頬笑むチョコレート
映画の舞台はフランスの片田舎で、登場人物はもちろんフランス人という設定。なのに、なぜかみな英語をしゃべっている。だってこれはアメリカ映画だから。このちょっと変な感じさえ我慢すれば、ラッセ・ハルストレム監督の『ショコラ』(2000年)は、文句のつけようのない「おいしい映画」です。
ジュリエット・ビノシュ、ジョニー・デップほか贅沢な配役ですが、ここではフランス語の「ショコラ」、すなわちチョコレートも大切な登場人物のようで、画面から、あのとろけるような香りが漂って来る気さえします。
「昔々……」と語りはじめられるこの映画の舞台は1959年、季節は四旬節で、キリストの40日間の断食にちなむ「内省の期間」です。その最初の日、冷たい北風とともに、赤いマントを着た若い母親とその娘が、田舎村にやってくる。二人の歩く後ろに、なぜか、一陣のつむじ風がつきまとうようです。
つむじ風は空を駆けめぐり、村人たちが牧師の説教を聞いている教会の扉を、ぱたん、と乱暴に開いてしまいます。村長のレノ伯爵が自ら立って扉を閉め、はて、何事だろうこの風は、と異常を感じたように一瞬考え込む。これが、「おとぎ話」のはじまりです。
村長の「不安感」はすぐに当たる。一軒の家に住みついた二人を訪問して、ミサに誘うと、「教会へは行かないわ」と母親ヴィアンヌ(ジュリエット・ビノシュ)にすげなく断られ、おまけに娘のアヌークは「正式な父のいない子」らしい。敬虔なキリスト教徒の村長には許しがたい存在です。
ヴィアンヌは自分で練り上げたチョコレートの店を開き、断食期なのに村人たちに売り始める。はじめおずおずと手を出していた村人たちも、やがてその美味に抵抗できなくなっていきます。このチョコレートは不思議な効果を発揮して、たとえば、最近は妻に見向きもしなくなっていたおじさんが、一袋まるまる食べてしまうと、たちまち夫婦は昔のように仲良くなってしまったりする。こうして村人たちはしあわせになり、村長は怒りをおさえきれなくなる、という具合です。
船で川を下ってこの村にやってきた流浪の民、その中の一人(ジョニー・デップ)とヴィアンヌの恋愛もあり、とても物語全体を紹介する紙幅はありませんが、ここで大事なのは、いくらおいしいからといって、チョコレート会社の宣伝じゃあるまいし、たかがひとつの嗜好品に、人々の生き方を変えてしまうほどの力があるだろうか、という疑問です。だって最後には村長もショコラの魅力に降参するし、若い牧師は説教の朝、「今日は神の神性について話すのはやめる。人間性について語りたい」などと言いはじめるのですから。
その疑問は、映画を観た人にはすぐに解けます。たしかにチョコレートは、ただの嗜好品以上の、素晴らしい食べ物ではあるけれど、人々の生活を変えるほどの力をそれに与えたのは、実は、ヴィアンヌの美しい「頬笑み」だったのです。そう、どんな食べ物も、「頬笑む人」(なるべくなら「頬笑む女」がいいけれど)から与えられれば、信じられないほどの魔力を発揮する。牧師の長ったらしい説教が、チョコレートを差し出すヴィアンヌの、一瞬の頬笑みに勝てるわけがない。そのような「人間と食べ物の深いつながり」が、この映画に巧みに表現されています。
著者:東陽一(ひがし・よういち)氏