食のエッセイ

駅弁は深川めしで決まり

 私は長く午前11時起床、翌日の午前3時就寝というサイクルで暮らしている。遅い朝食はトマトジュース、トースト1枚、サラダ付き卵料理に紅茶、フルーツ、蜂蜜とブルーベリーをかけたヨーグルト、というのが定番だ。
 ただし一年に十数回は、取材や講演旅行のため朝早くから東京駅をめざさねばならない。当然、ゆっくり朝食を摂っていられないので胃には何も入れずに出掛け、東京駅構内の売店で駅弁とお茶を買って新幹線に乗ることになる。
 そこで、どんな駅弁にするかが問題になるわけだが、私はいちいち考えるのは面倒なので、この二十数年間、駅弁は深川めしと決めている。東京駅で売られている深川めしの駅弁は容器が小型で米飯の量が少ないので、朝から米飯を食べるのが苦手な私にはちょうどいいのだ。
 私は基本的に目的地には午後1時に着くことにしており、すぐに目当てのそば屋などをめざす。それまでに完全に消化できる駅弁、という条件をそなえているのも深川めしの美点のひとつだ。
 さて、深川めしとはアサリ、ハマグリ、バカガイ(アオヤギ)などの剥き身とネギなどを煮こんだ汁を作り、それを御飯にぶっ掛けたり炊きこんだりしたもので、江戸時代に深川に住みついた漁師たちが工夫したまかない料理だ。明治になると客待ちの人力車の俥夫が特にアサリ入りの深川めしを好んだそうだから、深川めしのアサリめしという別称は明治になってから生まれたのだろう。
 深川めしの特徴は、アサリとネギの出汁が御飯に染みて「しっとり感」を生み、米粒をパサパサさせないため頬張りやすいことにある。噛んでいる間に、アサリとネギの風味が口の中にひろがってくるのも幸せ感をもたらしてくれる。駅弁のそれに載っている海苔や別添えの香のものも、深川めしの味を上手に引き立ててくれるのにはいつも感心させられる。
 なお、これは5、6年前にやっと気づいたことだが、東京駅で売られている深川めしには2種類ある。JR東海パッセンジャーズのそれは、穴子の蒲焼3切れとハゼの甘露煮2本付き。日本ばし大増のそれは、煮穴子つき。
 私がずっと食べていたのは前者だったが、ある時売り子さんに売り切れだといわれ、がっかりしていると、ホームの売店にならまだあります、と教えてくれた。いわれた売店で初めて買ったのだが後者だったことから、私は遅まきながら駅弁の深川めしは2種類あると知ったのだ。
 ではどちらが好きか、と問われると、ちょっと困る。ハゼの甘露煮のパリッとした舌触りもいいが、私は煮穴子も好きで、鮨店にゆくと必ずこれを注文する習いだからだ。
 今回は、これら2種の深川めしは呉越同舟なり、という結論にしておきましょう。

中村彰彦氏

著者:中村彰彦(なかむら・あきひこ)

1949年栃木県生まれ。作家。東北大学文学部卒。卒業後1973年~1991年文藝春秋に編集者として勤務。

1987年『明治新選組』で第10回エンタテインメント小説大賞を受賞。1991年より執筆活動に専念する。

1993年、『五左衛門坂の敵討』で第1回中山義秀文学賞を、1994年、『二つの山河』で第111回(1994年上半期)直木賞を、2005年に『落花は枝に還らずとも』で第24回新田次郎文学賞を、また2015年には第4回歴史時代作家クラブ賞実績功労賞を受賞する。

近著に『疾風に折れぬ花あり 信玄息女松姫の一生』『なぜ会津は希代の雄藩になったか 名家老・田中玄宰の挑戦』『智将は敵に学び 愚将は身内を妬む』『幕末「遊撃隊」隊長 人見勝太郎』『熊本城物語』『歴史の坂道 – 戦国・幕末余話』などがある。

幕末維新期の群像を描いた作品が多い。