食のエッセイ

好奇心は大切だが、でも度が過ぎてトサカに来た話

 人の持っている能力は不思議なもので、発音するとまったく同じになる想像力や創造力は、果たして脳のどういう作用を言うのか。記憶が、脳の海馬の領域ということは知られていますが、それでも、すっかり忘れていた記憶がある時点で蘇る、ということもあります。好奇心とか行動力などというのも、不思議なものです。

 私はとりわけ好奇心が強いわけではないと思いますが、記憶をたどると、まだ若くて元気の良い頃には、知らないことがあれば調べ体験してみないと、気が済まないなどということもありました。リスクも計算しておかないといけませんが、私らの世代には、先行する世代の小田実が1961年に出した『何でも見てやろう』の影響もあったかもしれません。フルブライト奨学金でハーヴァードに留学した彼は、帰路に支給される飛行機切符を利用して世界一周コースを取り、わずかな資金をポケットに各地の民衆生活を実感して歩くという、いまでいうバックパッカーの先駆けのような体験を書いてベストセラーになったのでした。

 私には、そんな度胸も才能もありませんでしたが、半世紀近く前のフランス政府給費留学生も、帰路の飛行機代は政府支給で、エール・フランスでの経路は選択可能でした。ちょうどアテネと北京を経由して東京に着く新ルートが開始されていて、まだアテネに行っていなかった私は、パリからのその便を予約したのでした。個人で自由に東京と北京を往復する状況でもない時代でしたから、いわば一石三鳥を狙ったわけです。宿泊した当時のアテネの町は、掲示板などがギリシア文字のみで英語表記もなく、これには参りましたが、英仏両言語を併用するガイドつきのバスを利用して、アクロポリスなど主要な史跡を訪ねました。ところが、帰路の北京経由の便に乗るために空港に戻ってみると、予約してあった便は機体のトラブルでまだパリ。クレジットカードは持っていなかったうえ、手元の現金はわずか。さて困ったぞ、と思っていると、あなたの切符はディスカウントではなくて正規のものだから、パリ発JALの南回り東京行きに切り替えられます、それが最速との申し出。いやはや北京体験は宙に舞い、なんとカイロ、カラチ、バンコク経由の南回りで東京へと、スマートな機体で有名だったDC8の乗客となったのでした。いったん機外に出るように指示されたバンコクの空港が、まだ緑の田んぼが見える小規模な、そんな時代でした。

*    *    *

 好奇心といえば、食についてもそうで、私の場合の入り口はやはり歴史の研究でした。19世紀フランス社会史のさまざまについて関心を持って留学したのですが、文書館などで史料類を読みながら、それにしても生活文化とでもいうべき諸事万端、暮らしの諸条件がわかっていなければ、空中楼閣をイメージしているようなものになりかねない。そこで、かつての新聞雑誌だの、民俗学的な調査資料などにも、調べの範囲は広がって行ったのでした。他方また、現代とかつてとでは、当然ながら社会生活の状況は大きく変化しているのですが、今の状況は体験可能です。それも、現在のリッチな食通の話、一流レストランの話ではなくて(いやそれも素敵なのですが)、普通の一般家庭のあり方を知ることができれば、生活感覚にも少しは近づけるかと。

 その導き役になってくれたのは、親しい間柄になっていたファデフさんというご夫妻の家庭でした。夫君のディディエは企業に勤める画家で、新設リゾートなどの建築イメージ図をスケッチ風に描く専門家。夫婦共稼ぎで、当時はパリ市内の12区、ヴァンセンヌ公園近くのアパートに住んでいました。器用に日曜大工もすれば、買い物はもちろん料理もこなす、冗談好きで私より10歳ほども年長の彼は、呼んでくれると、車での買い出しにも連れ出してくれて、ワインやチーズのこと、野菜や肉など食料のこと、古道具屋での掘り出し物探しなど、知識ばかりを詰め込んだ頭でっかちであったに違いない私にとっては、良き生活ガイド役という感じでした。

 日本でも最近は「モツ鍋」を好む人が少なくないそうですが、私は今ひとつ苦手。フランスでもトリップというのが、牛の臓物などを煮込んだ庶民料理です。私がこれに挑戦したのは、パリの国立文書館があるマレ地区の一角。正確な場所を今では記憶していませんが、最近でこそオシャレになったマレ地区も、かつては公営質屋や大衆食堂もあって、そこはフランス語ではレストランというよりもカンチーヌという表現がぴったりくる食堂でした。そこで本日のお薦め料理、トリップを試したのですが、やはり私にはダメでした。食べ心地の問題なのか、牛のお腹の中など連想してしまうからか、自分でもわからないのですが。

