食のエッセイ

幸せなイギリス人

かなり昔のことですが、ケン・ローチ監督の『この自由な世界で』を観た夜、わたしは思わず自分のノートに、「同胞に一人のケン・ローチをもっているイギリス人は幸せだ。」と走り書きしていました。
ケン・ローチの作品は、よく「感動作」と評されるような映画より、もう少し深い意味で観客を「幸福」にします。「下層民衆」の生活を描く監督と言われますが、感傷的でもイデオロギー的でもなく、力強い映像で美しい人間関係の「基層」を描くだけですが、その「だけ」こそ、大変な力量を必要とします。
ここに紹介する『天使の分け前』(2013年日本公開)もそのような映画の1本です。

イングランドの北方、スコットランドの大都市グラスゴーが舞台で、題名の『天使の分け前』(The Angels' Share)は、ウィスキーを樽に入れて熟成する間に、年間約2%が蒸発してしまう、その無くなった分は「天使の分け前」だと、しゃれて言った言葉です。
ところが、監督はこの題名にもうひとつの意味をひっかけていて、先に言ってしまうと、主人公のロビー(ポール・ブラニガン)と3人の仲間が、ちょっとした悪さで手に入れた極上のウィスキー数本、その中の特に1本を「天使の分け前」として含めているようなのです。盗みをした彼らが「天使」であるわけないだろ? と文句をつけたくなるところが、この監督の一筋縄でいかないところです。

喧嘩早くて暴力沙汰ばかり起こしているロビーが、「社会奉仕300時間」という罰だけで一応は自由の身になる。一緒に社会奉仕する何人かのうち、途中で女1人、男2人がロビーの仲間になって、これで4人組です。
この社会奉仕の「現場指導員」ハリー(ジョン・ヘンショー)が、実によくできた、父親のような心優しい男なのです。ロビーが、恋人レオニー(シヴォーン・ライリー)の生んだ息子に会いに行き、そこでレオニーの親類筋の男たちに殴られたのをハリーが助け、自宅に連れ帰ったりするのです。息子誕生のお祝いだと言い、32年もののスコッチの封を切って乾杯してくれたりもする。

このときはじめて飲んだウィスキーを「まずい!」と言ったロビーは、でもその香りと味覚に興味をもって勉強をはじめ、やがて「テイスター」としての才能を見せ始めます。
「ウィスキー通」のハリーが、ロビーたちを蒸溜所につれて行き、彼らはそこで、ウィスキーの値打ちを最終的に決めるのは「樽」の材質だと教えられ、樽から瓶に詰めて1本10万ポンド(2015年で約1800万円)で売れたものもあると知ってびっくり仰天。

以下、その緻密な構成を並べて書くと……、
◆北ハイランドで100 万ポンドの樽の試飲会とオークションがあると知り、ロビーがある計画を練って4人、キルト(伝統のスカート)を履き、「ウィスキー・オタク」に扮して参加。皆、ウィスキーの空瓶をもっている。
◆試飲会の夜、ロビーは樽棚の奥に隠れ、深夜、その特別の樽の栓をあけてチューブで中身を吸い出し、ポケット瓶1本と、4本の空き瓶につめる。抜いた分量を他の樽から移して、中身が減ったことをわからなくする。

◆翌日のオークションで、その「混じり物」の樽が115 万ポンドで落札される。知り合いの「ウィスキー・コレクター」が落札できなくて殘念がっていると、ロビーが現れ、これを飲んでみて、とポケット瓶のウィスキーを飮ませる。驚いた男が「買う」というのへ、ロビーは、4本でなく、3本で20万ポンド、それと「俺の仕事も」と要求する。
◆ドジな2人が瓶をぶつけ、 2本を割ってしまう。残りは2本。だがロビーは、1本だけを10万ポンドでコレクターに売り、蒸溜所の仕事ももらう。1人2万5000ポンドずつ分けるが、ではあとの1本はどうなったか?

◆ある日、社会奉仕指導員ハリーが家に帰ると、テーブルにウィスキーの瓶1本とロビーの手紙がある。「『天使の分け前』です。チャンスをありがとう。ロビー」。新聞に出ていた極上品だと鼻で確かめ、〈天使〉のようなハリーが笑ってつぶやく。「あいつら……」。
◆皆と待ち合わせの場所に、ワーゲンのバンを運転してロビーが来る。赤ん坊を抱いたレオニーが車に乗る。その車は、蒸溜所に職を得たロビーが、仕事のためと寝泊まりするために、会社から支給されたものだった。
◆三人の仲間に別れを告げ、走り出すロビーの車。恋人レオニーが笑っていう言葉を字幕の通り書き記せば、「やんちゃな男だわ!」。

さて、この「やんちゃな男」をどう評価するかは、観客それぞれでしょうが、わたし自身は、この映画は、少なくとも2回は観る価値があるだろう、と考えているのです。

東陽一氏

著者:東陽一(ひがし・よういち)

1934年、和歌山県生まれ。映画監督、脚本家。早稲田大学文学部卒。

代表作に「サード」(1978年)(芸術選奨 文部大臣新人賞受賞)、「もう頬づえはつかない」(1979年)(第34回毎日映画コンクール 日本映画優秀賞受賞)、「橋のない川」(1992年)(第47回毎日映画コンクール 監督賞・同日本映画優秀賞受賞)、「絵の中のぼくの村 Village of Dreams」(1996年)(第46回ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞)、「わたしのグランパ」(2003年)(第27回モントリオール世界映画祭(カナダ)最優秀アジア映画賞受賞)など。

2010年12月、「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」を公開。同作品によって、2011年5月、第20回日本映画批評家大賞・監督賞を受賞。

常盤貴子と池松壮亮が主演する最新作『だれかの木琴』が、2016年9月に全国公開。

2009年より4年間、京都造形芸術大学映画学科の客員教授をつとめた。