庭用クーラーの普及していなかった時代、一夏の間涼しい信州で勉強に打ち込めるのはありがたかった。
 昭和43年(1968)8月の一カ月間、私が世話になったのは小諸市宮沢の清水清人・みさ子夫妻の家で、学生たちは二階廊下の左右に並ぶかつての蚕部屋を改装した7室で勉強に励んだ。費用は二人部屋ならひとり一日550円程度。清水夫妻は心優しい御夫婦で学生たちをわが子のように可愛がってくれるので人気があり、「涼風荘」と名付けられた千曲川に近い高台の家にはいつも十人以上の学生がいた。
 これだけの人数がいると、みさ子さんは朝食がおわるとすぐ昼食の用意、それが済むと風呂と夕食の用意にとりかからねばならない。清人さんは野良仕事の合間にバイクで30分以上かかる小諸市内にゆき、惣菜を買いつけてくる役割だった。
 その時の私は受験浪人で、すでに受験五教科の出題範囲はカバーしてあったため、清人さんのトラクターに乗って畑仕事を手伝いに行ったり、薪割りをしたり、乳をとるために飼われている山羊の世話をしたりした。そんなある日、牝鹿のように優しい顔立ちをしているみさ子さんが、昼食として全員に味噌煮込みうどんをつくってくれたことがあった。
 信州はそばどころだから、うどんの打ち方もしっかりしている。それに信州味噌の本場だから、これは本当においしくて、食卓にずらりと居流れた一同のうち、すすりおわるまで無駄口を利く者はひとりもいなかった。
 それから45年、平成25年(2013)に月刊小説誌『文蔵』に武田信玄の末娘松姫の生涯を描く長編小説『疾風に折れぬ花あり』を連載しはじめた時、私は武田家滅亡の悲劇のさなかに八王子へ逃れた松姫に養蚕業を教える農家の女性として「清水おみさ」を設定した。清人さんはすでにお亡くなりだったが、みさ子さんはお元気だったので懐かしい面影を文章に定着させておいて、あとで驚かせてあげよう、と思ったのだ。
 ところが同作が単行本としてPHP研究所から出版された平成28年(2016)、私は足の筋を痛めて治癒するのに二年以上かかり、横浜の御長男もとむさん方に移ったみさ子さんに本を届けられなかった。しかし、同作は今年8月、中公文庫版上下巻として再刊できたので、私はこれを送るとみさ子さんに葉書を出した。
 ところが折り返し求さん御夫妻から来た手紙は、みさ子さんが昨年百歳の長寿を全うしたことを伝えてくださるものだった。学生村初訪問時19歳だった私が71歳になるのだから、当時40代後半だったみさ子さんが生涯をおえても不思議ではないだけの時間がすでに流れおわっていたのだ。うかつにもそれを忘れていた私は、寒い日に妻の作ってくれる煮込みうどんを食すると、牝鹿のように優しいまなざしをしていたみさ子さんを思い出しては懐旧の情に駆られるのである。

中村彰彦氏

著者:中村彰彦(なかむら・あきひこ)

1949年栃木県生まれ。作家。東北大学文学部卒。卒業後1973年~1991年文藝春秋に編集者として勤務。

1987年『明治新選組』で第10回エンタテインメント小説大賞を受賞。1991年より執筆活動に専念する。

1993年、『五左衛門坂の敵討』で第1回中山義秀文学賞を、1994年、『二つの山河』で第111回(1994年上半期)直木賞を、2005年に『落花は枝に還らずとも』で第24回新田次郎文学賞を、また2015年には第4回歴史時代作家クラブ賞実績功労賞を受賞する。

近著に『疾風に折れぬ花あり 信玄息女松姫の一生』『なぜ会津は希代の雄藩になったか 名家老・田中玄宰の挑戦』『智将は敵に学び 愚将は身内を妬む』『幕末「遊撃隊」隊長 人見勝太郎』『熊本城物語』『歴史の坂道 – 戦国・幕末余話』などがある。

幕末維新期の群像を描いた作品が多い。