 フランスでは、牛や豚などの部位はあらゆるところを無駄にせず食するので、トリップ苦手の話をしていたらディディエが教えてくれたのは、ミュゾーという前菜用の一品。ちょっと見ると、何かをゼリーで固めたのかと思わせる様子なのですが、これが牛の頬っぺたというか、彼によれば鼻づらの肉だよ、と。一瞬ギョッとしましたが、これはそのまま食べられるように調理されて売っているし、なかなか美味しい。ソーセージやサラミは日本とも同様ですが、各種のハム(フランス語でジャンボン)も含め、種類は豊富です。フランスだけでなくヨーロッパでは、豚ちゃんは肥育が早いし、中世このかたずっと、社会にとっての最重要な動物性蛋白の材料だったのです。ソーセージも、フランスでは加熱が必要なのがソシッスで、そのまま切って食べられるのがソシソンと使い分けするのも、この頃に教えてもらった気がします。昨日は飲み過ぎ食べ過ぎ、喋り過ぎだったから、今日はプラ・フロワ(冷たい皿)でね、と家庭で言われれば、冷製料理を作るわけではなく、サラダや各種ハム、サラミ、チーズなどとバゲット(パン)、加熱の必要がない軽食ですませようということだというのも、ファデフ家で体験させてもらったことでした。

 そういうわけで、ずいぶんさまざまなことを教えてもらい、自分たちでもいろいろ試したものです。日本でもよく知られたエスカルゴ(カタツムリ)は、姿を見れば一目瞭然ですが、ブーダンは、豚の脂身と血をつめた黒い腸詰料理で、血が入らないと白いのでブーダン・ブランと言い、独特な食感と匂いが好きな人はめちゃ好きなようですが、私は苦手。似たような豚の腸詰で、小型のアンドゥイエットとか大型のアンドゥイユと言われる、内臓類を腸詰にしたものもあって、ブーダンとの違いはよくわかりません。アンドゥイエットはシャンパーニュ地方の主要都市トロワの名物で、現地を訪ねた際にせっかくだからと食べてみたら、まあ食べられました。でもそれは最初の留学からは20年後の話で、私の食の感覚が変化したのかもしれません。

 そんな調子で過ごしていた留学中、日本からパリ観光にきた友人を迎えて、ちょうど賞をとったビストロ(小料理屋)の記事を新聞で見ていたので夕食に案内して、友人たちはなんでしたか普通に無難な肉料理を満喫していたのですが、挑戦慣れした私は、たまたまクレットと料理リストにあるので「何ですか、これは」と尋ねれば、鶏のトサカの料理だと言います。「ええ!?」と驚きましたが、好奇心を刺激された私は、「あまりお勧めしませんが」というボーイさんの忠告を無視して注文したのでした。いやはや、ちょっとプヨっとしたトサカがそのままの姿のフリット(唐揚げ)状態で、皿に積み上がっています。これにはびっくり、流石に半分以上残すという惨敗で、それでも癪ですから、もっぱら脂身のプヨプヨをかなり食べて、調子に乗り過ぎた自分にトサカに来たのでした。おそらくフランス人でも、トサカを食した人は多くはないのではないか、あるいはかつては貴重な栄養源でもあったのでしょうか、これらは今でも私には不明です。ビストロにカメラを持っていかなかったのも、不覚でした。でもまさか、トサカ料理に出くわして、好奇心に身を委ねた自分にトサカに来るとは、思いもよらなかったですからね。

2022.06

著者:福井憲彦(ふくい・のりひこ)

学習院大学名誉教授 公益財団法人日仏会館名誉理事長

1946年、東京生まれ。
専門は、フランスを中心とした西洋近現代史。

著作に『ヨーロッパ近代の社会史ー工業化と国民形成』『歴史学入門』『興亡の世界史13 近代ヨーロッパの覇権』『近代ヨーロッパ史―世界を変えた19世紀』『教養としての「フランス史」の読み方』『物語 パリの歴史』ほか編著書や訳書など多数。