食のエッセイ

能登大震災を機に考えるもろもろ

 私の仕事用デスクは、おそらく他の人が見ればなんとゴチャゴチャして、いろいろなものが折り重なっているのか、と呆れるかもしれない状態で、事実、家人はそうみなしているようです。しかし手当たり次第に並べているわけではなくて、どっこい私自身は、自分なりの秩序でゴチャゴチャは頭の中に入っているのです。そんなことって、結構ありますでしょ。

 そのゴチャゴチャの中でも、私にとってのお宝の一つに、輪島塗の立派な文鎮があります。これは、戦後、史学会という学会と連携する形で、歴史の研究教育の発展のために設立された出版社が、他方で日本の高校段階での歴史教科書発行でとりわけ有名なリーダーとなり、70周年を迎えた際に関係者に記念品として贈呈なさったもので、思いがけず私にもくださったものでした。頂戴した私は有り難くもびっくりしたのですが、漆器に限らず伝統的な手業(てわざ)の素晴らしさにはとにかく目のない私は、改めてその見事な仕事ぶりに感嘆したのでした。コロナウィルスの騒ぎが始まる2年ほども前のことです。

 はじめからちょっと寄り道ですが、文鎮という道具が、例えば書道などで紙が動かないように押さえるために使う重しのことだ、というのは、おそらく小学生でも知っているでしょうが、日本の辞典は多くが表現の由来を明示してくれていないものが多く、なぜ文鎮と言われるようになったかは良く分かりません。今では文鎮はじつに多様な形をしているようですが、一般には、私が頂戴した輪島塗の文鎮のように、紙を押さえやすい長細い形が正統なようです。その形が、易でもって「筮竹(ぜいちく)」と一緒に使う「算木(さんぎ)」に似ていることから、かつては文鎮のことを「卦算(けいさん)」とも呼んだようです。

 私は絵でしか見たことがないのですが、算木は断面が正方形をした長さ10センチほどの棒で、確かに文鎮とはイメージが近いかもしれません。面白いのは、江戸期の和算で用いられた長さ3センチほどの計算用具も算木といわれ、その形を模した餅菓子を「算木餅」と呼んだのだそうで、形の類推というのが連想ゲームのように、多様なものを結びつける模様は面白く、餅菓子のバリエーションもかつてからすごい。

 正月にこの見事な輪島塗の文鎮を出していたら、能登大震災で輪島もひどい被害を被ったことが報道され、私ども外部の人間にとっても、大火災の跡の情景には言葉がないというのが正直なところです。私が頂戴した文鎮の作者、「三代目わじま龍作」を襲名して、素晴らしい作品を世に送り出しておられる池端漆香堂という会社の経営者でもある池端龍司さんは、今回の震災でご無事であっただろうかと気になります。

 手元の文鎮の作品には、輪島塗の協同組合で作っておられる様子の、小さな二つ折りの「輪島塗」略史の説明もついており、興味深く読んでいたのですが、地元では「地の粉(じのこ)」と呼んでいる輪島地区特産の珪藻土を下地塗りの漆に混ぜ込むことで、丈夫な漆器を作る作法を確立したそうです。これは、事典などでも知ることができるので、私もあらまし知っていたのではありますが、その作法が成立した時期は、以前には江戸期からとみなされていたのが、現地の中世遺跡から出土した漆器のお椀に、すでにその技法が用いられていることも判明したのだそうです。確かに輪島は、中世からすでに日本海航路の重要な港湾都市でもあったわけですし、そして江戸期までは、この日本海側こそが列島にとって、いわば「表日本」の海路の役割を果たしていたわけですから、分かる気がします。

