食のエッセイ

ジビエの秋、想いさまざまに

 近年の季節の移ろいは、気候変動の悪影響なのでしょうか、何処においても極端な暑さや乾燥や、逆に豪雨などの悪天続き、といった日々も多く、ゆったり空を見上げ、風のそよぎを肌に楽しむなどというゆとりも、いささか忘れそうな。それでも9月の声を聞くと、まだ蒸し暑い日本とは違って、全体に緯度の高いヨーロッパでは、急に寒さがやってきます。

 日本では、「夏休み明け」は、主に学校に通う子供達や学生の新学期について言われますが、フランスではヴァカンス明けの「ラントレ」は、学校などの新学年であるとともに、全ての市民にとって、長く自由だった休み明けの仕事再開のことでもあります。もちろん業種や勤務によっては、一斉に休業、一斉に再開、というわけには行きませんから、パン屋さんや食料品を扱うお店などは、何軒かで打ち合わせて早くヴァカンスに入る店と、遅く入る店とで、どこかは開いているという方式がとられます。でないと、パン屋さんが一斉に閉まってしまったら、住民はお手上げですからね。面白いもので、パン屋さんのバゲットやクロワッサンなどにも店ごとの特徴があって、あっちのお店はかっちり固めに焼き上げてあるが、こちらの店は少し柔らかめ、などという具合。日頃はきっと、住民はひいきの店を決めているでしょうが、私たちがヴァカンスの期間にも市内に残っていれば、どちらも経験することに。

 9月になって普段の様相を取り戻したパリの涼やかな町中を歩いていると、肉屋さんの店頭に猪や鹿が、天井の鍵釘から頭を下に吊り下げられている様子だとか、鳥肉を扱う店には、毛皮を剥がれた野兎が頭と前足を手前にして、伏せるような形で何匹も並べられている陳列に出会うようにもなります。解禁された狩猟で捕獲された野生獣や鳥の肉は、ジビエと総称されて、市民には少し高価になるとはいえ、レストランでも家庭でもご馳走なのです。それにしても、日本では見慣れない店頭の光景は、はじめ私らにはぎょっとするのですが、フランスなどヨーロッパでは、これらの陳列を見て美味しそうと思うのは、彼ら彼女らにとっては毎年の見慣れた光景だからでしょうが、古い昔から狩猟が重要だった社会だからかなあと、思わないでもありません。

 銃砲の歴史の専門家に確認しないといけませんが、おそらく15、16世紀から鉄砲が改良されていくのを受けて、戦闘だけでなく狩猟にも使われるようになったと思われます。それ以前の狩猟では、罠は仕掛けたでしょうが、弓矢や槍などと棍棒のような道具だったでしょうから、危険な力仕事だったと想像されます。古代以来のゲルマン系の人々や、紀元前からヨーロッパ各地に定住していたケルト系の人々は、農耕だけでなく、大きく広がっていた森林や原野では猟もしていたと思われます。私の友人に、ケルト研究のプロ中のプロと言って良い原聖さんがいますが、彼がこの8月末に刊行した『ケルトの解剖図鑑』という、なんともありがたい入門書を見ると、彼らは基本的に農耕民だが、「肉類ではまず家畜としての豚であり、ヤギやガチョウの他、鹿や猪といった狩猟による獣も好物だった」とあります。日頃の生活で接する中では最も獰猛で強かったに違いない野生の猪は、それゆえに畏怖と崇拝の対象ともなっていたそうです。

 それにしても、殺戮の道具を多様に発明していった人間の方が、より獰猛ではないのか、と思わないではいられない歴史の現実も見落としてはいけないでしょう。そうして、ヨーロッパの深い森に生息していたオーロックスという、肩までの高さが2メートルを超えていた超大型のバイソンの仲間は、肉食のためだけではなく、むしろその皮革や、何より幅2メートルにもなる巨大な角を手にするために、支配階層の男たちの狩猟の標的になったのでした。森林の開発と農場化が進行した中世後半には、オーロックスにとっての生息環境も悪化し、16世紀半ばには絶滅の危機を考慮した貴族たちが、生息が確認されたポーランドの森に禁猟区を設定したのですが、密猟をした馬鹿者がいて、1627年に殺されてしまった一頭を最後に、絶滅したと思われるのです。

