食のエッセイ

年の瀬から寒の明けへと、日本の風習を楽しむ

 猛暑に襲われ、世界中で異常気象が猛威をふるった今年も、そろそろ暮れつつあります。四季折々、1日の時間は同じ24時間でも、時の感覚は時節によって随分と異なるようにも思われます。もちろん、面白いことに夢中になっていれば、時の経つのを忘れてあっという間に日が暮れる、などということもあれば、つまらない仕事を片付けざるを得ない時には、まだこんな時刻かと、時の経つのを遅く感じることもあります。不思議なものです、人の時間の感覚は。

 北半球にせよ南半球にせよ、温帯に位置する地域は、どこでも春夏秋冬、四季を経験するわけですが、でも、その地域が内陸にあるか海洋に近いか、標高が高いか低いか、どのような地理的条件かで、四季の感じ方なども、随分と異なっているでしょう。日本は、たまたまユーラシア大陸から古くに切り離され、太平洋の西寄りにあって、南北に長く列島をなしています。山岳地帯と平野や谷間が複雑に地形を織り成して、限られた面積ながら相当に多様性に満ちた、豊かな自然条件を享受してきた、といえそうです。少なくとも、現代文明が無理やり生態系を崩し始めるまでは。古くから地域ごとに、四季の自然の移ろいを受け止めて、さまざまに、時節に対応した暮らしぶりを形づくると同時に、豊かな表現も受け継いできました。

 もちろん、熱帯や寒帯に位置するところでも、それぞれに古くからの生活風習や表現を持っていることは確かですから、温帯万歳と言っているわけではありません。例えば、アンコールワットの復元維持に絶大な貢献をなさってこられた上智大学の石澤良昭先生は、行動する学者として私が最も尊敬するお一人なのですが、その石澤先生の学術的な歴史書は、この熱帯雨林の中にひらけた豊かな文明について、私たちに多くを教えてくれています。また、私自身の少ない経験から一つだけ引けば、20世紀末に常夏のバリ島で体験した深い感動があります。すでに観光化も進んでいた現地でしたが、その地域でリーダーにあたる方々から話をうかがって、歴史的に形成された棚田や水系などの地域環境、実演を拝見し宗教的な意味に合点した独特の音楽や舞踊、また祈りの形や石彫・木彫などの文化的な表現をじかに見学させてもらって、なるほど、この環境条件の中でこそ連綿と受け継がれてきた豊かさがあるのだ、と、合点したのでした。

 ですから、世界各地には、それぞれの地域の環境条件に対応して歴史的に形成された、豊かな文化があるわけですが、足元の日本に戻れば、ここでは、四季の変化や時節の移ろいと対応させながら、人の心持ちや人生、あるいは生活のはかどりと照応させるような感性、そしてそれらの表現が、とても古くから受け継がれてきた、と言えるように私は思っています。それを端的に、ちょうど日本語表現の百科事典みたいに示してくれているのが『歳時記』でしょう。もともと『歳時記』は、19世紀はじめ、江戸時代も暮れ方に入ってすぐに曲亭馬琴によって作成され、作句のために季語約2600を四季別、月の順に整理し解説したのが始まりだと、歴史辞典は教えてくれます。その後改定や増補が続けられ、明治以降の正岡子規やその弟子高浜虚子たちによって俳句の基礎が確立していったのに伴い、歳時記もまた各種のものが出されるようになって現在に至るようです。

 私の手元には、昭和58年(1983年)に講談社から刊行された『カラー図説 日本大歳時記 座右版』という、なんと1675ページからなる巨大な1冊があります。大きな辞典並みのこの本は、もとは亡父が残したものでした。私自身現役時代は、とても読んでいる時間の余裕も、心の余裕もなかったのですが、引退後に手にとって、というか、手で持つには重すぎて、膝の上か、パソコンの前を片寄せて、なんとか机上でページをめくって眺め、読み出したら面白い。次々と話題を追うと、本当に豊かな光景が目の前を過ぎ去るような気にさせてくれます。ただ私自身は、作句するほど心に余裕のある粋人ではないのですが。

