食のエッセイ

カツオの叩きと直木賞選考会の夜

 私の育った栃木県栃木市は内陸の小都市なので、昭和30年代の食卓にのぼる魚は焼き魚や煮魚がほとんどだった。物資の流通に問題があり、江戸前の鮮魚はあまり入って来なかったのだ。
 そんな私が大皿に盛ったカツオの刺身を今も覚えているほど鱈腹食べたのは、宇都宮高校2年生として迎えた夏休みのこと。同級生に誘われて海水浴のため一週間ほど滞在した茨城県阿字ヶ浦近くの民宿で、漁師から直接買った新鮮なカツオが夕食に供されたのだ。
 その後、昭和48年(1973)に大学を卒業して文藝春秋に入社した私は、4年後にオピニオン雑誌「諸君!」の編集部にいたころ、青少年交友協会の理事長で旅行作家でもある森田勇造氏と知り合った。高知県宿すく市出身の森田氏は新宿区四谷2丁目の土佐料理の店「酒楽」の常連だったため、私もいつしかここの常連と化した。
 刺身と叩きの違いは、刺身が三枚に下ろした魚の身を小片に切り分けただけのものであるのに対し、叩きの方はその小片にほかの具材や出汁だしの味をよくみこませている点にある。「酒楽」の親父さんが出してくれるカツオの叩きは、切り身が見えなくなるほど新タマネギをぶっかけて、そのタマネギに下ろしニンニクと下ろしショウガ、そして紫蘇の刻みをまぶしたもの。そこにふりかけられているポン酢醤油の味がほどよいことにも私は感心し、このポン酢醤油はどう作るのか、と質問したことがある。
「これは秘伝の味じゃけえ」
 と親父さんは話をはぐらかしてしまったが、何年も通ううち、ついにその正体を明かしてくれた。それは自家製ではなく、何と人気商品として売られているものであった。高知県馬路村産の「ゆずの村」。これにはカツオとコンブのエキスが入っているので、カツオの叩きに実によく馴染むのだ。
 その後、わが家の冷蔵庫にも「ゆずの村」が常備されるようになったのはいうまでもない。
 当時の「酒楽」は一階がカウンター席、二階が宴会場だったので、私は平成6年(1994)7月に拙作『二つの山河』(現在、文春文庫)が第111回直木賞にノミネートされた時には、同月13日に開かれる選考会の結果をこの二階で待つことにした。相手をしてくれるのは、出版各社の私の担当編集者たちである。
 いつものカツオその他のさわ料理と土佐の銘酒を楽しむうちに階下の電話が鳴り、私が受賞したと伝えてくれたのは午後7時半過ぎのことだったか。共同インタビューを受けるために出掛け、約一時間後にまた帰ってきて宴会のつづきを再開すると、親父さんが祝い酒二升を差し入れてくれたことが嬉しかった。
 以来、「酒楽」は直木賞の選考結果を待つにはげんのいい場所とされ、その後だれか候補作家となった人もここで待機したと聞いたが、その人が受賞したのかどうかは聞き漏らした。その後「酒楽」も店を閉じ、今は親父さんの息子夫婦が近くで第二の「酒楽」を営んでいる。

中村彰彦氏

著者:中村彰彦(なかむら・あきひこ)

1949年栃木県生まれ。作家。東北大学文学部卒。卒業後1973年~1991年文藝春秋に編集者として勤務。

1987年『明治新選組』で第10回エンタテインメント小説大賞を受賞。1991年より執筆活動に専念する。

1993年、『五左衛門坂の敵討』で第1回中山義秀文学賞を、1994年、『二つの山河』で第111回(1994年上半期)直木賞を、2005年に『落花は枝に還らずとも』で第24回新田次郎文学賞を、また2015年には第4回歴史時代作家クラブ賞実績功労賞を受賞する。

近著に『疾風に折れぬ花あり 信玄息女松姫の一生』『なぜ会津は希代の雄藩になったか 名家老・田中玄宰の挑戦』『智将は敵に学び 愚将は身内を妬む』『幕末「遊撃隊」隊長 人見勝太郎』『熊本城物語』『歴史の坂道 – 戦国・幕末余話』などがある。

幕末維新期の群像を描いた作品が多い。