アルゼンチンのビーフェ
あれはもう34年前、昭和57年(1982)4月のことである。当時32歳、文藝春秋に勤務して『週刊文春』特集班の記者をしていた私は、文春初の戦争特派員としてアルゼンチン(以下、ア国)へ長期出張することになった。
イギリスとア国との間にフォークランド諸島(ア国名、マルビーナス諸島)をめぐって紛争が勃発、日本政府がイギリス支持を表明すると、在ア日系人たちには投石、罵声といった迫害が始まった。その日系人たちを取材するのが出張目的だったが、戦場マルビーナスへ渡海することは禁じられていたため、首都ブエノス・アイレスを基地として地方在住の日系人を歴訪するしかない状況であった。
それにしても長旅の果てにたどり着いたブエノスは、目抜き通りフロリダ・ストリートの辻という辻にはかならず大きな花屋が店開きしているカラフルな町だった。レストラン街も交戦中の国とは思えないほどにぎわっており、特に感動的だったのはアルゼンチーナたちが「世界一うまい」と称してはばからないビーフェ(ステーキ)の味。私は一日に最低一回、多い時には二回、250グラム程度、厚さ1センチ以上のビーフェを食べては赤ワインを飲むだけ、という食生活をそれから約一カ月間つづけ、きわめて健康体のまま帰国することができた。
ア国のビーフェが美味なのは、牛たちが世界一良質の牧草アルファルファを常時食べていることによる。地平線のかなたまで打ちつづく牧場に、牧舎などはない。牛は生まれてから出荷される日まで雨風に打たれつづけ、飼料やビタミン剤などとは無縁であるため引き締まった肉とくどくはない良質の脂身の持ち主へと成長するのだ。
馴染みになった一軒でビーフェを焼くところを見学させてもらったところ、大きな金網に無造作に置かれたそれには、コックさんが手づかみにした塩と黒胡椒を大ざっぱに振り掛けてゆくだけだった。
帰国して数日後、私は都心近くの超有名ホテルである人に会い、その人の希望でステーキのコースをともにした。
しかし、食べられたものではなかった。肉にはジューシー感がなく、それをごまかすためソースを掛けるとは。私はア国滞在中に、ビーフェに関してだけはかなりの通になってしまっていたのだった。
著者:中村彰彦(なかむら・あきひこ)氏