 輪島で「地の粉」と呼ばれる珪藻土は、なんと今から約1億4千万年前から6500万年前頃までの地質時代である白亜紀に、大量に発生した珪藻類がもとになったらしいのですね。その死骸が堆積して長い歳月で岩石化し、あるいは軟泥状態で現在まで地中に存続してきたという、悠久の地球史を思わせる素材だそうです。どこにでも見いだせるわけではなく、日本ではこの能登以外に、北海道や秋田、島根、岡山、大分、鹿児島などに出ているそうです。そして輪島では、漆器の素地となる木材の元として「アテ」と呼ぶ樹木をかつて植林したそうです。事典によればこの木はヒバ、ないしヒノキアスナロといって、はじめに処理が必要だが、それをすれば建材としても家具や道具、漆器の素地としても優秀な材料が提供されるのだそうです。そしてもちろん、漆の採取があり、蒔絵や沈金といった細工を施すには、金をはじめ適切な貝殻などの材料にも恵まれなければならない。そういう点で、山にも海にも恵まれ、加賀の前田家のような後ろ盾にも欠けていなかったといった、多様な条件が揃った稀有な地であったといえるのでしょう。しかし何より、代々受け継がれてきた腕の立つ職人さんたちの存在が、不可欠であったことは言うまでもありません。陶磁器や木工細工、織物や染物などの場合にも、同様なことは言えるでしょうが、何れにしても、こうした手仕事を基本とする職人仕事の価値をこれからもしっかり支えることは、日本の文化にとっては不可欠なことだ、と私は強く思っています。

 珪藻土については、日本建築の和室の壁などにも塗り込まれることで、湿気を吸収してくれて、しかも湿り気を部屋には残さない、そういう特質を持った壁材として貴重だが、貴重なだけに価格も高い、という話を、以前に左官職人さんから教えてもらい、へえすごいものですね日本の伝統技法は、と驚いたことをよく覚えています。最近の一律のいわゆるプレハブ建築は、出来あい建材のパッチワークみたいなもので、価格と安全性との兼ね合いで、どうしてもそうなるのはやむを得ないこととはいえ、何か景観も失われるような残念な気もします。

 同じ北陸の福井県を探訪させてもらった際にも、すごく感じたことでしたが、伝統的な工法で建築された瓦屋根が美しく連なる家々は、実に見事な景観を現実のものにしているのですが、台風への備えや耐震性という要請には、残念ながらなかなか対応しないところもあるようで、難しい。今回の震災でも、じつに立派な瓦屋根の家が潰れてしまっている光景をテレビ画面で目にし、そして少なからぬ犠牲者をも生み出してしまったことは、なんとも痛恨で、複雑な思いとしか言いようがありません。耐震性は、やはり日本では最優先事項にならざるを得ないのでしょう。その上で、個別の家で言えばどこまで居住性や美しさを確保できるか、居住者たちの共同性や町並みをどのように構成できるか、と言ったことが、もっと考えられるように望みたいものです。

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 この短文を書いているのは2月はじめですが、元旦の夕どきに生じた大震災の衝撃によって、今もって先がすぐには見通せない厳しい状況に、能登半島一帯の住民の皆さんが強いられていることが、ずっと連日報道されています。

 日本列島は、地球の構造上のあり方からして、地震からは逃れようのない位置にあるわけで、20世紀末からの代表的なものだけを振り返ってみても歴然としています。高速道路やビルが倒壊し大火災が生じた阪神淡路大震災から以降、中越一帯を揺るがした震災、そして東北から房総までの太平洋岸を大津波が襲い、今も原発事故後の処理対応に苦慮が続くもとになった東日本大震災、そして熊本での長大な断層の動きが引き起こしたらしい震災と、繰り返し大きな被害がもたらされています。

 太平洋プレートの沈み込みといった巨大規模の動きだけに限らず、大小の活断層の存在は、各地で指摘されていますから、「大災害は忘れた頃にやってくる」のではなくて、忘れないうちに続発する可能性もある状況になっているのかもしれません。しかし、今回の報道で専門家が指摘していましたが、能登半島では、地下の断層調査等が十分に、悉皆的に(つまり漏らすところなく)蓄積されてこないまま、つまりは危険の可能性についての認識が共有されないまま、不意打ちを喰わされた形になったようです。半島の西側、輪島の南にある志賀原発が、断層と隣り合わせであるという事実が報道されて愕然としたのは、私だけでしょうか。