 というわけで、なんとなくせわしない年の瀬に、この歳時記を読みながら、いや眺めて参考にしながら、雑感を進めてみます。日本語には、大変ニュアンスに富んだ表現も多く、「年の内」というと、なんとなく客観的な感じがしますが、「年の暮れ」というと、ちょっと慌ただしいような、寂しい気分も伴います。現在では、「年の暮れ」を意味する「歳末」とか「歳暮」というと、何か大売り出しとか挨拶の贈り物、という意味合いが強く押し出されてしまい、なんだか野暮ですが、「年の暮れ」は「去りゆく年を惜しむ」という気持ちと並んで、老齢の者にとっては自らの老いと重なる感慨をもたらすものでもありました。いや過去ならずとも、現在の私の身の上でもありますが。

 かつて、源氏物語を書いた紫式部と同時代を生きた和泉式部という、有名な女性歌人がいました。およそ紀元1000年前後、平安中期の人です。彼女には、時の冷泉天皇の皇子たちとの恋愛をも率直に書き述べた有名な『日記』があり、そこには数々の秀でた和歌が残されていることで有名です。この時代から女性がこのような、今でいえば文学表現とも言える作品、それも率直な恋愛感情を歌に託すような作品を書き残すことができた日本は、同時代のほかの世界や、後の世の日本よりも、心の上でははるかに伸びやかであったのかもしれません。少なくとも当時の上流階層にあっては。その和泉式部の言葉として『新古今集』巻六には、「年の暮に身の老いぬることを歎きてよみ侍りける、数ふれば年の残りもなかりけり、老いぬるばかりかなしきはなし」とあるそうです。

 そういえば、前回のエッセーで一つ方向音痴の誤記をしました。御免なさい。これも年老いたるゆえか、と思いますが、ペリゴール地方はボルドーの東隣で、西隣ではありません(編集部註:修正いたしました)。地球は丸いんだからずっと行けば東に戻る、とはいえ、西に行ったらすぐ海になってしまいます。いやなんと「老いぬることを歎きて」です。現役で各地を歩き回っていた頃は、方向感覚抜群だったのですけれど。

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 一年前のエッセーでは、薪の形をしたケーキをめぐって、フランスなどのヨーロッパでの年末から年初にかけてのいくつかの習俗や生活について、書いてみました。しかし日本の方が、どうやらはるかに多様な要素に満ちていて、複雑でもあるようです。

 ヨーロッパの場合には、一神教であるキリスト教にとって重要な位置を占めるクリスマスという教会暦の祭礼が、圧倒的な重みを持って、民間習俗の諸慣行もその枠の中に組み込まれたからかもしれません。現在ではヨーロッパでも、熱心なキリスト教信者が圧倒的多数を占める国は、多くはありませんが、社会生活の中で、かつての民間習俗的な祭礼や信心が存続しているところは、もっと圧倒的に少数になっているように思われます。その点、政治的には江戸期や明治期以降、宗教に関わるさまざまな出来事があったとはいえ、最終的に八百万の神々の世界を退けてこなかった日本社会は、明治以降にキリスト教をも受け入れつつ、神道や仏教をはじめ、イスラームを含め、他の宗教もさまざま併存しうる社会を形成しているのが現実でしょう。金が目当てのイカサマ宗教には気をつけねばならないとしても、このあり方は、人類の未来にとっても貴重なことですから、否定しない方が良い。そう思います。

 日本の伝統的で民俗的な祭礼に魅せられて、外国からそれを見るだけでなく参加までしようという人たちが来訪してくる様子を、テレビでも面白がって放映したりしています。インバウンドの増加で経済的にプラス、などという表面的な話だけではなくて、もっと根元的な文化理解に関わることとして意味が共有されると良いですね。なんと言っても日本では、クリスマスケーキを家族で楽しんで、お寺の除夜の鐘を聞いて、神社で初詣、おせち料理とお屠蘇で三が日を過ごす、と言ったような、なんでも適応して取り込んでしまう過ごし方を、楽しんできているわけですから。

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 話がちょっと硬くなりましたので、軌道修正しましょう。馴染みの「師走」という表現は、忙しなさを感じさせるものですし、現役時代に私などは、年がら年中師走のように走り続ける人生でしたが、しかしこの言葉、古くは知識を持って教え諭す人でもあった僧侶が「師」で、年末の法事のために呼ばれて各家を訪う、その忙しなさを言ったのが本来の由来のようです。しかしまた、「師走坊主」という表現になると、忙しい様を装うだけのうだつの上がらぬ坊さんを皮肉る表現だというのですから、なかなか一筋縄ではありません、日本語表現は。

