食のエッセイ

フランスの食事処あれこれ

 前回のお話で、モツ鍋に絡んで「フランス語ではレストランというよりもカンチーヌという表現がぴったりくる食堂でした」と素っ気なく書きましたが、「これ説明不足だよ」と、読み直した私の中のもう一人の私が囁きます。そこで今回は、少し食事の場やお酒などを飲むお店について、雑学的ないろいろを、たどってみようかと思います。これがまた案外と複雑で面白い、のです。

 はじめにカンチーヌですが、これは軍の兵営の食堂や、いわゆる社食、学食のような場所で、実用性本位の質素な食事の場の代表例だったのですが、最近の日本の社食や学食は、企業や学校側が魅力を発信すべき場所とも位置付けるようになったからでしょう、むしろ機能的で美味しい、行きたい食事の場になりつつあるようで、時代が変われば名称と様相の関係も変化する代表例になりつつあるかもしれません。

 現在ではパリとその周辺では、東京ほどではないにしても、世界各地の料理を提供するエスニック系のお店が増え、特に21世紀になってからはアフリカ系や日本系の食事処が、各種人気を博して増えていたのですが、コロナ騒ぎでどうなったのか気になります。ただここでは、あくまでフランスでの各種の食堂の呼び方、その時代的な変化の一端について、少し話ができたらと思います。なんと言っても、飲食は人の暮らしにとっての基本です。最近では、サプリなどでの栄養補給と水があれば良いとかいう人もいるそうですが、いやいや、飲食という基本が、社会の中でどのようなあり方をしているのかは、その時代、その社会の性格や文化的豊かさを捉える上でも、とても重要です。

 実はフランスでは、ここでもおそらく全ては書ききれないほど「食堂」の多様な呼び方があって、しかも意味する中身は時代によっていろいろ変化しましたから、歴史書にしても文学作品にしても、「食べ処」を示す言葉が出てきた際に、そこがどんな飲食を提供して、どのような雰囲気であったかを理解していないと、とんでもない取り違えをしないとも限らないわけです。ややこしい分だけ、わかってくると面白い、ともいえそうですが。いくつかの実例を見てみましょう。

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 今回こんなことを書いてみたいと思ったもう一つの動機と関係しますが、居酒屋風の食事処を指す表現の一つにブションという言葉があります。実は私はそれを知らなくて、フレンチ料理屋を経営している生涯のパートナーを得たかつての教え子の一人から、少し前に教えてもらったのです。私の知る限りブションというのは、ワインのコルク栓に代表されるような栓のことで、現代では車の渋滞を比喩的に表現するためにも普通に使用されています。瓶詰めになって動きが取れない、というイメージなのです。すし詰め、という日本語の使い方に近いわけですが、日本では渋滞を指すのにすし詰めは使いませんね。フランスでは文字通り瓶詰めを意味するアンブテイヤージュという言葉も、渋滞を指すために普通に使用されます。さて本筋の、ブションが居酒屋風食事処とは、どういうことだろうと調べてみました。

 こういうフランス語単語の語源や由来を調べるのに私が重宝しているのは、アルベール・ドーザという有名な言語学者が戦前に出してくれた語源辞典です。何巻もあるような大きな辞典類は個人では持ちきれませんから、1938年にラルース社から出された770ページほどの小型版を、かつてパリの古本屋で見つけた時は嬉しかったのを覚えています。装丁は日焼けして劣化している、このドーザ先生の辞典によると、14世紀末には、樽の口に差し込んで蓋の役割をする、藁束や葉のついた小枝の束のことをブションと言い(コルク栓の祖先)、1598年の文献では、この束を店の印にしたキャバレーのことをブションと書いている、とあります。ここで出てくるキャバレーを、現代日本のそれと取り違えると、またおかしな話になるという点は、もう少し後に書きます。要するにこのブションは、確かに食事処ないし居酒屋だったのです。まだ、コルク栓からワインという連想ではなくて、藁束や葉のついた小枝の束が食べ物を、あるいはもしかしたらワインの小樽を連想させたのでしょう。

 私の念頭に浮かんだのは、日本で酒蔵(酒屋)の店頭に飾られた杉玉のことです。杉玉は酒林(さかばやし)と言われるように、酒の神様である奈良の三輪神社(大神神社)の御神木、杉の葉のついた小枝で作った大玉に由来するのだそうです。良い酒ができますように、商売繁盛しますように、という印でしょう。おそらく昔のフランスでも、似たような心性があったのかもしれません。もちろん一神教のキリスト教ですから神々ではないのですが、ヨーロッパの古層にあたるケルト、あるいはゲルマン系の神話世界にうかがえる世界観は、19世紀から民族学/民俗学が指摘したように、連想ゲームのような発想、超自然的な力の介在を退けるものではなかったからです。17世紀の「科学革命」を代表するニュートンだって、錬金術を信じて没頭していたのですから。もっともニュートンは、フランスではなくてブリテン島の人ですが。

