食のエッセイ

仙台の珍味ほや

 私は、昭和48年(1973)3月までの4年間を仙台市で過ごした。東北大学に学ぶためだが、その4年間、付近の海でれるという「ほや」は一切口にしなかった。
 珍味と知らなかったからではない。同学年の学生のひとりが下宿で「ほや」を出され、食中毒に罹って講義への欠席をつづけるのを間近に見たため「君子危うきに近寄らず」を決めこんだのだ。
 その私が本格的に「ほや」に親しんだのは、武蔵野市に仕事場をひらいてからだから、まだ四半世紀足らずのことでしかない。馴染みになった名店「かぶら家」が突き出し風に「赤ぼや」の塩辛を出してくれるので、それをつまむうちに生臭さのまったくないシャーベットのような味わいにすっかり魅了されてしまったのだ。これは、岩海苔いわのりをまぶしてもおいしい。
 大学卒業後、私が仙台へ行ったのは4回程度、そのうちの2回は講演を依頼されてのことだが、今年初めに3度目の講演依頼があり、2月3日、私は卒業後実に45年ぶりに会場のある片平キャンパスを訪れた。
 翌日、同行の長女と松島を見物し、JR仙台駅までもどってきて土産物屋を見てまわると、冷凍庫に入れて大きなほやの加工品を売っている。ためらいなくひとつ買って上りの東北新幹線に乗りこみ、しばらくすると車内販売のワゴンがやってきた。
 その中には何と、「磯の風味/ほや/酔明」と書かれたキャラメルの箱状の品があるではないか。しかも、バラで売るものと4箱1セットのものとが。後者をひとつ買って中身を取り出すと、見た目はスルメの線切りのような干物だが快い磯の香が漂い出し、口にはまろやかな風味がひろがって思わず酒かビールがほしくなった。
 その箱の裏側には、次のような「ほやのおはなし」が書かれていた。
「海のパイナップルとも呼ばれる『ほや』は海底の岩などに着生する原索動物の一種で、殻は鮮紅色をしております。
『ほや』はグリコーゲンを含んでいるために、古来より活力の源として愛されてまいりました。水月堂の『ほや酔明』はそのままの風味を生かして作りあげた品でございます。(以下略)」
「酔明」とは、酒のさかなによいという意味でしかあり得ない。
 列車の中での酒のつまみといえば、昔は塩豆か茹で卵、近頃はピーナッツ混じりの柿の種と相場は決まっていた。そこへほやの干物とは、大変な好敵手があらわれたものである。

中村彰彦氏

著者:中村彰彦(なかむら・あきひこ)

1949年栃木県生まれ。作家。東北大学文学部卒。卒業後1973年~1991年文藝春秋に編集者として勤務。

1987年『明治新選組』で第10回エンタテインメント小説大賞を受賞。1991年より執筆活動に専念する。

1993年、『五左衛門坂の敵討』で第1回中山義秀文学賞を、1994年、『二つの山河』で第111回(1994年上半期)直木賞を、2005年に『落花は枝に還らずとも』で第24回新田次郎文学賞を、また2015年には第4回歴史時代作家クラブ賞実績功労賞を受賞する。

近著に『疾風に折れぬ花あり 信玄息女松姫の一生』『なぜ会津は希代の雄藩になったか 名家老・田中玄宰の挑戦』『智将は敵に学び 愚将は身内を妬む』『幕末「遊撃隊」隊長 人見勝太郎』『熊本城物語』『歴史の坂道 – 戦国・幕末余話』などがある。

幕末維新期の群像を描いた作品が多い。