食のエッセイ

「きのこ餃子」の熱い湯気

チャン・イーモウ監督の『初恋のきた道』。
1999年に公開されて大ヒットした、あの、誰もその美しさに抵抗できないチャン・ツィイーの、19歳のデビュー作です。イーモウ作品に描かれる女性はみな「絶対にあきらめない中国女」たち、この映画の村娘も、一度恋した相手は、何が起ころうとあきらめない。

ある日、若い男先生ルオ(チョン・ハオ)が、村に派遣されてやってきます。美しい村娘のディは、ひと目見て恋してしまった。
やがて、やっとルオ先生と話ができるようになったディは、先生の好きな「きのこ餃子」を作ります。餃子を蒸していた釜の蓋をあけると、一瞬わっと立ちのぼる熱い湯気。

この熱い湯気と餃子の映像は、食欲をそそると同時に、はじめての恋のときめきと、その恋情の激しさをあらわしているようにも見えます。食べ物の映像が、いつも「味覚」にだけ関わるわけではない、そのいい例です。

餃子をどんぶりに入れて蓋をし、急いで風呂敷に包んで、ディが家から走り出る。でも先生はいま誰かと一緒に、走る馬車で村を出て行くところ、娘の脚で追いつくわけがない。 このシーンの時代は1958年、文化大革命より8年前で、青年教師ルオはこのとき、何か政治的な理由で町に連れ戻されたのです。

追いつけなくてもあきらめず、近道を走るディが、不意に何かにつまずいて倒れます。どんぶりが割れ、餃子が転がり出る。悔し涙があふれ、ディは声をあげて泣きます。馬車は遠ざかり、もう会えないかもしれない。
ルオ先生はその後、当局に無断で、ディに会うため一度だけ村にもどりますが、すぐにまた連れ去られ、その後二年もの間、二人は会えないことになってしまう。

この映画は、それから数十年が経って、老いたルオ先生が急死し、一人息子(スン・ホンレイ)が雪道を車で帰郷するところから始まるのですが、その息子が、村人に聞いたとして語る、父と母が再会する日のこと。
「二人が遂に再会を果たした日、母は父の好きな赤い服を着て道で待っていた。以来、父は母のそばを離れなかった」。

『初恋のきた道』という日本語の題名はよくできていますが、もとの題名は『我的父親母親』、つまり『私の父と母』です。人生でもっとも美しく輝かしい青春期と、人生でもっとも奥深く、生きることの価値を知っていく老年期。両方を描こうとするこの映画は、その物語を、父の急死で帰郷した息子が語るという、重層的な構造をもっているわけです。

遠い出先で夫が死んだことを知った妻のディは、遺体を車で運ぼうという村人たちの提案を受け入れない。昔と同じように、人間の手で担いで、この家まで運び帰りたい。
いまは年老いた、この「絶対にあきらめない中国女」の訴えに逆らえる者は、息子はむろんのこと、ひとりもいません。こうして、百人以上の元生徒たちがあちこちから集まり、かわるがわる柩を担いで、猛吹雪の中を黙々と歩いて帰っていくことになるのです。

はじけるような若さに満ちたディをカラー映像で演じたチャン・ツィイー。でもそれだけでなく、数十年後、老いてなお消えることのない深い愛情を心の中に抱き続けるディを、白黒映像で演じた女優チャオ・ユエリン。

世代の違う二人の女優によって演じられた、一人の女の人生。その「青春」と「玄冬」のふたつの季節を重ねて描くことで、この映画の奥行きは、とても深いものになっています。

東陽一氏

著者:東陽一(ひがし・よういち)

1934年、和歌山県生まれ。映画監督、脚本家。早稲田大学文学部卒。

代表作に「サード」(1978年)(芸術選奨 文部大臣新人賞受賞)、「もう頬づえはつかない」(1979年)(第34回毎日映画コンクール 日本映画優秀賞受賞)、「橋のない川」(1992年)(第47回毎日映画コンクール 監督賞・同日本映画優秀賞受賞)、「絵の中のぼくの村 Village of Dreams」(1996年)(第46回ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞)、「わたしのグランパ」(2003年)(第27回モントリオール世界映画祭(カナダ)最優秀アジア映画賞受賞)など。

2010年12月、「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」を公開。同作品によって、2011年5月、第20回日本映画批評家大賞・監督賞を受賞。

常盤貴子と池松壮亮が主演する最新作『だれかの木琴』が、2016年9月に全国公開。

2009年より4年間、京都造形芸術大学映画学科の客員教授をつとめた。