 日本各地で断層を含む地下の調査を体系的にもれなく実施することは、専門家をはじめとした人員の継続的な動員が必要でしょうし、相当な経費を要することでもあるのでしょう。住民個人レベルでの危険度の意識はもちろん必要な訳ですが、それには前提として、国政をはじめ各地方自治体が中心になって正確な調査認識を共有する基盤づくりが必要なはずです。その上で、行政がしっかり危険度を踏まえた対応措置を常備することが不可欠なはずなのですが、どうもそうした体系だった体制がとられているようでは全くなさそうです。何やらパーティーで裏金を集めることには素早く動く政治家が、守るべき国民を危険に晒して放置しているがごとき状況には、やはり腹を立てるべきなのでしょう。あまり精神衛生上はよろしくないのですけれど。

 防衛を掲げて高価な武器を買う資金をこちらにあてれば、科学的調査を基盤とした防災上の備えは、もっとしっかりプログラムできるはずではないのかと、素朴に思いました。巨額のミサイルで守るべき国民がすでに災害で苦境に倒れていたのでは、話にならないのではないでしょうか、と。

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 部外者が無責任なことは書けませんけれども、東京など大都会と比較すればはるかに能登半島では、居住地ごとのコミュニティの繋がりが、港や海岸部か、山間部かなどといった地域的特性や、漁業、農業、観光業などの村や町の生業の特徴に応じて、それぞれに持続しているところなのだという、再確認をしました。

 人の暮らし方ということでは、これはとても素敵なことだと思うのですが、それが震災によって、今とてもピンチを余儀なくされている、ということでしょう。あちこちの一時避難所で、周りの方々から信頼され、まとめ役を担うようになる地区のリーダーとでも言えるような方々が、報道のインタビューにしっかり対応されている姿は、なるほどたくましいものだと感心しました。それに子供たちの間でも、誰かに指示された訳ではなく、自主的に壁新聞を書いて皆を勇気づけるとともに、自分たちも情報発信の充実感を共有している姿は、これこそ自主教育の現場だと思わせるくらい、見事な姿です。学校が再開された後も、そして学校を出た後までも、こうした危機的状況の中で仲間と築いた自主的経験は、間違いなく生きていくはずです。これらの事例は、どこでも指摘できるわけではないのかもしれませんが、形は違っても、さまざまに自発的な協力、協働が生き生きと展開している様は、それが可能なのは短期間であったとしても、素敵な貴重なことだと思います。

 輪島塗の漆器はとても高価なものもあって手が出ない、ということもありますが、普段使いのお椀などをはじめ、優れた持ちの良い作品はいろいろあります。そうした作品を購入して使う、と言うことも、もう少し事態が落ち着けば、大切な連帯の行動だと思いますが、どうでしょう。もちろん輪島塗は一例です。他にも日本酒もあれば、まだ別の例もいろいろにあるでしょう。事態が落ち着いたのちまで、連帯を忘れないでいたいものです。

 旧暦2月は如月(きさらぎ)と呼ばれた月、草木が新たに生き返るように緑の芽吹きが眩しくなり始める頃です。「如月や日本の菓子の美しき」(永井東門居)という句もあります。かつて2月半ばに東北地方では、8個の食器に濁り酒(ドブロクでしょうか)を入れて神にお供えしたのち、これを飲んで無病息災を祈る「八皿(やさら)」という風習があったそうです。じきに始まる農繁期に備えての準備と無事を祈る習俗です。時代が変わっても、こうした思いは共通でしょう。震災被害地の皆さんにも元気が早く戻るように祈りたいと思います。

輪島塗の文鎮(わじま龍作)

 
*わじま龍作への支援については、下記外部サイトをご覧ください。
https://www.wajimaryusaku.jp/donation/

2024.02

著者:福井憲彦(ふくい・のりひこ)

学習院大学名誉教授 公益財団法人日仏会館名誉理事長

1946年、東京生まれ。
専門は、フランスを中心とした西洋近現代史。

著作に『ヨーロッパ近代の社会史ー工業化と国民形成』『歴史学入門』『興亡の世界史13 近代ヨーロッパの覇権』『近代ヨーロッパ史―世界を変えた19世紀』『教養としての「フランス史」の読み方』『物語 パリの歴史』ほか編著書や訳書など多数。