食のエッセイ

岩魚は塩焼きか骨酒か

 あれは拙作『二つの山河』(現在、文春文庫)が直木賞と決まってまもなくのことだから、平成6年(1994)秋のことだ。私は会津史を深く教えて下さった宮崎はちさんとの講演旅行のついでに、福島県大沼郡 金かねやま町の温泉宿に一泊。夕食には近くを流れる只見川で釣れたいわの塩焼きが二尾も出された。
 その岩魚はよく肥えた子持ちであったが、翌日、朝食のお膳を見て驚いた。そこに乗せられていた焼き魚も、岩魚二尾だったからだ。
 それでも、野趣あふれる岩魚の風味は長く記憶に残った。舌と大脳の味覚を感取する部分とは、どうもしっかりとした回線で結ばれているようだ。
 それから二十余年を経た数年前のこと、寓居の近所に「あかべこ家」という店がオープンしたことに気づき、妻を誘って行ってみた。「赤べこ」とは会津弁で「赤牛」のこと。会津料理や会津清酒は私の口に合うので、以後私はこの店を編集者たちとの打ち合わせに使うようになった。
 この店の特徴は、畳半畳ほどの内壁に銅板を貼った囲炉裏いろりを持っていること、そしてその炭火で岩魚を焼いてくれることだ。店主星さんの故郷は南会津郡南会津町。かつては会津田島といわれた地域で、ここには阿賀川、館岩川その他の河川があるので岩魚や山女やまめがよく釣れる。その岩魚をで養生させておき、必要に応じて店へ送ってもらって囲炉裏で焼く、というシステムを考案したことがこの店の成功を約束したのだろう。
 しかも岩魚は、ただ焼くだけではない。その後はバケツ状のブリキの器をかぶせられ、じっくりとされる。こうして出された岩魚の塩焼きは、川魚特有の臭みがなくなったばかりか、頭も背骨も食べられるのには感心してしまう。
 さて、「あかべこ家」の岩魚は、骨酒にも使用される。一尾をまるごと入れる容器は会津名物の本郷焼きで、これも岩魚の形をしているのが何とも楽しい。ここに会津清酒「栄川えいせん」を二合注ぎ、よく熱すれば魚のスープのように感じられる骨酒が出来上がり、これまた川魚特有の臭みはない。
 さらにお代わりを要求すると、骨酒には岩魚の養分がさらによく浸み出ていて、味もよりこっくりしている。真冬の寒い夜、こうして膝のあたりからからだがあたたかくなってくるのを感じているのは、至福の一時といってよい。
 ここでさかなとするのは馬刺や星さんの出してくれるつまみの三点セットだが、馬刺については別途書くことにして後者を紹介しておく。この三点セットはひたし豆、隠元の胡麻え、イカにんじんのこと。イカにんじんとはスルメイカとにんじんの細切りに味付けした会津の郷土料理で、海のない地域で工夫された海産物のり方のひとつと思われたし。
 季節が春めくにつれてそろそろ骨酒の季節ではなくなってしまうのではと思い、またこの店に足を向けたくなるのは我ながら困ったものだ。

中村彰彦氏

著者:中村彰彦(なかむら・あきひこ)

1949年栃木県生まれ。作家。東北大学文学部卒。卒業後1973年~1991年文藝春秋に編集者として勤務。

1987年『明治新選組』で第10回エンタテインメント小説大賞を受賞。1991年より執筆活動に専念する。

1993年、『五左衛門坂の敵討』で第1回中山義秀文学賞を、1994年、『二つの山河』で第111回(1994年上半期)直木賞を、2005年に『落花は枝に還らずとも』で第24回新田次郎文学賞を、また2015年には第4回歴史時代作家クラブ賞実績功労賞を受賞する。

近著に『疾風に折れぬ花あり 信玄息女松姫の一生』『なぜ会津は希代の雄藩になったか 名家老・田中玄宰の挑戦』『智将は敵に学び 愚将は身内を妬む』『幕末「遊撃隊」隊長 人見勝太郎』『熊本城物語』『歴史の坂道 – 戦国・幕末余話』などがある。

幕末維新期の群像を描いた作品が多い。