食のエッセイ

初めての南フランス(2) 羊に囲まれて目を覚まし、思いを巡らす

 私は眠ることに割とデリケートな方なのだが、この時ばかりは疲れもあってか、グッスリだったことを覚えている。ディーの町から急な坂道を登って、緑の原っぱにテントを張り、寝袋に入って夜が明けたのも分からなかった。なにやらメーメーという声がしきりに外でして、何かがいっぱいうごめいている気配がする。エー、ナンダと思って顔を出すと、いやはやテントの周りは羊ちゃんたちで一杯だ。ビックリして目はパッチリと開いた。

 羊肉は美味しいし、フランスではご馳走だが、この時はそんなことを思い浮かべている余裕もなかった。予期せぬ事態にただただ驚いて、その数に圧倒された。ボーダーコリーと似た小型の牧羊犬が、付き添っている。群れを引き連れている背の高い羊飼いのおじさんが、すでにフロランスたちとなにやら談笑していた。もしかしたら普段から、ここはキャンプ地ではないけれども、テントを張るアウトドア派も少なくないのかもしれない。近くに建っていた小屋は、この移牧をしている人たちのためのものだという。何かの際の避難小屋という意味もあるのかもしれない。冬には、雪もかなり積もる山中である。

 この地帯では、夏の間は、下の町の牧場では暑すぎる。羊や牛や、それに山羊もまた、夏の間は羊飼いや牛飼いの専門家が、山へ羊や牛などを引き連れて登り、草地を移動して回る。囲われた放牧場が山中に設置されているのではなく、草地を移動して回るこの方式は「移牧」、フランス語ではトランスユマンスというちょっと難しい言葉で表現されている。こんな目の前で実物を見られるなんて、感激だ。

 動物好きの私は、すっかり嬉しくなった。我ながら単純だが、これだけでウキウキ、キャンプに来た甲斐があったというものだ。それに、羊がこんなに足早に急勾配を登っていけるとは知らなかった。崖地の草原から外れないように、小さな牧羊犬が単独で周りをこまめに走り回り、羊の動きを見事にコントロールしているさまは、子供の頃からいつも犬がそばにいた私にはたまらない、見とれてしまう光景だった。東京で留守番しているエリザという名の僕のシェパードは元気だろうか、と気になった。

 真面目な話、この移牧という方式は、人類が最初に麦の栽培を始めた「食糧生産革命」の頃から、すでに始まっていた知恵なのだということが、推定されている。フランスでの話ではない。なんと1万年近くも昔のこと、いまのイラクとイランの境にあるザグロス山脈の麓のあたりの話である。もちろん、現在あるような国ができるはるか以前の話だ。かつての技術では、人は、環境に対して今よりもはるかに謙虚だった。その山裾での冬麦の栽培と家畜の養育、少し高地での夏の移牧を組み合わせて一年を送る生活は、冬に小雨が降って夏は暑く乾燥している、という気候や土地環境の似たもの同士の地帯へと、伝わっていった。そうして、紀元前5千年頃には地中海周辺まで伝わったらしい。このドローム川流域は、古くから地中海沿岸一帯とのやりとりを持っていた地域だ。何か、悠久の歴史の中でキャンプしたのか、という感じになる。でも実感として残っているのは、とにかく可愛かった、羊も牧羊犬も。

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 後で知ったことだが、この一帯は、ヴェルコール地域自然公園として1970年に指定されていた。僕たちがキャンプしたのは、そのまもなく後だった、ということになる。北はグルノーブルに接していて、南はドローム川流域の山地までの、巨大な地域自然公園。前回のディーのクレレットのブドウ畠は、その南限というわけだった。

 公園といっても、柵で囲われているわけではない。広いヴェルコールの山岳地帯の全体である。少し調べてみたら、この大きな自然公園内の最も標高の高い一帯は、1985年には、ヴェルコール国定自然保護地区としても指定されていて、ブクタンが棲んでいるという。ブクタンという愛嬌のある響きを持った名前の動物は、巨大なツノのある野生のアイベックスの一種だ。写真や絵をみれば、ああ、あの動物の仲間か、と見知っている方も少なくないだろう。

 そしてこの一帯では、現代史の強烈な一コマも演じられたことで知られている。キャンプした時には、ヴェルコールという名前は聞いていなかった、というのは言い訳だが、じつは愚かしいことに、私の頭にその歴史は思い浮かんでいなかった。第2次世界大戦中のことである。敗色濃厚になったドイツのナチが、フランスでの占領地域を当初よりも広げ、リヨンを拠点にして暴威を振るった際に、それに対抗してレジスタンスが激しく、持続的に展開されたことで、この山岳地帯は有名なのだ。ここは歴史の話をする場ではないので、地域の名誉のために指摘だけはしておこう。ディーをはじめ、この地域のかなりの数の町や村は、戦後、そのレジスタンス運動への貢献で、フランス共和国政府から「十字戦功章」を授与されている。自治体に勲章が与えられる、というのも興味深い。

 ディーの町は、人口こそ少ないが、いまでは地域の中心として、さまざまな情報をネット上に熱心に発信している。おそらくコロナウィルスのパンデミックで、いまは動きが一時的に止まらざるをえなくなっているだろうが、しばらく前から観光事業は重要な柱となっていたようである。たしかに、トレッキングなどの拠点としては格好の位置にあると言えるだろう。羊の養育も変わらず重要な産業だが、観光用には可愛らしいマスコットも作られて「羊のガストン君」というのだそうだ。

 日本では北海道や一部の地域を除いて、羊肉は主流の食材には入っていないようだが、最近では少し変わり始めているだろうか。フランスでは、一般の家庭でもレストランでも、普通に好まれる。むしろご馳走の類ではないだろうか。「ジゴ・ロチ」というのは羊の腿肉(ジゴ)のロースト(ロチ)だし、「コート・ダニョ」といえば仔羊(アニョ)の背肉(コート)、「アントルコート・ダニョ」は仔羊の肋間の肉(アントルコート)を、一般には焼いて食する。私にはどれも好きな一品。それに「ラグー・ド・ムトン」という料理もある。ムトン(英語のマトン、羊)を野菜と一緒に煮込んだシチューだ。どれも、シェフが腕を競う一品である。

 いや、食べたくなってきた。しかし食用の羊は、去勢されたものが一般だというから、なんとも人間は残酷だなあとも思わないではない。マスコットのガストン君をサイトの画面で見ながら、あの草原を走りあがっていった羊たちが、どうしても思い浮かんでくる。それを、美味しそうなのが走っている、とは、思いませんしね。複雑な心境になります。

 このドローム川流域の一帯は、最近では、規模を適正に抑えたエコロジカルな、農業や林業、地場産業の持続可能な経営の試みが、多様に展開されていることでも注目に値している。それについて、しつこいながら、もう少しこの地域にこだわって、次回に書いてみることにしたい。私たちの未来に、すごく関わっている点だし、日本ではあまり知られていないかもしれませんから。

 

※羊のガストン君やディーの景色は、下記のサイトをご覧ください。
https://www.diois-tourisme.com

2021.12

著者:福井憲彦(ふくい・のりひこ)

学習院大学名誉教授 公益財団法人日仏会館名誉理事長

1946年、東京生まれ。
専門は、フランスを中心とした西洋近現代史。

著作に『ヨーロッパ近代の社会史ー工業化と国民形成』『歴史学入門』『興亡の世界史13 近代ヨーロッパの覇権』『近代ヨーロッパ史―世界を変えた19世紀』『教養としての「フランス史」の読み方』『物語 パリの歴史』ほか編著書や訳書など多数。