初めての南フランス(3) ドローム川流域でのエコロジカルな農林業の試み

ドローム川流域の話は続くが、それだけの魅力をたたえた所だと、私は思っている。フランスというと、パリなどに代表される都市の魅力も大きいことは間違いないけれども、私の中では、緑豊かな田園や山間部の自然と、そこでの暮らしが織り成している魅力も捨てがたい。パリから少し電車に乗って外に出れば、緑豊かな環境にめぐり会えるのは、現在ではちょっと信じがたいようなポジティブなことではないだろうか。大切にしなかったらバチが当たるというものだ。
フランスでは20世紀半ばに至るまで、中小規模の農業が大きな比重を占めていたことは、あまり知られていないかもしれない。中小規模の農業は、第2次大戦後の工業発展にともなう社会変化のなかで後退を余儀なくされたが、それまでは健在であった。日本で高度成長が進み出した1960年代は、フランスにとっても戦後復興の延長で似たような産業化が経済社会面で進んだ。民族学者が、古くからの習俗の存在を、完全に廃れてしまわないうちに調査記録しようという動きを急いだ。日本でも、民俗学系統の人たちが農山漁村の調査に勤しんだことと同様だ。フランスの社会学者の中には、「農民の終焉」をいう人も現れた。
しかし、農業そのものが廃れてしまったわけではない。かつてのような方式が後退して、メイントレンドとしてアグリビジネスと言われるような大規模化が進んだ、ということである(アグリというのはアグリカルチャーつまり農業のことです)。今に至るまでフランスは、農業大国と言える農産物輸出国で、EU内でもトップの位置にある。しかしまた、EUの農業政策は遅れた他国の農業に有利で、フランス農業はひどく割りを食っている、とする現在の農民たちの中には、政府に対する抗議として、パリに向かって巨大なトラクターで行進をしたり、時には篝火を焚いたり銃までもち出して、激しい活動でわれわれを驚かせたりしている。
他方、気候変動に代表される環境問題への対応から、大量の農薬を使用するような大規模アグリビジネスを根本から批判して、自然の循環を重視する農業への転換こそが、これからの進むべき道だとする運動も、かなりのインパクトを持ち出している。
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さて、ドローム川の流域で、ディーの町を中心として、農林業の持続可能な経営への試みが自覚的に組織され出したのは、21世紀に入って間もなくであった。そもそも環境条件に左右されざるを得ない農林業の、気候変動や環境破壊の阻止を念頭に置いた動きの一つである。なかでも注目されるのは、その土地の環境にあった生物多様性の回復とその持続という目標に加えて、それを進めるために、できるだけ多くの農業経営者を、当初は期間契約方式で集めて、成果を確認しつつ進め、科学的データや根拠をしっかり踏まえつつ、公的組織をも巻き込んだ公私協働の事業として推進し始めたという、その組織方式である。ドローム県の役所や農業協同組合、さらに全国規模の組織では国立農業・食糧・環境研究所などだという。私は最初にパリに留学した一時期、国際大学都市の中の一つの寮に滞在したが、そこがたまたま、この国立農業研究所付設施設であった。まだ名称も違っていたが、フランス全国から各地の農業の後継者や推進者がパリの国立研究機関で学ぶための寮であった。いま考えれば、フランス各地から上京して学ぶ若い連中と仲良くなっていればよかった、と悔しい気がする。
今回改めてインターネット上で見たところでは、「ディーのクレレットと生物多様性」というプロジェクトも2019年から始まっていて、興味深い。そう、第1回目であげた、あの実に美味しい発泡性の白ワイン、その原料となるブドウの健全な生育のために、農薬は用いず、畑とその周囲の環境を、できるだけ自然にして、境界や近辺には別の樹木や草花を植えるなどして、小鳥や家コウモリなどが巣をかけられるような巣箱などを800ほども設置しているという。すでに近くの牧草地では、牧草のタネを一律にまくことをやめて、かつて季節ごとに自生していた各種の草花のタネをまいて、花畑の牧草地にしたという。昔の花畑の復活運動は、ミツバチの養蜂復活と合わせて、一種の「花いっぱい運動」だ。ミツバチの異様な減少は日本だけでなくフランスでも各地で指摘されており、現象の一因は強力な化学的除草剤や殺虫剤の散布ではないかと推量されている。小鳥を呼び込み、各種の昆虫やミツバチを復活させようとする運動は、生物多様性復活のためであり、また自然受粉の推進でもある。しかし負の面の観察も不可欠であることはしっかり踏まえられていて、病害虫対応がどう可能かも観察中だという。9人の比較的若いブドウ栽培経営者たちが畑で撮った写真もサイトには掲載されているが、この動きが開始されたしばらく後にコロナウィルスのパンデミックが生じてしまったので、その後どうなっているのか気がかりである。
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こうした展開は、フランスの各地で点々と開始されつつあるようで、それらがどのように今後の経済社会の中で落ち着いて位置を占めるようになるか、興味は尽きない。実は昨年暮れ、12月の初めに、ピエール・ラビーという、アグロエコロジーの推進者で哲学を語り、著作家としても活躍してきた人が亡くなった。享年83歳。もともとアルジェリア人で、フランス人入植者の家庭に里子に出されてピエールと改名され、フランス人と同様に教育を受け、アルジェリア独立戦争の時期にフランス国内に転居したという。パリのような大都会での生活には馴染めず、このままでは地球環境の存続も怪しい、そう考えたラビーは1960年代から、アルデッシュ県の農園で、エコ農業の実践的な研究を開始した人である。アルデッシュ県は、ちょうどドローム県とは、ローヌ川の流れを挟んで、その西側に隣接している。彼の主張は徹底していて、「持続可能な」と言っても「発展」や「開発」にそれが結び付けられているようでは、結局のところ環境は崩れていかざるを得ないから、各地域に即した小さな自給自足を原則とするような生き方を基本とすべきだ、として、それを広げるための実践運動や講演を展開し、大変な人気を得ていた。「スモール・イズ・ビューティフル」とだけ言って地球全体の平和的存続へと舵が切れるか、現実には難しいだろう。しかし、農林水産業、第一次産業部門のあり方、食のあり方をしっかり考えることは、自然界について感じ考えることでもあり、地球全体における人を含めた生命の存続にとって、やはり要なのだ、ということは、忘れてはいけないだろうと私は思っている。
2022.02

著者:福井憲彦(ふくい・のりひこ)氏
学習院大学名誉教授 公益財団法人日仏会館名誉理事長
1946年、東京生まれ。
専門は、フランスを中心とした西洋近現代史。
著作に『ヨーロッパ近代の社会史ー工業化と国民形成』『歴史学入門』『興亡の世界史13 近代ヨーロッパの覇権』『近代ヨーロッパ史―世界を変えた19世紀』『教養としての「フランス史」の読み方』『物語 パリの歴史』ほか編著書や訳書など多数。