食のエッセイ

にゅっとするおせち

 みなさまは、「おせち」を作っておられるだろうか。私はむろん作らない。面倒くさいし、そもそも子どものころから、おせちのメンバーがあまり好きではなかった。

 黒豆、ごまめ、栗きんとん。みんな甘くて、同じ味ではないか? 私は基本的にしょっぱいもののほうが好きで、「おせちのメンバーは、なぜこんなに、ご飯のおかずになりにくい味つけなのだ」と思ってきた。それでいくと、おでんもあまり好きではなかった。「おでんをおかずにご飯を食えとは、お母さん、無茶を言う!」と幼心に不満を感じていた。

 おでんについては、酒を飲むようになってから、「つまみとしては最高においしい」と認識を改めた。ちなみに母は下戸なので、あいかわらずおでんをおかずにご飯をむしゃむしゃ食べている。信じがたい味覚の持ち主だ。

 だが、おせちのメンバーについては、酒のアテとしても甘すぎる気がして、いまも積極的に欲するところまでは行かない。いや、昔は「ご馳走=砂糖を使った料理」だったのだろうし、保存のためにも甘めの味つけにする必要があったのだろう。メンバーの事情もわかるので、「おせちからはずれてくれ」とまでは言わないが、自分で作って食べたいとは思わないのだった。

 しかし、私の母はちがう。母は年越し&正月に向ける気合いが半端なく、おせちや雑煮や煮物を作ろうとするし、家族が協力姿勢を見せないと不機嫌になる。暇なのか? と思いつつ、そんなことを母に言ったらぶっ殺されるので、私は大晦日の午前中には必ず両親の家に行き、野菜を切ったり、黒豆を煮てる鍋の蓋を開けようとして母に怒られたりと、「なんとなく手伝ってるふう」を装ってきた。

 けれど母も寄る年波には勝てず、おせちのメンバーを作るのが面倒くさくなってきたらしい。ここ数年、「買ってきた黒豆」「買ってきたごまめ」「買ってきた栗きんとん」が冷蔵庫に準備されるようになった。よかった、これなら楽ちん。私はカマボコを切って重箱に並べたり、栗きんとんをパックからにゅっと絞りだしたりして、「なんとなく手伝ってるふう」を装うことに専念する。

 母は、「おせちを自分で作らないなんて、よくないかしらねえ」と、うしろ暗い思いでいるようだ。どんだけおせちに呪縛されとるんだ。もうちょっと気軽にお正月を迎えてほしいと思い、一昨年から、近所のお寿司屋さんが作るおせちを予約することにした。

 白木の箱に、魚介を中心とした手のこんだ品が、彩りよく詰まっている。「あのお寿司屋さんの大将が作ったおせち」と、顔と料理が一致すると、母の脳も「手づくり」と認識するらしく、うしろ暗い思いは払拭されたようだ。おぬしの手づくりではなく、大将の手づくりなわけだけどな。だがまあ、このおせちの存在が免罪符となって、母が安心して正月を迎えられるのだから、ありがたいことだ。

 にゅっと絞りだす栗きんとんなど、従来のおせちのメンバーも、母がしぶとく買ってくるので、お正月の食卓がけっこう豪華になった。母と私は、「市販の黒豆」と「大将が作った黒豆」で「利き黒豆大会」をし(いやな客だ)、
「市販の黒豆、予想よりもずっとちゃんとしてる。正直、ほっくりやわらかに煮てあるという点では、甲乙つけがたい」
「ほんとねえ。でも、甘さが上品で深みがあるのは、やっぱり大将の黒豆のほうだわ。ハチミツか黒砂糖をちょっと加えてるのかしら」
などと、にわか評論家となって食べ比べを楽しむ。

 大将のおせちを入手するようになったぶん、母が作る煮物などを減らしたため、両親の家にある重箱にスペースが生じる。にゅっと絞りだす栗きんとんなどでは、到底追いつかない空白だ。そこで私は、カマボコを買う量を増やし、隙間にみっちり詰めることにした。子どものころの私は、甘いおせちのメンバーと同様、カマボコに対しても、「なんか味がぼやけている。ご飯のおかずにならん!」と思っていた。だが、その評価は誤っていたと、いまや泣きながら詫びを入れたい気持ちだ。酒のつまみとして、カマボコはたまらなくおいしい。いっぱい食べても、「まあ原材料は魚だからな」と、カロリーへの罪悪感をあまり抱かずにすむのもいいところだ。

 年々歳々思うのは、とにかく無理をしてまで手づくりに固執せずともよい、ということだ。おせちにかぎらず、日常のご飯もそうだ。比較的高齢の女性は特に、「手づくりしない自分=サボっているのではないか」と思ってしまいがちなように見受けられ、案じられる。もちろん、手づくりするのが楽しくて好きだったら、そうすればいいのだが、体力が低下してるのに、「手づくりしなきゃいけない」という思いこみがなかなかぬぐえず、私の母のように無理をしているケースもあるだろう。

 市販の黒豆も充分おいしいから、大丈夫だ。手づくりしなくても、べつにサボりじゃないし、そもそもサボれるところをサボって、なにが悪いのか。なんなら、おせちを準備せず、通常どおりに冷蔵庫の残りものでご飯をすませていいのではないかと私は思うのだが、正月に向けて情熱高まる母の監視の目が厳しいので、おとなしくパックの栗きんとんを絞りだすのであった。にゅっにゅっ。

 おせちはおせちでおいしいけど、私はどちらかといえば、ニンニクやスパイスがきいた料理のほうが好きだなー。いっちょカレーでも作ろうかな。と思っていた一月四日の夕方、お隣のおうちの換気扇から、カレーのいいにおいが漂いだした。

 おお、同志! おせちとお雑煮がつづくと、やっぱりパンチのきいたものを食べたくなりますよね。一人でにこにこしながら、私もカレーを作るべく、タマネギを刻みはじめた。

2024.01

撮影:松蔭浩之

著者:三浦しをん(みうら・しをん)

1976年東京生まれ。

2000年『格闘する者に○(まる)』でデビュー。2006年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞、2012年『舟を編む』で本屋大賞、2015年『あの家に暮らす四人の女』で織田作之助賞、2018年『ののはな通信』で島清恋愛文学賞、2019年に河合隼雄物語賞、2019年『愛なき世界』で日本植物学会賞特別賞を受賞。そのほかの小説に『風が強く吹いている』『光』『神去なあなあ日常』『きみはポラリス』『墨のゆらめき』など、エッセイ集に『乙女なげやり』『のっけから失礼します』『好きになってしまいました。』など、多数の著書がある。