 そして年が明けてしばらくすると、「寒の入り」です。冬至から数えて2週後、15日目がその日だそうで、1月5日か6日。この後は「賀状」ではなしに「寒中見舞い状」に切り替わる時期ということになりますが、でも正月最初に顔をあわせれば、この時期以後でも「お寒うございます」だけではなくて「明けましておめでとう」ではありますね、挨拶の言葉は。そして2月3日頃の節分、つまり立春の前日までが「寒中」、1月20日頃からは「大寒」に入る、というのが伝統的な時節の捉え方で、確かに部屋が空調で温められている現代とは違って、ついこの前までは火鉢と炬燵で済ませていた日本家屋での生活では、この寒さの季節感は納得のものだったと思います。自分の経験からしても。

 この寒の入りの時期、北陸地方では「寒固め」に小豆餅(あずきもち)を食べる風習がある、と、しばらく以前に残念ながら故人となられた金子兜太さんが書いておられます。さて、この小豆餅は、どんなものだったのだろうか、小豆の餡子(あんこ)菓子の大好きな私としては知りたいところですが、私にはまだ分かっていません。小豆餡でくるんだお餅、つまり「あんころ餅」の一種なのか、それとも、茹でた小豆をバラバラと入れてついたお餅なのか、はたまたそれらとは別の作法で作ったものなのか。どなたかご存知のお方は、教えてくださると嬉しい。

 「寒餅」という言い方もあり、これは寒中についた餅をいう場合が一般でしょうが、ついた餅を切り餅にして水に浸して持ちを良くして蓄える方法もあって、これが「水餅」です。私の記憶は鮮明ではありませんが、戦後しばらくの時期であった小さい頃に、東京都内にあった我が家でもこの水餅にしていたような、おぼろな記憶があります。もしかしたら事後的な知識が、自分の記憶のように残影を頭に残しているだけかもしれません。おそらく今では水餅は死語でしょう。しかし、冷蔵庫といえば便利な多機能式の電気の冷蔵庫が当然の現在とは違い、まだ、上の扉の段に大きな氷を買って入れ、下段に食料品などを入れる、小さな氷冷式の冷蔵庫しかない時代ですから、生活様式もまったく違っていたわけでした。

 四季折々の風情が、地域に応じて極めて変化に富んで豊かで、従ってまた季節をめぐる空模様や気候に関する関心の高さも、日本では鮮明であったと言えるでしょう。「観天望気」という言葉が示すような、自らの生きる地域の空模様や雲、風の様子を観て、空模様の変化を読み取る経験的な技術、こうした天候を捉えた生き方の地域ごとの豊かさといったことも、日本社会の歴史的特徴の一つであったような気がします。それが現在どこまで存続しているかは疑問ですが、それでも、空模様や気候に関する関心の高さは、現在でも日本文化の一特徴かもしれません。

 日本語の専門家がどのようにおっしゃるかは分かりませんが、日本語の持ち得る多義性も、関わっているかもしれません。「冬の日」という表現は、「冬の一日」でもあれば「冬の日差し」ないしは「冬の太陽」のことでもありえます。有名な芭蕉の冬の句に、「冬の日や馬上に氷る影法師」という句があるそうです。私のような素人には、どう読めば正確な理解かは、いまひとつ明確ではありませんが、ある極寒の冬の日、馬に乗って旅する者も、逆光の中で凍っているかのような風情だ、とでも読めますか。対する近代の文筆家幸田露伴は「ひとり鳴くあひるに冬の日ざしかな」という、なんともほっこりするような一句を残しているそうです。こちらは逆に、風もない冬の日のゆったりした日差しが、よちよち歩くあひるに暖かく注いでいる情景です。

 「秋の夜長」といった捉え方に対して、冬は、すぐに暮れてゆく短い昼の方を、むしろ強く意識する短日という表現、しかも一日の昼の物理的時間の短さだけでなく、人生の暮れ方、儚さをもそれに重ねる感性が刺激される、こうした捉え方もまた、冬の季節がもたらすものでしょう。しかし人とは違い、季節は移ろい、巡ります。「冬来たりなば、春遠からじ」、ですから。

2023.12

著者:福井憲彦(ふくい・のりひこ)

学習院大学名誉教授 公益財団法人日仏会館名誉理事長

1946年、東京生まれ。
専門は、フランスを中心とした西洋近現代史。

著作に『ヨーロッパ近代の社会史ー工業化と国民形成』『歴史学入門』『興亡の世界史13 近代ヨーロッパの覇権』『近代ヨーロッパ史―世界を変えた19世紀』『教養としての「フランス史」の読み方』『物語 パリの歴史』ほか編著書や訳書など多数。