食のエッセイ

ニンニクとラッキョウ

 先日、講演のため東北新幹線に乗り、JR宇都宮駅を通過した際のこと。ふと駅の東側を眺めると地元では有名な餃子店が支店を開いており、店の前に列が出来ていることに気づいた。宇都宮高校に通っていたころ、本店には何回も入ったことがあったので、この店が50年以上も繁栄しつづけているのは大変めでたいことに思われた。
 戦後、宇都宮で餃子がよく食べられるようになったのは、宇都宮連隊に満州国の奉天(現、瀋陽)に進駐した時期があったことによる。帰国・除隊後、元兵士たちが餃子の味を思い出して作りはじめ、中国では使われないニンニクも入れたところ、これが日本人の味覚に合って宇都宮餃子が誕生したのだ。
 それと関係あるのかどうかわからないが、私が栃木市立第五小学校に通っていたころのある日、母につれられてその茶飲み友達の家へゆくと、火鉢にきた炭にじかに乗せて焼いたニンニクの何房かに味噌を添えて出されたことがあった。臭みはすぐ気にならなくなり、ニンニクのほくほくとした味わいと味噌とが絶妙の取り合わせと感じられた。
 そのため、ついこれをおかわりしてしまった私は、直後ににわかに気分が悪くなり、貧血を起こした状態となってその場に寝かせられた。
 これが私のニンニクに関する強烈な思い出だが、今でも私はニンニクが嫌いではない。これを使っていないカレーは間の抜けた味だと思うし、鉄板焼きにしたステーキには、揚げたニンニクの小片がよく合うものだ。
 ラッキョウは塩漬であれ溜まり漬であれ、旅先で家への土産としてよく購入する。荊妻がラッキョウ大好き人間で、夕食に添えて小皿でよく出してくれるからだ。ニンニクもラッキョウも、からだに疲れが残っている時には、ささやかながら「元気の素」として作用してくれるように感じる。
 これまであちこちで買ったり頂いたりしたラッキョウのうち、身が柿の種のようにほっそりしていて品の良い味だったのは、新潟産と鳥取産。新潟産にはラッキョウ2粒を紫蘇の葉に巻いて漬けた逸品もあり、これは葉をくとラッキョウの白い肌が紫蘇の色に染まっているのが美しい。
 一方、栗の実のように丸々としていて細胞もしっかりしていたのは熊本の南阿蘇村で頂戴したラッキョウだった。この横綱級の逸物は、歯をしっかりと当ててかじり取るように食べる必要がある。
 大変インパクトのある味であったが、別に一袋頂いた分を私はそのまま旅行カバンに納めることは止めておいた。このラッキョウは臭いも強烈で、ビニール袋入りでもその臭いは抑え切れない。それを旅行カバンに入れておいたら、中にある衣装もすっかりラッキョウ臭に染め上げられてしまう、と予想できたからだ。
 最近は寓居のある西東京市で沖縄の島ラッキョウも買えるようになったから、そのうちまた新顔のラッキョウに会えるのを楽しみにしていよう。

中村彰彦氏

著者:中村彰彦(なかむら・あきひこ)

1949年栃木県生まれ。作家。東北大学文学部卒。卒業後1973年~1991年文藝春秋に編集者として勤務。

1987年『明治新選組』で第10回エンタテインメント小説大賞を受賞。1991年より執筆活動に専念する。

1993年、『五左衛門坂の敵討』で第1回中山義秀文学賞を、1994年、『二つの山河』で第111回(1994年上半期)直木賞を、2005年に『落花は枝に還らずとも』で第24回新田次郎文学賞を、また2015年には第4回歴史時代作家クラブ賞実績功労賞を受賞する。

近著に『疾風に折れぬ花あり 信玄息女松姫の一生』『なぜ会津は希代の雄藩になったか 名家老・田中玄宰の挑戦』『智将は敵に学び 愚将は身内を妬む』『幕末「遊撃隊」隊長 人見勝太郎』『熊本城物語』『歴史の坂道 – 戦国・幕末余話』などがある。

幕末維新期の群像を描いた作品が多い。