 さて、居酒屋ないし食事処を指すのに、現在ではブションという言葉はほとんど使われないようですから、私が耳にしたことがなかったのも不思議ではないでしょう。むしろタヴェルヌとかビストロ、という言葉がそれに当たります。タヴェルヌは古くから、語源的にはラテン語で店を意味したタベルナに由来するといい、やはり中世末にはワイワイ騒げる居酒屋ないし食事処として存在したようです。しかし相席でガヤガヤした雰囲気に、18世紀半ばには上層市民や旅行者が閉口しだし、それが当時出来立てであったレストランという業態が繁盛しだす一因になったとも言われています。

 パリについてはなんといっても、博学の研究者フィエロの『パリ歴史事典』が翻訳され、日本語で読めるのはありがたい事で、彼はビストロという、常連たちが作り上げていた親しみやすく温かい飲食の場の雰囲気を、高く評価していますが、しかし表現の由来については結局不明として諸説を紹介しています。ドーザ先生も、19世紀末に当時のキャバレー経営者を指す一表現に由来し、ついでキャバレーそのものを意味するようになったと、素っ気ない推定に終わっています。そんな昔ではないことも、庶民の社会生活に関することは、なかなかわからないことも少なくないのです。そしてまた、キャバレーが登場です。

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 さて、いよいよその話なのですが、それにはまず、カフェについての由来と変遷を見なければなりません。カフェはもちろんコーヒーのことですから、豆の輸入品を淹れて飲ませる店として、パリで17世紀後半には始まりますが、18世紀初めには、他の簡単な食事や酒類も提供し、会食して議論に熱を上げる場にもなっていきます。初めのうちは、呼売り職人たちが背中にコーヒーの入ったタンクを背負って、「コーヒーはいらんかね」と言って分売して歩くスタイルもあったのですが、18世紀には今日に続く基本形が確立して、いわゆる啓蒙思想家たちが激論を交わす場所ともなって行くのです。フィエロさんは、現在ではカフェも「旅行者のためのショーケース」でしかなくなってしまった、と嘆いていますが、それでもよく見ていると、朝早くにカウンターでコーヒーを飲んでお喋りしてから職場に向かう、お昼ご飯を仕事仲間とお喋りしながら摂るという常連さんたちも、場所によってはまだまだ見かけたものです。

 日本では「ジャズ喫茶」「シャンソン喫茶」あるいは「歌声喫茶」などというスタイルが、私の中学高校時代である1960年代からでしょうか、出てきました。本場フランスでは19世紀から、本職歌手の歌や生演奏、役者の一人芝居などが入るカフェや、「カフェ・シャンタン」という歌声喫茶に当たる店も繁盛し出し、19世紀後半、特に世紀末には、それらの店は「ミュジコル(英語のミュージックホール)」や「バル(同じくダンスホール)」、あるいは「キャバレー」と呼ばれる店と区分が曖昧になり、いずれも娯楽と飲食を兼ねた場所として、庶民も出入りするようになります。これらの呼称の店は、いずれも現代日本の様相とはずいぶん異なりますから、例えば往時の記述の中にそれらの言葉が出てきた際に、日本語に移すには気をつけなければ意味がずれる恐れあり、ということにもなります。

 特にキャバレーという言葉は、フランスでも歴史的にずいぶん変化したものの代表例でしょう。現在では「ボワット・ド・ニュイ(英語のナイト・クラブ)」と表現しますが、そこは音楽やレヴュー、ちょっとしたコントなどのショーを見ながら飲食を楽しむ場、店によっては女給さん、今はホステスというのでしょうか、そういう女性がついて、それも込みでご会計、という場のようです。「ムーラン・ルージュ」や「クレイジー・ホース」など現在超有名な食事付きでレヴューを見せる店は、およそ観光客相手が中心でしょう。フランスの人たちがそれに近い形式のキャバレーに足を運んだのは、19世紀末から両大戦間期、特に「狂乱の」といわれる1920年代でしょうか。

 このキャバレーという言葉は、歴史をさかのぼると意味が全然違ってきますから、知らないととんでもないことになる好例です。その過渡期に登場したのが、1881年に開店した「シャ・ノワール(黒猫)」というキャバレー、ないしカフェ・シャンタンでした。そこでは画家とそのモデルたち、作家や多様な芸術家とその卵、まさに文化関連の連中が溜まって飲食と出し物を楽しみ、ときに自分たちも歌舞音曲に参加する、庶民でも、それに合流可能な価格と雰囲気であったようです。そうなる以前のキャバレーは、18世紀末から一般に広まっていくレストランという表現よりさらに古く、気楽に利用できる「飯屋」を指す言葉だったのです。ですから、例えば17世紀の文書にキャバレーと出てきても、ゆめゆめこれを現在のそれと取り違えてはいけません。今回は、まだまだある食事処や呑み屋の表現の一端を、覗いてみました。でもやっぱり、実際に親しい仲間や家族などで飲み食いお喋りする方が良いですね。

2022.08

著者:福井憲彦(ふくい・のりひこ)

学習院大学名誉教授 公益財団法人日仏会館名誉理事長

1946年、東京生まれ。
専門は、フランスを中心とした西洋近現代史。

著作に『ヨーロッパ近代の社会史ー工業化と国民形成』『歴史学入門』『興亡の世界史13 近代ヨーロッパの覇権』『近代ヨーロッパ史―世界を変えた19世紀』『教養としての「フランス史」の読み方』『物語 パリの歴史』ほか編著書や訳書など多数。