 さて、話を現在に戻しましょう。もう半世紀近く前に、私が最初にパリに長期滞在した折、到着したのは丁度9月終わり近くでした。町になじむには、地図を片手に、外が見えるバスで移動して、適当なところで降りてブラブラ歩きをする、と決めていた私は、少しドキドキしながら、宿舎のあったパリの南の端からバスに乗って、あてもなく見物しながら歩いたのですが、東京に比べて町内が薄暗い、その分、店のショーウィンドウが光鮮やかで、モニュメントのライトアップも際立っている、という印象を強く感じました。パリの中心部では、建物は19世紀の都市大改造以来、基本的に日本でいう6階建ての石造ビルで、かなりが「げた履き式」に、各種の店舗などが1階に収まっています。当時の日本の低層家屋が少なくない町並みとは、様相が違うわけです。また高層ビルも一時期自由化して、モンパルナスの高層ビルが、ちょうど私の最初の滞在中に完成しましたが、すぐに規制に転じていたために、中心部の歴史的景観は保持されました。街灯は整備されていますが、明度は抑えられています。そのなかで、どこで目にしたかまでは記憶が定かではありませんが、肉屋さんの明るい店頭に連なるジビエの姿を初めて目にした時は、やはりびっくりしたものです。しかし何度か秋を経験すれば、生牡蠣の店頭呼売りが開始されるのと並んで、ジビエの陳列は、9月からの町に活気を与える風物詩と感じられるようにもなります。

 最近ではフランスに限らずヨーロッパ全域で、各種の開発に伴う森林原野の減少、農薬や鉛などの有害物質の残留といった、野生動物の生育環境の劣化が指摘されています。もちろん、保護地区の設定や繁殖期の捕獲規制などは実施され、狩猟はステイタスの高い仕事、ないし趣味ですから、野生動物の増加が人との共存を危うくし始めている日本とは、だいぶん様相が異なっているように感じられます。日本では、野生の鹿や猪などの適切な捕獲と食肉としての活用が、ジビエ料理の普及としてどのように可能か、最近になって本格的に検討され、一部で推進され始めていることは、とても重要です。「牡丹鍋」と称される猪鍋は、日本各地にあります。私もまだ大学院時代であったか、研究会仲間で丹沢山麓の七沢温泉という所に行き、今ではどうかわかりませんが、当時はイノブタではなく捕獲した野生猪だという鍋料理を囲んで、賑やかに過ごしたことを思い出します。日本でも、自然環境保全と農業などとの共存をにらみつつ、ジビエ料理がもう少し定着してゆくことに期待しましょう。

 フランスに猪(サングリエ)の煮込み料理があるか、体験はしていませんが、ブルギニョンのような煮込み料理を牛肉ではなく猪肉や鹿肉ですることは、ありえそうです。鹿のブルギニョン風料理は、増え過ぎて駆除されたエゾシカを使って一流の料理人が調理してくれた逸品に、家の近くのレストランで感心した経験が、私自身にあります。フランスで、ウサギの肉はローストなどにすると、鶏肉に近い感じでしたが、味付けやソースによっても風味は左右されるのでしょう。パリのシャルル・ド・ゴール空港での離着陸の際に、窓から外をよく見ていると、滑走路の脇の空地を野兎(リエーヴル。飼い兎であるラパンより大きい)が飛び跳ねているのを見たものですが、最近ではどうでしょうか。野兎も実は数を減らしているそうで、ある程度まで育ててから狩猟の対象として野に放つ、半ば飼養のような野兎なども、うずらなど野鳥の場合と同様に、フランスではなされているのだそうです。うずら(カイユ)は、日本ではもっぱら卵の消費が中心でしょうけれども、フランス料理ではジビエ料理の仲間に入るようです。鳩料理というのを、ついぞ食したことはなかったのですが、前々回のトサカ料理の話のような好奇心が湧いてしまった私は、何年か前の秋に、もうこれで最後になるかもしれないと思ったパリ滞在で、友人夫妻とビストロに行き、たまたまリストにあった鳩料理(ピジョン・ロチ)に挑戦して、もちろん鳩にトサカはありませんからトサカにくるほどではないにしても、あまり感心した味でも食感でもなく、やっぱり好奇心は度が過ぎてはダメやなあと、年甲斐もなく思ったものでした。でもキチンとした定評あるジビエ料理は、ごちそうであることは間違いありません。日本でも、自然環境保全と、野生動物と人間活動との共存のためにも、ジビエ料理が定着するよう願って、秋の空を眺めている昨今です。

2022.10

著者:福井憲彦(ふくい・のりひこ)

学習院大学名誉教授 公益財団法人日仏会館名誉理事長

1946年、東京生まれ。
専門は、フランスを中心とした西洋近現代史。

著作に『ヨーロッパ近代の社会史ー工業化と国民形成』『歴史学入門』『興亡の世界史13 近代ヨーロッパの覇権』『近代ヨーロッパ史―世界を変えた19世紀』『教養としての「フランス史」の読み方』『物語 パリの歴史』ほか編著書や訳書など多数。