「憂愁」のラスク
固いラスクの上にこってりしたパテを乗せ、飲み物はナント産の白ワイン、これがまあ夜食というわけで、その「パテ乗せラスク」を齧りながら、二人の初老のギャングが冴えない内輪話をする。こんなシーンは、1954年以前のフランス映画には絶対になかった、と断言できるんじゃないだろうか。
ジャック・ベッケル監督の『現金(げんなま)に手を出すな』のこのシーンを見たとき、それまで描かれたことのない「ギャングの日常生活のリアリティ」みたいなものに触れて、高校生のわたしはとても興奮しました。そう、ギャングだってときにはラスクを齧りながら、人生について語り合うのです。特に、お互いにもう若くないことを自覚した夜なんかには。
若くなくても「特別に親しい女性」が三人もいる色男マックス(ジャン・ギャバン)が、相棒のリトン(ルネ・ダリー)と隠れ家でこんなシーンを演じることになったのは、ドジのリトンがまた失敗をやらかしたからなのです。リトンは、入れ揚げているナイトクラブの踊り子ジョジィ(ジャンヌ・モロー)に泣きつかれ、つい、すぐに大金が入るから店をもたせてやる、としゃべってしまった。大金とは、いま新聞を騒がせている5,000万フラン相当の「金の延べ棒」のこととすぐわかり、ジョジィは新興のギャング、アンジェロ(リノ・バンチュラ)に話します。ジョジィはアンジェロの情婦だったのです。
実はしばらく前、マックスはリトンと二人で、オルリー空港からその金塊をまんまと盗み出していたのです。当分は換金しないで時期を待とう。そう約束していたのに、リトンが惚れた女に話してしまった。そういうわけで、隠れ家でラスクを齧りながら「お前はなんて馬鹿なんだ、おれはこれで引退する気だったのに」という話になるのです。
やがてマックスは、アンジェロ一味に捕らわれたリトンを、金の延べ棒と交換する破目になる。親友ピエロの協力を得てリトンの救出に行くけれど、無事に交換が終わるわけがない。リトンは撃たれて重傷、アンジェロ一味を叩きつぶしはしたが金塊は炎上する車の中、そこへトラックが通り掛かったりもするから、現場から姿を消すしか方法がない。
翌日、マックスが美しい二番目の「女友だち」と何食わぬ顔で行きつけのレストランに行き、食事の前に電話すると、ピエロが出て「リトンが死んだ」と静かに伝えます。
席に戻ったジャン・ギャバンが、ジュークボックスで「グリスビーのブルース」をかけ、憂愁に満ちた微笑で女を見る。その色気に、何も知らない彼女はゾクッとしたに違いありません。「憂愁」の中にこそ男の真の美しさがあるというわたしの持論(賛同者はいないけど)をそのまま表現したようなシーンです。
わたしにはさらに、そのシーンの背後にあの「シャリ、シャリ」と二人でラスクを噛む音が聞こえるような気がします。ものを食べるシーン、ものを食べる音が、あれほど深く男の人生の「憂愁」をあらわす映画がほかにあったろうか。思い出すことができません。
著者:東陽一(ひがし・よういち)氏