食のエッセイ

馬刺は会津か熊本か

 昭和55年(1980)の夏に、秋田市へ遊びに行ったことがある。泊めてもらう友人宅への手土産として、市内の肉屋で馬肉数百グラムのブロックを買ったのは、馬刺にしたらおいしそうだと感じたからだ。
 ところが、これは期待外れだった。一見すると上質な赤身なのだが、口に入れると鉄の味が舌に残る。血抜きがうまくいっていないので、血中の鉄分が切身の味をそこなっているのだ。
 がっかりした私は、妻が馬肉を好まないこともあり、以後何年も馬刺を口にすることはなかった。
 しかし、昭和の末に熊本県阿蘇郡南阿蘇村の興梠二雄こうろぎつぐおさん(鬼官兵衛記念館長)と懇意になって以来、興梠さんが時々送って下さる馬刺によって私はようやく本物の味を知った。熊本の馬刺は食肉センターが真空パックに入れて販売するものを解凍し、1、2ミリの厚さにカット。「馬刺一番」など専用のタレとショウガ、ニンニク、青ジソといった好みの薬味で食するのだが、切身でスライスしたタマネギを巻くと一段と乙な味になるという。
 ただし熊本の馬刺は、一人前百グラムが適量とされている。肥後人は霜降りの中トロや大トロを好むので、食べ過ぎると低カロリーとはいえ高タンパク質なので胃もたれするのだ。
 その胃もたれを防止する意味合いがあるのか、熊本に次いで全国第二位の馬肉生産量を誇る福島県会津地域では赤身が主流で、その色合いを赤い花に見立て、バラのように仕立てて出してくれる店もある。先日、会津若松市のそばの名店「桐屋権現亭」で出された厚切りの赤身はさくさくと噛め、さっぱりとした味だったので、これなら私も食べられると妻もすっかり感心していた。同店のオーナー唐橋宏氏によると、その赤身はヒレの部分だとのこと。これは、いつでもあるというものではなさそうだ。
 なお会津では赤身だけを好むのではなく、タテガミ(タテガミの生える首筋の肉)も珍重する。これは一見バターを固めたような色合いなのであぶらの塊かと思うが、脂分の多い肉の塊というのが正しいようだ。現生種の馬で本当にタテガミの立っているのはシマウマしかいないが、埴輪の馬を見ればわかるように日本の古代馬もタテガミが立っていた。その分だけ頸部に強い筋力が求められるため、こりこりと不思議な味わいの肉が発達したのだろう。
 ほかに、長野県伊那市で教えられた「おたぐり」も印象的な味であった。これは消防車のホースのように長い馬の腸をタワシでよく洗い、煮て味つけしたもので、カットして皿に一山どかんと出される。
 酒のさかなとしてなかなかのものだと思ったが、「おたぐり」の話をすると、食べたことのない人はたいがい私を悪食あくじきとみなす傾向にあるのが困ったものだ。

中村彰彦氏

著者:中村彰彦(なかむら・あきひこ)

1949年栃木県生まれ。作家。東北大学文学部卒。卒業後1973年~1991年文藝春秋に編集者として勤務。

1987年『明治新選組』で第10回エンタテインメント小説大賞を受賞。1991年より執筆活動に専念する。

1993年、『五左衛門坂の敵討』で第1回中山義秀文学賞を、1994年、『二つの山河』で第111回(1994年上半期)直木賞を、2005年に『落花は枝に還らずとも』で第24回新田次郎文学賞を、また2015年には第4回歴史時代作家クラブ賞実績功労賞を受賞する。

近著に『疾風に折れぬ花あり 信玄息女松姫の一生』『なぜ会津は希代の雄藩になったか 名家老・田中玄宰の挑戦』『智将は敵に学び 愚将は身内を妬む』『幕末「遊撃隊」隊長 人見勝太郎』『熊本城物語』『歴史の坂道 – 戦国・幕末余話』などがある。

幕末維新期の群像を描いた作品が多い。